どうしてHAREOKEができたのか、の話

大切な近しい知人が亡くなりました。
これを書いているわたし自身が、逃げも隠れもせずに希死念慮と共に生きているひとりとして、文章を出します。

友人たちの死を美化して自分勝手に消費する目的は、わたしには微塵もありません。どうか穿ったバイアスがかからず、事実としてそのままを受け止めてもらえることを望みます。

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みなさま、
この文章に辿り着いてくれて、見つけてくれてありがとうございます。

わたしは ふき といいます。
本名です。春生まれなので、蕗のとうの ふき です。

わたしは京都でHARETOKE(ハレトケ)という小さなアトリエをつくっています。
アトリエで何をしているかというと、子どもたちが自由に絵を描いたり工作をするのを眺める仕事をしています。
「ふきちゃんはアトリエに来てぼーっとする仕事をしてるんだと思っていた」と、ある小学生が言いました。

その通りです。わたしの大事な仕事に気づいてくれてありがとう。

HARETOKEは、2022年2月1日に始まりました。
コロナ禍真っ最中に急いで部屋を見つけて行き当たりばったりで始めてから、1年で900人近い人が出入りする場所になりました。


「なんでやろうと思ったの?」と、聞いてもらうことが多くなりました。


実は今まで、本当のことを誰かにちゃんと伝えたことはありませんでした。とても重々しくて、人によっては苦しいお話になるので、伝え方を迷っていました。

そうなんです、人が隠していることは重くて苦しいです。
ただそれを言わないとわたしがやろうとしている事がうまく伝わりません。

約束です。文章を読みながら「しんどい、やばい」を感じる前に、どうか無理はしないで逃げてください。
全部受け止める必要はないですし、無理や我慢はここでは必要ありません。

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わたしは、小さい頃から空想や妄想と一緒に暮らしていました。
お風呂場はわたしだけの秘密の洞窟でした。絵本を読んだら一日中でもそのお話の中で暮らすことができました。
工作を始めたら「できずに悔しい」と涙が出るまで熱中しました。
物語をつくるのが得意でした。特に、本当じゃないことを本当のことのようにお話したり、誰かをたのしませるのが大好きで得意でした。

つくることはわたしが家の中で起きている暴力から逃げる手段で、誰からも褒めてもらえることでした。

暴力は自分の気持ちに気づくことや、痛いことや苦しいことを麻痺させます。
自分が悪い、と思い込みます。
本当のことを知られることで誰かに嫌われたり、これ以上の暴力を受けることが怖くなり、人に合わせるようになります。
感じる心の余白を奪います。

高校生になってから家から物理的に距離をとれるようになりました。始発から終電まで学校にいて、ずっとつくることができました。友達ができました。

大人になってからも、人間関係を含めて何かをつくることから離れたことはありません。

そんな中、コロナがやって来ました。
ナイトワークに従事していたわたしの仕事は不要不急の娯楽産業であり「本質的に不健全」なものとして保証なく無くなりました。


ある人が言ってくれました。「あなたがやりたいことをやってみたら?」


27歳でやっと暴力から逃げ出せたわたしは、つくることに原因不明な怒りをぶつける以外、自分の好きなことを自分の意思で始めたことがないことに気づきました。

そこで、小さい頃に通っていて楽しかった思い出の絵画教室を自分でやりたい、と決めました。
それがHARETOKEです。

もっと年を重ねてからの趣味として始めるつもりでしたが、急ぐことに迷いはありませんでした。
むしろ、今すぐ始めなきゃ!と思う理由がありました。

コロナ禍になってから、若い女の子の自死率が急増していることを知ったからです。

わたしが知っている孤独が若い子たちに拡がっていること。
誰かがひとりでお腹を空かせていたり、さみしかったり、隠れて涙を流しているのを知っているのに何もしないでいるのは、わたしには耐えられそうにありませんでした。

今、一生懸命無理して笑っている子。
本当はすごく寂しくて苦しくて今にも消えてしまいたいと思っている子。
周りに誰もいなくて、誰かといても自分のことをわかってもらえなくて、ひとりぼっちを感じて逃げ場所を探している子。
みんなわたしです。

自分のことを助けたい、と思いました。

若い子だけではありません。
わたしの父親のカルテに書いてあった「希死念慮有り」の字面が浮かびます。
死は、コミュニケーションを見失いバラバラになったわたしたち父娘の共通点でした。
家族と一緒にいても、家にいても、子育てしながらこの世から消えてしまいたい、と思っている人が現実にいるということを地肌で感じた出来事でした。父の本音を目の当たりにして、親だと思っていた人が、ひとりの人間になった日でもありました。

暴力は人から見えないところで始まり、気づかずに大きくなります。

分かり合える唯一のコミュニティーにいることで心を保てていた人たちの逃げ場所が、コロナのせいでいよいよなくなるかもしれない。
暴力や孤独がもっと見えなくなってしまうかもしれない。

