迷子になる夢を見て思い出したこと。3
大学受験。
当時は、男子は大学。
女子は短期大学か専門学校。
が主流だった。
もちろん、女子でも大学行く人もういただろうけど、私の周りは短大か専門。
将来何になりたいか。
私にはわからなかった。
一番の夢は家から出ることだった。
自立したい。
だから、なんなら働きたい。
でも、就職する人はごくわずかな中、自らその選択をする勇気がなかった。
当時、ケーキ屋さんでアルバイトをしていた。
そこで、入れ替わりにシフトにはいる年上の人が、栄養士の学校へ行っていた。
その仕事にものすごく興味があったわけではないが、私が知っている職業で、私が知っているここからの枝分かれの道の中で、一番自分に近い気がした。
料理番組や料理本を見るのは昔から好きだったし。
なんとなくそれを目指すことにした。
なんとなくで目指しているから、特になんの対策もしない。
しないし、知らない。
私は、受けた栄養学科の短大2校とも不合格となった。
もう周りはほとんど進路が決まっている中、進路が決まっていないのは、私くらいになった。
小学生から中の中の上くらいのレベルで、目立つことなくやっていたのに、初めての落ちこぼれを経験した。
周りの同情の目が辛かった。
本当はあまり何も思ってなかったかもしれないけど。
進路指導室によばれ、進路指導の先生と話す。
ほぼ、初対面の先生に色々聞かれる。
結果。
英語の成績だけが他のよりもぐんといいので、英語科を勧められる。
英語科の二次募集。
試験の前に、英語科の学科長と特別に面接ができるとのこと。
今、考えるとありがたい話なのに、これにもほとんどなんの準備もしないで臨んだなぁと思いだす。
英語科に入れたら、あんなこともこんなこともやりたいんだ!ってことが何一つなかったのに、面接私、何を話したんだろう。。。
そんなんで、入れた短大の英語科だけど、結果2年間、これといった成長もなかった。
1ヶ月行ったハワイの短期留学も全然楽しくなかったし、いまだに父には、「お前にはすごく金をかけた」と言われる。
兄は、高卒で働いたから。
だから、私が「お金がかかった」ことになっている。
あの当時の「普通」なんて、父は知らない。
母はきっと、興味すらない。
ただ、このおかけで就職ができたのだと思う。
就職活動もなんのやる気もなくやって、落ちまくったけど、当時付き合っていた人が喝をいれてくれた。
「自分だったらもっと、何をいうか、どうしたら受かるか考える。」と。
ありがたいな。
そして、同じ短大から毎年採っているという会社をみつけ、面接後、採用していただけることになった。
密かに憧れていた「出版」の文字をみつけたのがそこを受けた一番の理由だった。
(入ってみたら全然関係ない仕事だったけど。)
就職してからは、すごくすごく頑張った。
お給料も当時にしてはよく、就職してから毎月お金を貯めて、その年の1月頃には念願の一人暮らしをスタートさせた。
この時が一番頑張ったし楽しかったな。
そして、迷子の話は次。
短大入学前の話に戻ります。
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