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HIGASHI TOKIO RIOT PART6

事実を事実のまま 完全に再現することは
いかにおもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも
はるかに困難である
(アーネスト・ヘミングウェイ)

これは事実談であり……この男(MUNE)は実在するッ!!


部活なんか行ってる場合じゃなくて

―野球はどれくらいまでやってたんですか?
MUNE 野球は(小学校)5年6年なんですよ。地元のチームで「ヤングマン」と「イエローサブマリン」「東洋クラブ」っていう3チームがあって。イエローサブマリンってあの歌がすぐ出てきちゃうからカッコ悪いなって思ってて。ヤングマンも(西城)秀樹じゃないですか。東洋クラブって普通にカッコいいなって。ただ小5から(の入団)だと若干いまさら感もあって。
―それまで自分でチームを率いてたわけじゃないですか。
MUNE みんなイヤだったんじゃないかなあ。俺、けっこういばりくさってて、荒っぽいことで有名な感じだったから。
―東洋クラブはすんなりなじめました?
MUNE 他の小学校の子は俺に対しての予備知識がないので、その子らと仲よくなりましたね。少年野球ってチームで3人ぐらいしかうまいやついなくて、外野とかはほんとザルなんで、すんなりレギュラー取れて。守備ぜんぜんうまくないんですけど、バッティングがまあまあよかったんで、6番(打者)で。
―守備はライトで。
MUNE ライトですね。ボール飛んでこないから楽だろうと思ってたら、ファーストのカバーに行かなきゃなんないっていうのがあって、めっちゃ疲れるわって。ヤな思い出がありますね(笑)。
―小学校で野球は終わりですか?
MUNE 東洋クラブの中等部に進むか、部活の野球部に入るかっていう2択なんですよ。で、どちらかを選ぶつもりでいたんだけど、何故かみんな中学の陸上部に入っちゃって。「じゃ俺も陸上部入ろ」って、何のゆかりもない陸上部に入ったんですよ。つられちゃって。
―そこで野球はいったんお休みで。
MUNE そう。東洋の中等部に行ったら、先輩とかいるのもちょっとヤだなあとか思って。で、野球やんなくなっちゃって。
―陸上は好きだったんですか?
MUNE ぜんぜん(笑)。ただ何か部活に入らなきゃいけないみたいなのが昔はあって。帰宅部なんてみっともないじゃないですか。で、とりあえず陸上部に入ったんですけど、陸上にはまったく興味なかったですね。
―すぐに練習いかなくなるんじゃないですか?
MUNE 中2の中盤くらいまでは行ってたかな。試合で1500m走に出たんですよ。ドンケツの下位争いで団子になって走ってて。その中で俺はちょっと余裕があって、最後の直線で思い切り走ってぶっちぎったらスタンドが湧いたんですよ。ご満悦で帰ったら、先輩に「何で最初から早く走んないんだよ」ってめちゃくちゃ怒られて。西川って先輩がいたんですけど、ムカついちゃいましたよ(笑)。
―余力を残してんじゃないよと。
MUNE 今となったら先輩の怒る理由が100%わかるんですけど、そのときは「明日から練習行くのやめようかな」って思ってました。
―お客さんも湧いてるし、いいじゃないかと。
MUNE どうせ勝てないってあきらめて出てるんだからいいじゃないかって。でもあきらめるのはダメなんですよね。

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―中1中2の頃って夕方のテレビが面白くなって来る頃じゃないですか。

