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【絵本作家】トミ・ウンゲラー(TOMI UNGERER)

大好きな絵本の一つである『すてきな三にんぐみ』の作家トミ・ウンゲラー。どの作品も非常に強いメッセージが込められ、少しシニカルで思慮深い作品です。おどろおどろしい雰囲気も多く、一瞬手にするのを躊躇しますが、読めば読むほどその魅力にはまっていきます。ウンゲラーの代表作になった本作品は、娘フィービーちゃんに捧げられて制作されました。

<来歴>1931年にフランスのストラスブールで時計職人の息子として生まれ、3歳で父と死別。フランスのアルザス地方のドイツ軍占領下で育ち、1956年に渡米し、ニューヨークで画家、漫画家、絵本作家、デザイナーとして、幅広く活躍。彼の主人公は蛇、ワニ、蛸、豚など、普通では主人公になりにくいキャラを採用するところ、ボッシュやグロスといった画家が好きだというウンゲラーの好みが表れています。過激な表現方法は批判の対象にもなり、70年代以降長い間子どもの本を描くのをやめてしまいました。カナダやアイルランドと居を移し、現在は故郷のストラスプール在住。フランスのアルザス地方ストラスプールに、「トミ・ウンゲラー美術館」も設立されている。1998年アンデルセン賞画家賞を受賞。本名:Jean Thomas Ungerer 日本では、トミー・アンゲラーとも称される。

**<作品リスト>**

The Mellops Go Flying (1957)
Mellops Go Diving for Treasure (1957)
Crictor (1958) 『へびのクリクター』
The Mellops Strike Oil (1958)
Adelaide (1959) 『アデレード ― そらとぶカンガルーのおはなし』
Christmas Eve at the Mellops (1960)
Emile (1960) 『たことせんちょう/たこのエミール』
Rufus (1961) 『こうもりのルーファス』
en:The Three Robbers (1961) 『すてきな三にんぐみ』
Snail, Where Are You? (1962) 『どこにいるの、かたつむり』
Mellops Go Spelunking (1963)
en:Flat Stanley (1964) — Jeff Brown著、イラスト『ぺちゃんこスタンレー』
One, Two, Where's My Shoe? (1964)『どこにいったの、ぼくのくつ』
Beastly Boys and Ghastly Girls (1964) — William Cole編、イラスト
Oh, What Nonsense! (1966) — William Cole著、イラスト
Orlando, the Brave Vulture (1966)
What's Good for a 4-Year-Old? (1967) — William Cole著、イラスト
Moon Man (Der Mondmann) (1966) 『月おとこ』
Zeralda's Ogre (1967) 『ゼラルダと人食い鬼』
Ask Me a Question (1968)
The Sorcerer's Apprentice (1969) — Barbara Hazen著
Oh, How Silly! (1970) — William Cole著、イラスト
The Hat (1970) 『ぼうし』
en:I Am Papa Snap and These Are My Favorite No Such Stories (1971)
The Beast of Monsieur Racine (1971)『ラシーヌおじさんとふしぎな動物』
The Hut (1972) 『ぼうし』
Oh, That's Ridiculous! (1972) — William Cole著、イラスト
No Kiss for Mother (1973) 『キスなんてきらいだ』
en:Allumette; A Fable, with Due Respect to Hans Christian Andersen, the Grimm Brothers, and the Honorable Ambrose Bierce (1974)
Tomi Ungerer's en:Heidi: The Classic Novel (1997) — ヨハンナ・スピリ著、イラスト
Flix (1998) 『フリックス』
Tortoni Tremelo the Cursed Musician (1998)
Otto: Biography of a Teddy Bear(『オットー ― 戦火をくぐったテディベア』) (1999)
Neue Freunde (2007)『あたらしい おともだち』
Zloty (2009) 

●『すてきな三にんぐみ』(1963年)作:トミ・ウンゲラー 訳:今江祥智

夜のシーンにどろぼうの三人組。ちょっとおどろおどろしい雰囲気ですが、最後盗んだものとその後の展開にぐっと来ます。最後に三人に似た塔が出てきますが、似たような塔をエストニアの首都タリンで見掛けました。