なので、自分で場所をつくろうとはじめました。
小さくてじゅうぶんで、誰かがいて、すぐに逃げこめて、何もしないで過ごせる場所になれるように。

アトリエの入り口に赤い提灯をつけました。

こども110番の家はあるのに、大人110番の家はありません。
暗い高校からの帰り道、どの家の灯りも自分のためのものではありませんでした。
どこかのお家が「ここにきてもいいよ」と赤いランプを照らしていてくれたら、当時のわたしはきっと救われたかもしれないという思いから、大人も来られるように居酒屋の赤提灯にしました。



わたしがなにかを始めたからといって、若い子とおじさんの自死率はおそらく減りません。
おじさんと、おじさんに加担する人たちがつくった社会のルールでおじさん達は自分の首を絞め、
馴染めない若い子たちはエスケープするしかありません。

そんなの絶対違います。わたしは楽しくありません。

なので、わたしは小さいアトリエで自分が得意なつくることをみんなとすることを決めました。
ルールも自分たちでつくれるように。しんどいことや人と違うことを話ができて、自分で快適を決められる関係をつくれるように。

楽しいことは早くにたくさん経験しているに越したことはありません。
わたしは大人になってから自分の楽しいを選べることを知りました。たまたま大人になれたからです。もっと早く知ってたら、と思います。
後悔はしていません。小さい頃のわたしが体験できなかったことを、今、みんなとできているからです。

おじさんの証明写真をキラキラキーホルダーにして、500円で売ることにしました。
売れたお金はアトリエの子どもたちが使える道具やおやつに変えています。


おじさんだってキラキラしていいし、わたしだってキラキラなおじさんや父親を好きでいたかったです。
子どもたちは屈託なくキラキラなおじさんキーホルダーに興味を持ち「可愛い、欲しい」と言ってくれます。
それで、じゅうぶんです。キラキラなおじさんで誰かが笑うことが、わたしには楽しいのです。


わたしの近くにいた、一緒につくっていた子、自分の好きな人を自分で選んでいた子、優しくて頑張りすぎながら笑っていた子たち。わたしの知ってる、自分で死を選んだ人たちです。
もう会えないんだなぁと思いながらも連絡先は残ったままです。


死生観は人によって色々あれど、「自分で死を選んではけない」などと、わたしはおこがましくて言えません。
当時の苦しい気持ちを知っているわたしが、彼らが自分でやっと選んだ逃げ道の手段を、最後まで否定するのは違う気がしています。


今、楽しいことを選んでいたら。
誰にも否定されない場所があれば。
逃げ場所があれば。
みんながそれを知っていたら。


何かを始めるなんて独りよがりでいいんでしょうし、隠さず自分の好きを言えて、好きを自分で決められるってことがどんなに心地良いか知れただけでも、わたしはたまたま大人になれてちょっと良かったと思っています。

アトリエができてから、「今、自分が何が楽しのか」を自分とお話するのが好きになりました。

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自分の快適は自分で決めていいです。大丈夫です。無理に楽しくしなくていいです。我慢して人に合わせなくていいです。

心が感じることをストップしてしまったら、それは死ぬこととおなじです。

ご飯を食べて(できれば誰かと食べて)、いっぱい寝て、遊んで、生きてくだけで大丈夫です。それが生活です。

どうかこのアトリエが必要だったら、逃げてきてください。人手もお金も足りないので、夜は閉まっています。一番しんどい夜から明け方まで、一緒にいられなくてごめんなさい。
朝まで音楽をきいてみてください。
音楽の情報量が辛かったら、朝まで自分とお話してください。
「頑張れ、お前がわるい」と責めないであげてください。「しんどいんだね、そうなんだ」って聞いてください。
息が詰まったら、ため息をめいっぱいついてください。涙がでていいです。


元気がなくてなにもかもうまくいかないのは、お腹がすいていたり天気が悪いせいにしてください。あなたはちっとも悪くないです。


しんどいと誰かから打ち明けられた人は、そのまま受け止めてください。アドバイスはいりません。すでに頑張ってるひとが、やっとの思いであなたを選んで伝えた「しんどい」です。必要なのは大事な事実をただ受け止めるだけで、一緒にいてくれたらそれでじゅうぶんです。


とにかく、嫌なことやしんどいことから、逃げてください。


HARETOKEは、ただそこにあるものを受け止める、ちいさな箱です。
自分のことは自分で決めても大丈夫です。
自分が今、楽しいことを選べます。


HARETOKEをつくったふきさんはアトリエで子どもたちと過ごしながら、
一貫して自死とそれを取り巻く環境について考え続けています。


そんな場所です。知っていてくれたら嬉しいです。

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