ヒトとの「距離感」と「向き合うこと」のイイとこどりをする。

こんにちは。こんばんは。

現在、登用試験の勉強中。
昨日はのだめカンタービレを観た。
最近の感動したドラマは最高の教師

最近、私の心にいる言葉が
「向きあうこと」

のだめでも、
ミルフィーは「音楽の没頭しろ。」「もっと音楽と向き合うべきです」
最高の教師では「自分が犯した過ちに向き合うこと」「自分のダメなところから逃げないこと」というキーワードが散見されていた。


心にのしかかってくるような
悪魔のささやきのような
自分を戒めてくるような
言葉。

正直真っ向から向き合いたくない言葉だ。

なのに、
私はその言葉に勇気づけられている気もする。

自分の何かを変えることができるかもしれない。
相手に興味を持てるきっかけになるかもしれない。

ただ、そのようなその場限りのアドレナリンを
出してくれる。


私は、
ヒトの考え方や感じ方は非常に興味がある。

だけど、それがその人自身への興味とはまた別のような気もする。

いや、繋がっているような気もする。

ヒトへの興味から、考え方や感じ方が知りたくなる時もあるし、
逆に、考え方や感じ方が面白くて、その人自身への興味となるときもある。

また、ヒトへの興味から考え方や感じ方を知り、失望したり、
あるいはヒトへの興味はないけど、考え方や感じ方には興味があったり。

まぁケースバイケースという言葉で簡単に片づけられる気もするし、
何かトリックがあるのではと解明したい気もする。


ただ、いえることは
私には適切な距離感は必要だ。

知りすぎるのも面白くないし、
知らなさすぎるのも面白くない。

ただすべてを知りたいとも思わないし、
全てを知ってほしいとも思えない。


だから、恋愛や人間関係が苦手なのかもしれない。
だって、人との大切な繋がりは、お互いを「知っている」というところで
評価されている気がするから。
だから、私にはそういう大事な繋がりを作ることが難しい。


でも、それはただ世の中の一般論であるともわかっている。
自分なりの「大切な繋がり」は自分で築けばいい。
だから、「適切な距離感」を一緒に「大切な繋がり」として
共有し合える人たちと出会いたい。大切にしたい。

話は最初に戻り、
ヒトと向き合うこと。
それは、自分のことに気付くことができること。


確かに、代償は大きい。
悲しい・傷つくことが最初はある。
だけど、そういう時にこそ、自分自身の本性が見える。
それも、自分の成長のためには大切だ。
(最近、少しずつわかってくるようになってきた。仕事の人間関係で色々)


だから、私なりに
程よく人と向き合いたいし、
程よく人と距離を置きたい。

そういう自分が好きだ。

おしまい。どろん。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?