MUNE そうですよ。夕やけニャンニャンが始まったら、陸上部の練習なんか行かないですよ。
―夕やけニャンニャンは初期からご覧になってました?
MUNE 見てました見てました。オールナイトフジはすでに見てたんで(※1)。満を持して始まったなって。1週目から見てましたね。
―初期メンバーがタバコでいなくなる(※2)前から。
MUNE 榎田とか吉野、好きでしたよ。初期メンバーがはじめて雑誌に取り上げられたのってDUNK(※3)とかなんですよ。DUNKでメンバーの顔とか名前が出て、「ああやっぱ吉野がいいなあ」とか思ってたら、すぐその事件があって。
―当時は急にいなくなってびっくりした感じだったんですか?
MUNE びっくりしましたよね。そんな事あんのかみたいな。高部知子の一件(※4)もあったし。おニャン子、とんねるず、この辺に当時はハマって。
―毎日夕方5時になったらテレビ見てみたいな感じで。
MUNE そうそうそう。毎日録画してましたね。
―あの頃のまわりの中学生男子は、みんなとんねるずを好きだったんですか?
MUNE みんな好きでしたよ。とんねるずはすごかったですよ。
―オールナイトフジをご覧になってたなら、カメラひっくり返したとき(※5)もご覧になってたんじゃないですか?
MUNE 見てましたよ(笑)。一気の時ね。ベストテンに出るときもちゃんと見てましたし。我らのエースって感じでしたよね。暴れてほしいんですよ、とにかく。とんねるずとおニャン子はハマって、中学時代はそこにいろいろ注ぎ込みましたね。
―レコードも買ってました?
MUNE レコードも買ったし、映画も初日に並んで見に行きましたね。「そろばんずく」と「おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!」は上野で並びましたよ。「そろばんずく」がまた面白くなくてねえ(笑)。森田芳光のへんなシュールな感じで。「おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!」も面白くなくてねえ。
―面白くはなかったですね(笑)。
MUNE あとは「スケバン刑事」とか。中学だとそのへんになっちゃいますよね。「スケバン刑事」よりも「スケバン刑事に出てた人」が好きで。南野陽子、浅香唯、あとは風間三姉妹とか。レコードも買って。ドラゴンクエストIIIは「ゆい」「ゆま」「ゆか」で冒険しましたからね。
―アハハハハ! 「スケバン刑事 PARTIII」お好きだったんですね。
MUNE 好きでしたね。「STAR」も買いましたよ、浅香唯の。♪シューティングスタ〜ってやつね。表面は浅香唯なんだけど、ひっくり返すと風間唯になってて。浅香唯もかわいかったなあ(笑)。

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かつてコアチョコでリリースした「初代 麻宮サキ -スケバン刑事-」Tシャツ。残念ながら現在は廃盤。


俺の好きなタイプはこれなんだなって

ーこれは毎日忙しいですね。
MUNE で、中3で南野陽子に異常にハマるんですよ。2枚組のCD(※6)を買うんですけど、1枚目は普通のアルバムで、2枚目はクイズになってるんですね。「あなたはどっち?」って。○○だったらトラック5へ、××だったらトラック6へみたいな。相性診断みたいなやつだったんです。それを異常にやってましたね。ぜんぶのパターンを試しました。ぜんぶ聞きたいから(笑)。またヘッドフォンで聞くと生生しいんですよ。ナンノが「あ〜○○しちゃったな〜」とか語ってて。
―すぐ近くてしゃべってるような。
MUNE そうそうそう。それは思い出深いなあ。中学の頃って好きなタレントがコロコロ変わってたんですよ。おニャン子もひとりの推しがいるわけじゃなくて。
―絶対王者君臨的な感じではなかったんですね。
MUNE 最初は内海で、立見にちょっと行ったこともあったし、福永好きになったこともあったし。で、もちろん美奈代、満里奈、最終的には高井麻巳子になったんですけど。おニャン子って2年ぐらい(※7)だけどそれぐらいころころ変わってるんですよ。そのあとも南野陽子を好きになったり、浅香唯好きになったり、杉浦幸好きになったりとか。
―杉浦幸もあったんですか(笑)。
MUNE ありましたよ。「悲しいな」って曲が最高で。矢野有美も好きだったし、菊池桃子も好きだったし。可愛い女の子がとにかく好きだった時期ですね。
―いろいろ好きになってたんですね。
MUNE そうそうそう。でも好きにならなかったのは早見優、堀ちえみ、石川秀美。理由はないんですけど、そこにはまったくハマらなくて。