英語原題は「THE THREE ROBBERS」。とってもデザイン的で全く色褪せない素晴らしい作品。そして、日本語訳の方が素晴らしいという、稀有な作品で、大好きです。

おどしの どうぐは みっつ。

The first had a blunderbuss. (ひとつ、ラッパじゅう。)

The second had a pepper-blower. (ふたつ、こしょう・ふきつけ。)

And the third had a huge red axe. (そして みっつめは、まっかな おおまさかり。)

そして みっつの たかい とうを たてた。 みんなの すてきな さんにんぐみを わすれないため。 ほら ごらん。 まるで さんにんに そっくりだ。

These people built three tall, hight-roofed towers. One for each of the three rovvers.

●『ぼうし』

トミ・ウンゲラーの別の作品も読んでみようと手にしたのがこの作品です。表紙がのオシャレ具合と他愛もない「ぼうし」というタイトルにワクワクしました。なんでも助けてくれるぼうしの存在で幸せになる主人公がぼうしとの別れになったシーンは実はぼうしと出会ったシーンと重なります。

人生において大切なモノは何か、トミーウンゲラーは読者に問いかけます。

●「どこへいったの?ぼくのくつ」「どこにいるの?かたつむり」

この2作品はタイトル以外ほぼイラストのみです。素晴らしいクオリティのイラストで良く見ると靴やかたつむりが隠れていて、言葉を超えて楽しめます。

●月おとこ(原題:MOON MAN)

おどろおどろしいタイトルと表紙で、人に勧められなかったら、そしてトミ・ウンゲラーを研究しようと思わなかったら手にしなかった作品。原題の『MOON MAN』ならちょっとカッコいいけれど、『月おとこ』となると怖さが増してしまうのですが、何度も読めば読むほど味わい深いのです。月に関連した絵本は沢山ありますが、月の満ち欠けを組み込んだ作品は私が読んだ範疇では今のところこの作品のみ。

子ども達は「月のぼうや」と呼んでました。確かにちょっとお地蔵様っぽいぼうやっぽさがあります。

●『こうもりのルーファスくん』(Rufus/1980年)

”夜のいろ”の世界で暮らしていたルーファス君が、ひょんなことから「野外映画会」でカラー映画を観て、色を発見し、昼間の色に興味を持つ話。そんな色とりどりのモノに憧れて自分自身もカラフルにデザインしたルーファス君は、異物として捉えられ攻撃される。怪我をして落ちているのを発見するのは蝶コレクターのタータロ先生。介抱してやり、回復したルーファス君とタータロ先生は仲良しになり、モノクロ映画を観ていると自分の家が恋しくなる。明るい世界は自分の目には良くなくて、サングラスや頭痛の薬が必要になり、古巣へ戻る。自分の環境に合った日没後、タータロ先生の所へ行き"蝶集め"の代わりに"蛾"をとってあげたりして、ずっと仲良しだった。

トミの作品はいつも異質な者が主人公。誰しもが新しい世界を知って憧れるも、自分に合った環境が大切と知る過程が描かれている。蝶のコレクターのタータロ先生も、興味の範疇外のルーファス君とも仲良しになれるというのも示唆的。

●『FLIX』(フリックス) 作:トミ・ウンゲラー

上品な猫の夫婦に生まれたあかちゃんが、しかめっつらの赤ちゃんだったら…。というナンセンスから始まりますが、ぐんぐん引き込まれて行きます。

(文中の引用)ぺっちゃんこで、しわくちゃの顔。ほっぺたはたれてるし、目は出てる。「いや、これはどうも。なんとしよう・・・」とクラル氏がいうと「だいじにしてあげて。なんてったって、わたしたちの子どもじゃないの」とおくさん。

パパは「かくしょうがない。つれてかえるしかなし。馴れるしかなし。」という反応。”そのニュースはセンセーションをまきおこした。”という社会の反応。

社会に対してのパパの声明は「昔のことですが、うちの祖母が、パグとこっそり結婚していたといったうわさがたったことがあります。だったら その隔世遺伝のせいでしょうか」「思いもしなかったこととはいえ、わたしどもにとってはとにかく子どもができてうれしいことです」と立派なコメント。

