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「やってもらったら倍返しで恩送りを」株式会社ヤマシタ商事 取締役会長 山下秀治さん

昭和50年小樽市で4坪から理容室をスタートし、支店を続々と展開。順風満帆なスタートと思いきや、一転して20年間のどん底の日々をご経験されながらも、今や訪問理美容を始め次世代教育、理美容商品の開発にも携わっていらっしゃる山下秀治さんにお話を伺いました。

【プロフィール】
出身:北海道ニセコ町
学歴:全国理美容中央専門学校(大学科)卒 
経歴:1980年  有限会社ヤマシタ商事 設立
2010年 一般社団法人北海道理美容福祉協会 設立(訪問理美容センターえみっと開設)
2019年 えみっとハウス楽天市場店オープン
役職:株式会社ヤマシタ商事取締役会長、小樽市倫理法人会相談役
受賞歴:1994年度 シチズン・オブ・ザ・イヤー賞 受賞、2007年度 財団法人ソロプチミスト日本財団 社会ボランティア賞 受賞
座右の銘:自分に勝つ

記者:今はどんなお仕事をされているか教えていただけますか。

山下秀治さん(以下山下 敬称略):山下商事の取締役会長です。ハサミが、理美容の現場が好きです。自分のお客様もいるからひと月の4割くらいはお店にいます。昔は事務所に上がれず、書類に手がつけられないくらい忙しかったですね。

訪問理美容も25年前からやっています。
そのきっかけが、当時入院してた自分とこのじいさんだったんです。入院先に髪を切りに行ったら、看護師さんから「お宅のおじいさんの部屋が病室じゃなくて宴会場みたいになってるよ」って言われて。「よし俺の仕事は役に立つ!」って実感して。

ただ当時、どこにもそんなことを教える学校がなかった。東京の山野美容専門学校が15年前に初めて福祉美容の学校を始めた時で、資格を取りに仕事の合間をぬって4回東京に通いました。さらに北海道で学校を創りたいって思って。北海道の人間が東京まで学びに行くとなると時間と金のロスがあるから。
「だったら18回通ってこい」と。研修センターの経営も教える、末端まで教えるってことでそれも通って。いよいよ開講したけど1年目は1人で教えるのは無理だから本部の先生方を回すからってことで、そのかわり1年自分の分の売り上げはゼロだよと。

記者:ゼロですか!

山下:はい。でも最初だから自分も力が入って、仲間も業界にいるし宣伝もして80〜100人が来て。今覚えばあんなことしなきゃよかったですけどね、教えられないんです。実際一人で教えられるのがせいぜい15人が限度。ここ最近、それ以上は受けない。 
俺のとこには本州、名古屋、大分から学びに来たってのがいるわけですが、なんでなのかって言うと、教育用のグッズもある。あと、首が回らない人にシャンプーするとなると体が濡れても仕方ないってのが普通ですけど、水が漏れないような商品の開発もしています。あとは病院でのカット、シャンプー、ブローをしますが、普通にやってるカットクロスが小さくて仕方ない。車椅子に毛が一本飛んだだけで掃除する時間がもったいないんです。ベッドにも毛が飛んだら看護師さんがその後たいへんだし。

記者:病院のベッドでパーマとカラーもできるんですか?

山下:はい。
ある時、もう3日持たないと言われていたおばあさんの訪問理美容をした時があって。
3ヶ月頭洗ってないとどんなか分かりますか。コールタールみたいでそれにパーマかけるってなったら、いくら良いシャンプー使っても取れないんですよ。髪の毛がベタベタに固まってて、何度も洗ってパーマをかけたんです。
看護師さんが見にきてリップして、鏡を見せた。するともう96歳のおばあちゃんじゃなくて女性ですよ。立ち上がって6歩歩いたんです。
看護師さん達が「すごい!医者よりすごい!」って言って。その後3ヶ月して退院して、亡くなるまでの3年半の間、パーマやカット、シャンプー、ブロー、毎週呼ばれてました。いくたびに1万円。シャンプーブローでもその値段。あとで何か言われたら困るなと思ってそこの家のお嫁さんに相談したら「うちのばあちゃんはあんたが気に入ってるみたいだし、来てくれたら元気になる」って。
そういったことが噂で知れたのか、で当時テレビ局の人が良く取材に来てましたね。

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※訪問理美容「えみっと」のネーミングコンセプトや基本理念

2、3年くらい前から気づいたら「俺と巡り合ったら絶対今以上に稼がせて、うまい飯を食わしてやろう!」と、思うようになってました。講習で教えるのもより真剣になりました。「施設行ったらこう!在宅だったらこうだ!」って目一杯うるさく言う。

ある時若いやつ2人がとんでもない態度で、「帰れ!」って言ったことがあるんです。「いやー、金もらって俺もひどいことしてしまったな」って思ってたら、相手の会社の社長から連絡が来たんです。「講習中に帰れって言われるのは何があったか分かる。すまない」と。社長に言われて奴らまた来て「真剣にきっちりやらせていただきます」って言って。そこで俺も気付いたんですよ。真剣にやって、覚えた奴らがうまい飯食えるってことはそこに商品が流れるって。

記者:新しい仕事の開発ですね。

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※山下さん開発の、ベッド上でシャンプー、ブローができる商品を体験させてもらう記者

山下:後は、普通の理美容師って訪問にする時「時間が空いている時にやるから半額で」とか言うんですけどそれは絶対ダメ。経営の観点で言えばそれで給料払って行けるのか?って。技術者は安売りするなって。あなた方のために時間を合わせて来ているという考えになる。店より高くしなくてもせめて同等にもらわなかったらやってられない。後は腹の底にボランティア精神ガッチリ植えとかないと途中で嫌になります。 

記者:
あらためて、山下さんの夢やビジョンはなんですか?またそのきっかけは?

