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護られている

人生は薄氷の上を歩いているようなもの、いつ氷が割れるかわからない状況で毎日毎日をすごしている。人は常に氷が割れないやうに慎重に慎重に生きているつもりですが、じつは神仏→信じるものは割れない薄氷の道をあるかせてくれているのではないでしょうか→ただその事すら人はわかっていないだけかも、まるで自分の力で歩いているように考えています。
多くの人はそのご加護に対して敬意も感謝の気持ちもない、それでも信じるものは割れない薄氷の上を歩かせてくれる、しかし、信じるものにも限界があり、その事すらよくないと考えた時、薄氷は割れて冷たい水の中に落ちてしまう。そうでもしなければ気づかない人の愚かさかさでしょうか。

それとも生かされるという言葉に反発心があるのかな、確かにこの世では自分で生きているという確たる信念は必要ですが、その気持ちと同時に全ての恵みのお陰で生きていけるという気持ちが生きとし生けるものへの愛着を芽生えさせてくれるのでしょうね。

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