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may in filmという光

7月3日
私の愛するmay in filmが物語を終えた。

一生分の涙を流したのではないかと思うけれど、なぜだろう。
これを打つ今(帰りの電車の中)すごく晴れやかな気持ちでもいる。

彼女たちの物語の終わりに間に合ったんだ。
私の人生にとってかけがえのない出逢い。

出逢えた奇跡に最大の感謝を。
そして出逢わせてくれた後輩に最大の感謝を。

ラストステージの1曲目はなんだろう。
そんなことを考えていた。
スターゲイザーか。あるいは他の曲か。

どの曲が来ても泣く自信はあった。
泣く自信があるというのもおかしな話だが。

7月に入ってから3日間。
1曲もmay in filmの曲を聞かなかった。

私にしてはよくやったほうだ。
何度聞きたいと思ったか。
だが、聞かなかった。

新鮮な気持ちとも違う。
純粋に、彼女たちの歌声を楽しみたかった。

我慢した果ての1曲目で自分はなにを感じるのだろう。
そんなことを考えていた。

開場して、ドリンクカウンターでもらったジャックコークを飲みながら
友人たちと開演までの時間を過ごす。
笑えている。
彼らがいなければきっと1人で震えていただろう。
いや、1人になることはない。
だって布教されたのだから、その大元の後輩はいて当たり前だ。

あぁ、笑えている。
自分でも少し安堵していた。

受け入れる準備はできている。

そして時が来た。
1曲目はなんだろう。
拍手をしながら考えた。

Blinding Lights

「誰にも奪えない光を君と見ていたい」

はじまった瞬間涙が溢れた。
とめどなく、溢れた。

数日前、後輩が深夜に「Blinding Lightsを聞いてべしょべしょに泣いてる」とLINEをしてきた。
翌朝、私も聞いて同じくべしょべしょに泣いた。

「私に歌えることがあるとすればいつも君の味方でいること」

彼女たちの歌は常に私の味方でいてくれた
寄り添ってくれた

美しく、笑顔で歌う彼女たちの物語の終わりがはじまった。
溢れる涙をぬぐい、ステージを見た。

あぁ、なんて美しいんだ。

何度拭っても涙は溢れてしまう。

何度もうつむいてしまった。
もったいない。彼女たちの物語を最後まで見守るのが今私にできる感謝の伝え方だろう。
自分に言い聞かせた。

そして2曲目。
私が一番大好きな「エソラ」。
2曲目のエソラは2番の大谷翔平のようだと後輩が言っていた。
野球を知らない私にその意味はわからなかったが、つまりすごいということなのだろう。私にとって一番大切な曲が来た。