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―このタイミングで高岡早紀が出てくるんですか?
MUNE そうそう。やっぱ自分の好きなタイプはこれなんだっていう風に思ったのが、高岡早紀で。
―いちばん最初の出会いは何ですか?
MUNE いちばん最初に見たのは、マドラスのCM(※8)で。高岡早紀を意識するようになったら、なぜかテレフォンショッキングに出たんですよ。誰も知らないような状態で。若い女が出てきたけど、客は全員知らないみたいな。で、タモリさんとのまったく噛み合わないトークを標準で録画しましたよ。
―うわー(笑)。
MUNE で、そのあと「バタアシ金魚」でおっぱいが注目されて。「俺は違う注目の仕方なんだけど」って思ってました。高岡早紀をおっぱいとして見るなって。
―顔が好きなんですか?
MUNE そうです。あとポニーテール。
―歌もいいんですよね。
MUNE 歌もいい!
―当時はまわりでもすごい人気だったんですか?
MUNE そんなことなかったですね。やっぱみんな深堀りしないんですよ。Momoco(※9)とかDUNKとか買ってるの俺だけでしたもん。みんなアイドル雑誌買ってる様子はなかったですね。「アップトゥボーイ買ってます」みたいなのはいなかったような気がするな(笑)。Sugar(※10)とかも買ってましたし、ORE(※11)も大好きで。そういうグラビア誌が好きでしたね。
―昔はいろいろアイドル雑誌があったんですよね。
MUNE まわりのみんなはもっとエロに行ってましたね。ヤンマガとかヤンサンの巻頭グラビアとエロ本を見るみたいな。DUNKとかOREとかって、その中間じゃないですか。そこはみんなあんまり買ってなかった気がするなあ。
―アイドルの話とかを共有できる人もそんなにいないような感じで。
MUNE そうですね。だから「アイドルに異常にくわしい人」として見られてましたね。わらべの倉沢淳美がソロデビューするときに、友だちが「俺シングルもう買ったよ」って言ってるのを聞いて、俺が「いや、まだ発売されてないけど」って否定したら、ちょっと気まずくなったこともありましたね。
―言わずにいられなかった(笑)。
MUNE そうそうそう。「俺は発売日知ってるけど、なんでお前持ってんだ、そんな訳ねえだろ」って。そういうのは許せなかったんですよ(笑)。嘘は昔から嫌いなんで。嘘はよくない。

<HIGASHI TOKIO RIOT PART7 につづく>



【本文脚注】
オールナイトフジはすでに見てたんで(※1)
「夕やけニャンニャン」放送開始前に実験的に「オールナイトフジ女子高生スペシャル」が放送されており、MUNE氏はこちらもチェックしていた模様。
初期メンバーがタバコでいなくなる(※2)
喫茶店で喫煙している様子を週刊文春に撮られ、初期メンバー5人が解雇された事件。異常に詳しいwikiはこちら▶https://bit.ly/3yaHPM5
DUNK(※3)
集英社から発行されていたアイドル雑誌。筆者も毎号購入し、隅々まで読んでいた思い出の雑誌。徐々におニャン子情報が増え、1987年は1年通しておニャン子メンバーが表紙を独占するという異常事態が発生。
高部知子の一件(※4)
わらべの長女「のぞみ」として人気絶頂だった高部知子のベッドでのくわえタバコ写真がFOCUSに掲載され、欽ちゃんファミリーを脱退するに至った件。著書「告白 ハンパしちゃってごめん」では「タバコは演技の練習で、実際は喫煙していない」と書かれているが真相は闇の中。
カメラひっくり返したとき(※5)
とんねるず(石橋貴明 当時23才)がオールナイトフジで「一気!」を歌いながら、ふざけてカメラを揺さぶって倒し壊してしまった件。なお、この事件が起きた85年1月19日は石川梨華の出生日でもある。
2枚組のCD(※6)
1988年7月にリリースされた「GLOBAL」のこと。限定盤CDは2枚組仕様で、もう1枚のCDには「なんの相性診断げえむ」が収録されていた。
おニャン子って2年ぐらい(※7)
夕やけニャンニャンは1985年4月から1987年8月までなので、2年5ヶ月の放送期間。奇しくも初代タイガーマスクの活動期間も2年4ヶ月と近いものがある。目のくらむ閃光を放ちながら日本中を虜にし、燃え尽きる星の寿命はこれぐらいになるのだろうか。ちなみにW★ING(第2次)は2年7ヶ月。
マドラスのCM(※8)
https://www.youtube.com/watch?v=h2v9XbZ4hxU
Momoco(※9)
学研からから発行されていたアイドル雑誌。創刊号の表紙は菊池桃子。当時の筆者はBOMBと合わせて毎号チェックしていた。どことなく上品なイメージがあり、読んでいると何となくかしこくなった気がした。
Sugar(※10)
考友社出版から発行されていたアイドル雑誌。他のアイドル誌とは一線を画すいかがわしい表紙デザインが筆者は大好きだった。筆者の地元(愛媛県宇和島市)ではエロ本コーナーに置かれており、それはそれでとても馴染んでいた記憶が。
ORE(※11)
講談社から発行されていたアイドル雑誌。南野陽子を中心にした「スケバン刑事」出演者やミスマガジン勢を惜しみなく投入したグラビアは圧巻だった。宮沢りえ特集号はあまりの衝撃に、財布の小銭をかき集めて衝動買いした。

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