山下:小6で一生ハサミ持つって決めたんですよね。そこから2代目も誕生したんで、血の繋がった3代目を作るのが俺の仕事かなって。
このまま行けば10年後には同じ職場に立てるかなとも思っています。

他の仕事はやったことないけど最高の仕事ですから関わる人にもやって欲しいですね。どんな時でもコロナが来ても、髪の毛は伸びるわけですし。

それと、私にとって小樽の商売の神様がいて。今は亡くなっていますがトラック一台から仕事始めた人で、3日に1回必ず洗髪とシェービングでうちに来てたんだけど、その社長もどんどんビッグになって俺らぐらいの連中が「一緒に飯食いたい」って言って仲間で会を作ったんです。そしたら2年目から「お前が会長だ」って言われて、ビッグな人ばっかで俺なんか無理だってのに。でもそこで20年くらい自分が会長をやったんです。
その方が亡くなった時も、小樽にある典礼会社に「首から上は俺がやるから3日間触るなよ」って。
1000人くらいの葬式で弔辞も頼まれたんだけどみんなに言われたんです。「なんで山下が弔辞するのよ」って。でも間柄を知ってる人たちは「やっぱり山下だろ」って。

記者:すごい信頼関係がおありだったんですね。

山下:その方が商売のしょの字を教えてくれたんです。本気で怒ってくれて助けてもらった。
俺がハンコの重さ知らずに多額の借金背負ってどうしよって時に。3日間飯も食わない、寝てない、頭も朦朧としてる時に。社長がきて、俺の顔みて「なんだその顔は!お前の後ろに何人社員いると思ってんだ!バカもの」って言って帰ってった。翌朝の5時半くらいに社長に電話したら「来て良いよ」って。電話してくることも分かってて準備してくださっていたんです。さっそく行ってメモ用紙広げて真剣に聞こうとしたら、「一生の信用と金はどっちが重い?」って言われて「信用です」って。
「俺の言うこと三つだけ守れ。自分の会社潰さない、家族守る、人の借金守る。できるか?」「やります!」って。
「その額だったら半分の額を3ヶ月で持って来い」って。本店だけ残して、7店舗売っぱらったんです。そのうちの1店舗は1億のところを2000万円で売った。金がうんぬんじゃなくて、その人との約束。今までベンツやジャガーだったのが、3万円の軽自動車に変えた。社員に「恥ずかしいからやめて」って言われたけど。
そんな調子で20年で借金返済した。3年くらいは本当にポケットにバラ銭だけ。ラーメンも食いに行けなかった。ある程度経ってから親父が俺に、「あの時どん底だったべ」って。「うん、食う飯なかったよ」って。でも親父のとこは行かなかったですね。

記者:壮絶なご経験ですね。そんな山下さんが大切にされていることは何ですか?

山下:常にチャレンジしたい。22歳からすぐ独立して、24歳で支店を増やして。
できるもできないも自分の腹が決めている。できないやつはやらないって決めている。決めれば方法はたくさんあるし、できないって言えばなんにもできない。マイナスの理由ばっかりが出てくるし。

あとは恩送りをすること。やってもらったら返す。
18000人のお客様がいる中でカルテナンバー1番の人を今でも大事にしています。
まだ若い頃に隣の部屋に住んでた方で、船に乗ってて毎日は家にいなかった。奥さんしかいない時は俺が「ただいまー」って大きな声で言うと、ホッケのこったらでっけえやつ食べさせてくれた。大変な時だったからそれがうまくてうまくて。

また別のお世話になった方が、ハワイで脳梗塞になって飛行機でドクターと一緒に千歳に来た時があって。受け入れられる病院がないかって。仲間で医者がいるから頼んで、できること全部やって、入院の支払いも毎週して。それが今の山下秀治、やってもらったら返す。恩送り。絶対倍返ししてやろうって思ってますが本当にたくさんの方に恩をいただいていて、まだ成功してないですね。なんとか成功の道を一歩一歩上って来たかなって。

誰にも均等に1日24時間あります。彼女とデートしたい時はすればいい。でもそれだけやってて飯食えるわけじゃ無いんだからやる時は真剣にやろうって言ってます。うちの卒業生が357名いますけどそのうち70人が独立していて。その中の10人ぐらいまでは銀行まで一緒に行ってはんこつくからって言ってます。真剣にやる奴は真剣に応援して恩送りしたいって思ってます。

記者:素晴らしいですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

【編集後記】
インタビューをさせていただいた原田、瀬戸です。北海道で初のシチズン・オブ・ザ・イヤー賞を受賞、24歳の若さでボランティアにも着手していた点を認められての内閣府認定財団でのボランティア賞受賞など数々の受賞歴などをお伺いし、インタビュー前は大変緊張しましたが、朗らかで気前の良いお人柄とあまりのお話の面白さに終始笑いが絶えずあっという間に時間が過ぎてしまいました。現代人が失ってしまいがちな心意気と野心に触れさせていただき、多くの方に慕われる理由が良く分かりたいへん勉強になりました。これからも益々のご活躍を応援しております。

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