余計にあふれる涙を必死にぬぐい、うつむきそうになるのを必死に耐えた。
これが最後なんだ。焼き付けろ。
その目に、その耳に、焼き付けろ。
これが最後なんだ。

お前の大好きなこの4人が歌う「エソラ」はこれが最後なんだ。

「羽根のない腕を空に広げて羽ばたくのを恐れている今だって
飛べやしないさと誰もが笑うけど諦める理由にはならなかった」

私には何の能力もない。
ただ必死にしがみついているだけだ。

少しでも自分になにかがあると思わせている。

だが、その実どうだろう。
なにもない。
人に誇れることはなにもない。

だけどいつか、どこかで、煌めく未来を描きだせる瞬間は来るのではないか。
自分にもなにかあるんじゃないか。

そう信じて突き進む、それがいつか「夢」と呼べるんだ。

諦めたい。諦めたくない。
こんな年齢になっても抗いたい。
誰かを笑顔にできる料理をいつか作りたい。

私の小さな、小さな夢だけど。
いつか輝く瞬間が来ると「エソラ」という曲は思わせてくれるんだ。

君を思えば怖くなかった。

この空を渡ったら、また君のそばで笑いたい。

何度この歌に救われただろう。

何度聞いただろう。

最後の特典会。
ななせさんに伝えたかったことを伝えた。

「ななせさんと、エソラに何度も救われました。ありがとうございました。これからもずっと、聞き続けます」と。

「これからも救うよ」

ななせさんのその一言が、きっと私の一生の力になるんだろう。
あぁ、この人を好きになってよかった。

心から思えた。

イノセンス→ロストシティ→eve→夜半証明→宝石の命→まなざし→fromhere→Heartrate

何度も涙を流しながら全力で楽しんだ。
「命を唄う」彼女たちがまさに今命を燃やしながら唄っているんだ。

ずっと泣いている場合じゃない。

そして最後の新曲「スターライト」が来た。
7月3日0:00新曲として発表された。
歌詞を見ただけで泣けた。

彼女たちの3年間が詰まっている。

私はほんの半年にも満たない期間だけだったが、そんな私にもわかる
彼女たちの3年間がこの曲に詰まっているんだ。

気づいたら祈る手をしていた。

どうか、彼女たちの未来が光であふれていますように。

そう、祈っていた。

今のこの瞬間が永遠に続いてほしいとも思った。
だけど、物語にはじまりがあれば、いつか終わりはやってくる。

なら、私にできることは物語の終わりを見守り、そして彼女たちのこれからが幸せにあふれることを祈るだけだ。

ノンフィクション→スペクタクル→Drawing

終わりが近づいている

よくここまで泣けるものだと自分で自分に感心した。
いや、嘘だ。
今だから感心するがその瞬間はどうしようもなく涙が溢れていた。

ひとつひとつの音、歌詞、そのすべてが突き刺さった。

エンディングストーリーの2番サビ後
拳をあげると同時に開演前に配られたサイリウムを折った

それは美しい青だった

目の前に広がる青い海

あるいは青い空

彼女たちのこれからを暗示するような
さわやかな色で会場が包まれていた

ありがとう、何度叫んだかわからない。

彼女たちが去ってすぐアンコールのコールがはじまった

自分も叫びたかった。

だがどうしたものか、溢れる涙を止めることができなかった。

アンコールを聞きながら、ひたすら泣いた。

アンコールがはじまった。

ファンファーレ

彼女たちの溢れんばかりの笑顔がまぶしかった

涙をぬぐって笑った

自然と笑えていた

思い描いたラストシーンを
超えてくれた

最後の曲
「スターゲイザー」
あぁ。やはり終わりはこれか。
そう思いながら舞台を眺めた。

彼女たちの物語のはじまりの曲。
それで終わりにしよう。

そんな声が聞こえた気がした。

ありがとう。何度叫んだかわからない。
何度でも、最後まで叫ぼう。そう想った。

「もう一度!may in filmで歌わせてください!!!」

最後に再び、彼女たちが戻ってきた。

「スターライト」

美しい。それだけだった。
彼女たちの表情、指先のひとつに至るまで。

すべてが美しかった。

そうして、may in filmは終わった。

may in filmを名乗る次世代が現れるのはわかっている。
だけど、私の好きな4人のmay in filmは終わった。

泣いた。
でも不思議と寂しさはなかった。
寂しい、悲しい、より「ありがとう」「楽しかった」だった。
全力で命を唄ってくれた。
燃やし尽くしてくれた。

終わりを見られた。
間に合った。

ありがとう。

私にとってかけがえのない音楽だった。
だったではない。これからも、かけがえのない思い出だ。
音楽は一生残る。
彼女たちが命を唄ってくれた。
その事実は一生消えることがない。

自分の心に、頭に刻み込もう。
may in filmの4人が生きた証を。

ありがとう。
may in film。

どうか、彼女たちの未来が光輝くものでありますように。

夜空に輝く星のように。

いつまでも照らしてくれる光のように。

彼女たちが、幸せだったと感じでくれていれば、私はそれで満足だ。

ありがとう。
出逢ってくれて。

さようならは言わない。
彼女たちがアイドルを辞めようと、音楽を通してまた会えるから。

なら私は笑顔で「またね」と言おう。

ありがとう。may in film。
またね!!!!

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