状況が似ていて、同じような救済を俺が得れるかと言われると、まあこう考える限りは無理ってことやな シッダールタ

お父さんバラモンの1番偉い人なのな。世界で1番偉い人じゃん。

精神は満足せず、魂は安らがず、心は静まっていない。が、思うのは、現代に生まれたらどうだったかなっていう。それでも心は鎮まらないだろいうか。だって、生きることには困らないこの世界で、心が鎮まらないことがあるだろうか。きっと死とかをいっぱい目にしてるんだろうが、この世界でそんなことはなく、それでも心は鎮まらないだろうか。

まじで、現代並みにコンテンツがあったら、老人と話したり知恵を身につけようとか思うのだろうか、と思った。

今やりたいこととしては、ガチガチに勉強してまたワンピースを読みたい。

状況としては、既存のものを一定評価してるけど、それだけでは足りない、って状態っぽいな。バラモン教とかが、悪くはないが、足りない、っていう。

これはちょっと似てる。俺が今と似てると思うのは、なんとか生きていけるし、金もまあまああるから、ある程度好きなことはできる。しかし、そうやって好きなことをやってみたところで、たいして楽しくもない。生きてはいけるしそんなに文句あはるわけではない。言い換えると、豊かなのは間違いない。が、だからと言って100点満点ではなくて、なんかつまらないな、そして、疲れてるな、という感覚が常にある。何かのために頑張る、とか、そういうモチベーションがなく、生きるために明日も働かないといけない。だからこんなこと考えるのはもうやめて酒でも飲もう。なんかこの、60点を放置し続ける人生って感じなんだよな。そしてこれが放置されるのは、働かなきゃ生きていけない、みたいな感じで、働くことに潰されて考えることを同じところで放棄してしまうから。彼はここで止まらなかったってのは、多分暇だったんだろうな。働かなくてもお父さん王様だし、女の子も寄ってくるし。頭もいいし。だから、人類史上稀に見る、ひま、考える以外にやることがない、って状況が爆誕したんだろうなと。今みたいにコンテンツもないし。自分が何を欲しいのか、ということを考え見つけ出す前に、他人から何かを与えられてしまうんだよな。ネット上のコンテンツであり、仕事であり。

彼が考えてることそれ自体というよりは、彼の状況ってのが面白いなと。

自分にできる、やりたいと思うことをやればいいかなと。そして、他者との関わりはある程度化学反応だなと思えばいいかなと、相手に委ねる感じね。
が、そこから苦行に飛び込むってのが不思議だよな。他にやりようはなかったのかと。法の外に出るってことではあるが。自分を殻にして安らぎを得ることが目標だと。

ブッダは、求めず欲せず努力もせず、ただ平和で光がある、という人間とされている。こういう価値観って今と全然違うよな。こういう人が憧れられて、しかもそれが結構マスっていうのが不思議だなと。人生は苦なので、そこから抜け出せと。

友達とか立場を捨てたタイミングで、彼は孤独になり、自分に集中するようになった。がこれは、うーん、宮台はこういうの好きじゃないよな。

知識ではなく、経験を求めていると。ふむ。

俗世は遊戯であり、きちっとできた方がいいが、そこの陶酔するなと。

目標を立てて、あとは待つ。そうすると、石が水の中に落ちるように、目標に引かれて落ちていく。大事なのは、目標に引かれる邪魔をしないこと。待つこと。ふむ。まあその感じはちょっとわかる。

望めば世界は与えてくれる。

普通に生きれたらいいなと、つまり、お金のこととか名誉のこととか気にして汲々として生きていけたらいいなと彼は思っている。

心の中に避難所を持つ、とはどういうことか。

普通の人たちには愛するということができる、だが自分にはできないと。なんか腹立つな。

俗世間に、快楽と欲望と惰性と悪徳に、陥ったと。囲まれてたら。

読みやすいな、小説的で。

長い年月の間、ささやかな快楽に満足し、本当に満たされることはなかった。まあそういうことだよな。

思うのは、性愛の理想についてはここに書かれていない。俺はそれが知りたいのだが。まあ、知識で知ってもダメで、自分で経験して心の声に従え、ということはあるかもしれないが。急がず、順にやっていけばいい。そうすれば与えられる。因果なんだ結局は。

世俗的なことに対する執着と、そこからくる熱意であったり粘り強さというのは感嘆に値する。そしてまた、思想や知恵に対する熱意というのも、それと同じものではないのかと。確かに。

あらゆる人の目標やそのための努力や不安や善悪や憧れや悩みや快楽が同時多発的に起こって、それが混ざり合い、誰のものであるかわからなくなる、同時に、そこに自分を投影することもなく、ただ全てが混ざって存在していくことを感知する。それが完成であると。いろんなことがあるんだなあ、と思い、そこに留まること。これが完成であると。

ここに来て、自我が消え、運命との争いが消え、悩むことが消える。

世界と共に悩み、楽しみ、流れに身を委ねること。諸々を受け入れる、というか、それに委ねること。

目標を持つと、それしか目に入らず、結果として全体が見えないので道に到達しない。

なんか言語論だな。

知識は教えられるが、知恵は教えられないと。

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