両親が名付け親をイヌの町からやってきたイヌのクロップス博士に頼んだり、"両親からネコ語を教わり、イヌなまりながらも、ちゃんと使いこなした。"ネコの友達は誰も遊んでくれず、イヌの学校を選択。イヌのおじさんが、色々イヌの歴史について教えてくれる。平日はイヌの町、週末はネコの町の暮らし。ネコが溺れているところを、フリックスが泳いで助けた。そのお陰で、フリックスはネコ町で歓迎され一目置かれるようになる。平日イヌの学校で家事が発生し、ネコのように木に登り、フランスからの留学生を救出。イヌと恋に落ちる。センセーションなページは、ネコのレストランで「イヌおことわり」の看板が出ていたところ。

新婚旅行後、「ネズミ捕獲産業」に入社、イヌ町での業績を伸ばし、ネコ町の肉屋での売り上げ向上にも努める。政界入りも果たし、新生党「ネコ・イヌ連合」も作り、イヌ町とネコ町の統合運動にのりだし、教育の交流、言語の共通化、相互共生とネコ=イヌ同権も説いて回った。とここで、現代社会にもぐっと読者に当てはめさせる。

●『あおいくも』(Le nuage bleu)作:トミ・ウンゲラー

「くもは、しあわせで、いうことなし―だ。すきなように すきにいきていて、ほかのものが なにをしているのかなんて、ちっとも 気にしなかった。」・・・「ちいさなくもは、日ごと夜ごとに どーんどん 大きくなっていき― せかいじゅうのことが しりたいとおもって、海をわたり―」・・・

「あちこちに「あおいくもファンクラブ」まで、できていた。みんなは、ちいさなあおいくもって、べつのせかいからやってきたと おもっていた。・・・

「とおりでは、みんなころしあっていた。白いにんげんが 黒いにんげんをころしまくり、黒いにんげんが 赤いにんげんをころしまわり、赤いにんげんが 黄いろいにんげんをおいかけ、黄いろいにんげんが 白いにんげんをおいまわしていた。このひどいやりくちに おどろきあきれて、ちいさなあおいくもは だいじな「決心」をすることにした。 雨を ふらせはじめたのだ。どんどんざあざあ ふらせにふらせ、おしまいのひとしずくまで ふらせきると―くもは、きれいさっぱり なくなってしまった。地上では ほのおがきえて―なにもかも、だれもかもが、まっさおになった。みんながおなじいろに なってしまうと、だれもが あらそうのはやめて、なごやかに くらすようになった。みんなで どーんと おまつりをした。 こわれた ふるいまちの上に あたらしいまちが つくられた。 そして、ちいさなあおいくものことを わすれることがないように―どのたてものも みんな あおくぬられた。

また凄くウンゲラー節の利いた作品。肌の色が違うことで争ったり差別する現代社会を痛烈に批判するのみに留まらず、その解決策を提案。またそのあおいくもの健気なふるまいに心打たれます。

●『あたらしい ともだち』 作:トミ・ウンゲラー(75歳2007年)

今まで寓話的に描いて来た世界を、いよいよ具体的に黒人のラフィーとアジア人のキーとの友情をストレートに描いています。

それぞれの得意分野である大工と裁縫を活かして、どんどん"あたらしいともだち"を制作していき、次第にその作品に共感する友達が増えて行きます。一方で、制作の材料をゴミ捨て場で拾う姿を見た人が陰口したり、保健所と消防署の人に「火事になったら大変だから庭のガラクタを片づけて下さい」と言われてしまいます。そしてニュースになったことで、支持者も増え、遂に美術館の館長が評価し美術館へ譲ることに。二人は今でも仲良しの友達です。



