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確かに図書館は不要なのかもしれない…

図書館をめぐる問題が噴出しているらしい。らしいとしたのはあまり聞かないんだよね、図書館不要論。
もし図書館が不要になって、市町に残る一次情報がどこでも手軽に読めるとなったら、さー便利だこと。ライターが古い文献の調べ物をするときにわざわざそこの図書館まで行かなくてもいいじゃんね。

が、少し考えてみるとゾッとする理屈だ。確かに1市につき図書館って2つも3つもある。東京など区に一つ以上あるんじゃない?また私設図書館なんてのもあるし。記事によるとなんと全国で3000箇所以上あるんだそうな。数だけ聞くとローカルのコンビニよりも多い。

図書館で新書を貸し出すのは反対だけど…

図書館で新書の貸し出しは反対だ。僕の住んでいる町は市民が年間2冊、好きな図書を購入してくれとお願いができる。それを図書館が購入して優先的に貸し出してくれるのだが、これは「情報のただ乗り」じゃないだろうか?

ライターなんて仕事をしてるもんだから、書籍化したいという方の相談を受けることがある。またブックライターとして仕事をお願いされることも。本を作るのは結構しんどい。情報のリソースをまとめるだけならいいんだけど、インタビューを記事化してくださいとか、ブログ記事をまとめ直して本にしてくださいとかは日常茶飯事。出版業界も売れなければ赤字なので発売後にキャンペーンを掛けたり、出版パーティーなんてのもある。売るための努力をしてるんだよ。しかも重版かからないと利益として挙げれないわけだし、作者も次を書く意欲を失ってしまうのだ。

いっそすべての公共図書館が出版される本をすべて買ってくれればとも考えるが、一日に出版される本は軽く4桁を超えるのでとてもそんなのは買えない。また、読みたい新書だけ置かれるので、公共施設としてどうなの?って疑問のつく新書や雑誌だって置かれている。

もっと問題になりそうなのは、図書館が今や高齢者のたまり場とかしている点。飲食を除けば何時間そこに居ても怒られないのだから、朝から晩まで図書館で新聞を読んだり本を読んだりする高齢者が多い事。
これでは本来のパブリックブックパークの意味をなさらない。本来なら子育て世代がそこを利用したり、学生が勉強する場であればいいのだが、老人たちはその様な若い奴を追い出すようなプレッシャーを掛けるのだ。

つまりは図書館の役割を時代に即して変化していけばいい。本屋で行う出版者のセミナーや読み聞かせ会、読書会を本屋だけでなく地方の図書館でやるのもいいんじゃないかな?著者も読者の顔が見れるし、パブリックだからと即売会をやらないのではなく、売上の何割かをバックしてもらう条件で場所を提供するのもありだと思う。これこそが稼ぐ公共、図書館ほどわかりやすい施設と売り物はない。

問題はデジタル化の逆にある

問題点を挙げるとキリがないんだけども、問題は老人が占拠していることではなくて、パブリックとしてあって当たり前だと思ってるところじゃなかろうか?

カルチャーコンビニエンスクラブ(以下ツタヤ)が運営する図書館が批判にさらされることが多いのだけれども、民間企業なんだから当然利益を追求する。その出先が公共であって税金、そしてツタヤは利用率を上げることが目的なのだから、結果を残している図書館は批判の矢面にたつ道理がない。

が、市史などの「回転率の悪い書籍」を捨ててしまうのはいただけない。これはツタヤ図書館が責任を持ってデジタルアーカイブ化して、後世に残しておかないと、それだけの予算もツタヤ図書館を作った市は持たないといけない。

でもね、デジタルって味気ない。この仕事してると、何かの書籍化って目指している人も多いし、自分自身どうだ?って話が来たら受けたい。書籍=世の中に痕跡を残すってことだから、やっぱり文筆業を営むなら目指したいよね。

アナログこそ地方が生きる道だ

で、図書館。先にも書いたけど、図書館が生き残る道は著者や出版者と組んで図書館でしかできないことやキャンペーンを打ってもいいんじゃないかな?また、古民家みたいな空き家を改装して小規模なスペシャリティーあふれる図書館があっても面白い。ただ税金で立案するんだから、事業内容をぼんやりした事ではなく、きっちりと市民に役に立つサービスとして提供するほうがいいんじゃないかと。そうすれば空き家問題も雇用問題も解決!本好きが住む小規模図書館で、そこがゲストハウスだったりしたら面白くないかしらん?

本ってアナログの代表をデジタルの時代に残すなら、あえて逆行して、作り込むのも話題になるしいいんじゃない?

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