今、蘇る血②

日本競馬界の歴史に燦然と輝くバイアリータークの血。

競馬はBloodSportと呼ばれるほど「血統」が重要なものですが、日本の競馬は海外に遅れること○百年でスタートしたため、戦前、戦後と海外の血統を日本に導入する試みが繰り返されてきました。

もちろん、一流の血統を持つ種牡馬は来てくれません(買うこともできません)。そこで、一流の種牡馬にどこか似た血統の種牡馬を買ったり、お目当ての種牡馬を入手することができずその場での目利きで購入したり、というような時代が続きました。一流のオークションではなく、玉石混交の路上市から掘り出し物を発掘するイメージが近いかもしれません。

そんな中で、1960年代半ば、既に欧州では斜陽になっていたバイアリーターク系の「ある種牡馬」が日本に輸入されます。これこそ、日本競馬界の1970〜80年代を代表する種牡馬 パーソロンでした。

パーソロン

世界の競馬界では傍流の傍流にあたる日本競馬。この東洋の片隅で、パーソロンによりバイアリーターク系は大繁栄します。70年代以降の競馬はパーソロンなくしては語れません。そして、その最高傑作が、今なお史上最強馬の呼び声高い【皇帝】シンボリルドルフです。

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史上初の無敗のクラシック三冠馬※。

先行し抜け出し、完勝するという横綱相撲。

数々の伝説的なエピソード。

まさに「皇帝」の名前に相応しい活躍を見せた後、外国産種牡馬全盛の時代にあって、種牡馬としても初年度(90年代初め)に「トウカイテイオー」という名馬を生み出します。

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父と同じく無敗でダービーを制覇。

菊花賞を前に骨折し、そこからは故障と復活を繰り返す。

今なお語り継がれ、不滅の記録と言われる1年ぶりの出走でのG1制覇。

堅実で圧倒的だった父と異なり、人の感情に訴えるドラマティックホース。

そして、この2頭共が、海外に追い付くためにつくられたジャパンカップ(海外の一流馬を招待して開催される)で勝つという偉業を達成。(当時は偉業でした)

日本競馬界の隆盛はバイアリータークによる所が大きく、これからもその血は受け継がれていくと誰もが信じ、夢を見ていました。ルドルフ〜テイオー。そしてその次は?と・・・

③へ続く

※競馬では、3歳(人間でいうと高校生〜大学生位の時期)に、その時期にしか出られない3つのG1レースがあります。牡馬(♂)の場合、4月に行われる皐月賞(2000m)、5月末の日本ダービー(2400m)、そして10月下旬の菊花賞(3000m)。2000mは中距離走、菊花賞はマラソンのイメージで、スピード、スタミナ、夏を越して更に成長する成長力、そして、この全てを無事に完走する「運」が求められるもので、全てを制覇した馬を「三冠馬」と呼びます。100年以上の日本競馬の歴史の中で、たった牡馬の三冠馬は7頭しかいません。



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