●アデレード~そらとぶカンガルーのおはなし~

今までの怖い雰囲気の表紙ではなく、物凄くポップでビックリ。出版社のオーダーかしら??と思いきや、初期の作品。『クリクター』と近しい時期でフランスのオシャレ感が出てます。サラッと読むと、まあ普通と思いきや、やはり繰り返し読むとジワジワくるのがトミ・ウンゲラー。世界を飛び回って、自分を知るというメッセージが込められています。また、羽の生えたカンガルーという異質な存在の誕生に両親がビックリしたり、パリの街で"つばさのある 仲間たちが沢山いたり"、という人との違いの要素は孕み、泣いているシーンが幾つかありつつも、物凄くポップでハッピーエンドな軽いタッチの作品。

●クリクター(CRICTOR) トミ・ウンゲラー

初めて知ったのは、デザイナーが好きな本として挙げていたから。バーバパパに通じる感じ。(バーバパパは、1970年代にチゾンとテイラーが共にパリのリュクサンブール公園を散歩中、ある子供が両親に「barbe à papa(バーバパパ、フランス語で「わたあめ」)」と話しているのをテイラーが耳に挟んだ。アメリカ人のテイラーはフランス語が分からなかったためその意味をチゾンに聞いた所インスピレーションを受け、パリのカフェでいたずら書きした手紙からバーバパパが生まれた。ので、1958年に発表された本作の方が先となる)

でも、ペットをかわいらしいウサギなどではなく、蛇にしちゃうところが、ウンゲラーらしく、さすがの腕力。

●たことせんちょう(エミールくんがんばる)EMILE 作:トミ・ウンゲラー

これは、震えました。まず、奥付に、トミ・ウンゲラーの本名がまだ掲載されてます。そして、付録の本には、なんと三島由紀夫含む対談が掲載されています。日本の絵本のレベルを上げようと組まれた新プロジェクトの意気込みを目の当たりにして、絶句しました。

で、この


●『ラシーヌおじさんとふしぎな動物』

遂に私は本作を開いて、震撼しました。

多くの絵本は、自分の大切な人に捧げると記されていることが多く、トミ・ウンゲラーの作品は全て違う人に捧げられているのですが!なんと「かいじゅうたちのいるところ」で有名なモーリス・センダックに捧げられているではないですか!

さて、お話ですが、表紙からまた物凄い奇妙な象のような生き物が登場。タイトルでも"ふしぎな動物"と言っているので、いよいよ謎が深まります。で、そんなおどろおどろしい動物が表紙なので、また手に取るのを躊躇してしまったので、ちょっとラシーヌさんと仲良くなって、ソファーでお茶している絵とかはもう、いとおしさを感じてしまうほど心の変化があるんですよね。ゾッとするくらいの見た目で変わっているのに、それをもろともせず向き合う大人がいつもトミ・ウンゲラーの作品には登場します。そうそこから、バイクに乗って出かけたり、滑り台を一緒に滑ったり、ブランコに乗せてあげて、リボンまでつけてあげて。

●ゼラルダと人食い鬼

また、この恐ろしい表紙画と、タイトルが手に取るのを一旦躊躇させます。期待しないで開くものだから、一ページ一ページ非常に面白いのです。

「はい、このページで感じることを!」と私が言って、子ども達が次々に発見していきます。ベットサイドテーブルの下にお鍋のようなものが描かれていて、子ども達をこれは一体何だろうと議論になりました。そこへやってきたヨーロッパ人の夫が「これはトイレだよ。昔の家はトイレが外にあったから、夜中トイレ行くのは寒いし、これで用を足したんだ。因みにベットについてるカーテンも、断熱のだめなんだ。」と教えてくれました。私たちはてっきり夜中お腹が空いたら食べるスープがあるのかと思いましたが、なんとヨーロッパも日本もトイレが外とか家が寒いとか共通の悩みだったわけですね。。。あともう一つ、暖炉の前にいつも描かれているネズミ捕りみたいなモノが何だろうと話してたら、夫が「これは暖炉の火を強くするために空気を送る器具だよ」と教えてくれました。なるほど言われてみれば、そうだと分かりますが、楽器かなとさえ思いました。

そして、この本は思わず作ってみたいな~と思うような料理一面のページがあります。

ゼラルダは6歳で沢山の美味しそうな料理を作るのを何度も読んでいると、料理をしたくてうずうずしてくるから不思議です。おどろおどろしい雰囲気とは打って変わって、読み手に料理の魔法を伝える一冊でもあります。

人食い鬼と、ゼラルダのパパは同じように鼻が大きいのが特徴で、ハーモニーキッズたちは冒頭では「パパが人食い鬼なんじゃないか?」など想像が膨らみます。実際はひげが違うと見比べたりして、結果も別人だったわけですが、同じ地域で同じような民族の中でも、それぞれ違い(子どもを食べる嗜好の人とそうではない人)があるというのをウンゲラーは表現したのではないかと思いました。

●Otto: Biography of a Teddy Bear(『オットー ― 戦火をくぐったテディベア』(1999)


トミ「戦争ほど世界共通のテーマはない。絵本といえば撃たれた兵隊もちゃんと描いた。僕は子どもの時にこの目で見たのだから。」(雑誌「みずゑ」)

●トミ・ウンゲラーの絵本論

たくさんの教育者や児童専門家たちにとって、僕は危険をはらんだ怪物。大人をからかうことを子どもに教えている、悪夢のような存在です。子どもにショックを与え不安に陥れている、と責められます。ええ、その通り。しかし、トラウマ(精神的外傷)とは、わたしたちの気骨や独自性を発達させてくれる肥やしなのです。子どもに嘘をつくこと、偽善。それは、最も存在してはいけないこと。もし、子どもたちが偽善のなかで育てられたら、現実の社会ではまったくの無防備になってしまうでしょう。人間は、酒も飲むしタバコも吸う。鳥たちは争い、叫び、そしてくだばる。子どもはそれを観察する。子どもは、赤ん坊が何処から来るのかは知っているけれど、大人というものが一体どこから生まれてくるのかはわからないのだから。僕のつくる絵本は、現実離れしたファンタジーをふんだんに伴いながらも、ありのままの世界を見せています。幻想がなければ、子どもはそれだけで気が楽になり、自分は完璧でなくてもいいのだと知って安心できるのです。間違いは、正すことができる。人生において、だれもが自分の力でチャンスを築くことが出来る。だれもが他の人にはない何かを持っている。みんなが平等で、みんながそれぞれ違うのです。2004年2月19日ドイツ南西部のカールスルーエ古代学にて名誉博士号の学位授与を記念して行われた講演より抜粋>(季刊みづゑ2004年11号)

2004年発行の『みづゑのレシピ絵本のつくりかた2』(貴田 奈津子 著、みずゑ編集部 編、美術出版社)の中で、ヘビや強盗、人喰い鬼など悪者や嫌われ者を主人公にしたことについて、「子どもたちに完璧でなくてもいいんだってことを伝えている」とインタビューに答えています。(雑誌みずゑインタビュー)

「善と悪のあいだには、非常に多くの可能性があって、そこに興味をもっている。絵本の多くは、子どもに罪悪感を与えるが、僕の絵本は『悪者でもいいんだな。人喰い鬼でも子どもを食べるのを止めてもいいんだ。意地悪でも孤児院のための家をつくることができるんだ』って感じることが出来る。わかるだろ?僕の本は、完璧でなくてもいいってことを伝えている。」(雑誌みずゑインタビュー)

「貧困、飢餓、暴力などについての絵本をもっとつくりたい。子どもはテレビを見るだろう?だから戦争はむごいことだって伝える絵本を作らなければいけない。戦争ほど世界共通おテーマはない。暴力、不公平、戦争。僕は絵本のなかでそれらを見せている。『キスなんてだいきらい』は、米国で最も悪い絵本と判断されたんだ。ごらん。トイレで本を読む、酒を飲む父親、殴り合いのケンカ、体罰。ほとんどのページに英米の絵本界では嫌煙すべきタブーが描いてある。でも、僕が見せたのは人生における真実だ。あどけないおとぎ話だけじゃないってことだ。多くの絵本は愛らしいウサギちゃんを見せるだけで、真実を伝えない。勿論中には、ビアトリクス・ポターのように美しい絵本もあるよ。ナイスで可愛い、きれいだよ。でもそれは真実じゃない。」(雑誌みずゑインタビュー)

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