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HIGASHI TOKIO RIOT PART9

事実を事実のまま 完全に再現することは
いかにおもしろおかしい
架空の物語を生み出すよりも
はるかに困難である
(アーネスト・ヘミングウェイ)

これは事実談であり……この男(MUNE)は実在するッ!!


勉強は意識的にやんなかったです

MUNE 小学校5年でクラス替えがあって。新しいクラスになると、それまでの関係がなくなるじゃないですか。
―リセットというか。
MUNE それでクラスを越えて友だちと遊ぶようになったら、付いて来てくれたブラックファイターズの面々ともバラバラになって。新しい友だちとはジャッキー・チェンとかキン肉マンとかそんな話題なんですよ。ウルトラマン、仮面ライダーは卒業しちゃってますから。
―男子はみんなジャッキーやキン肉マンに興味が行っちゃう感じでした?
MUNE いやーパソコンに行っちゃう人もいるし、あと恋愛の方に進むやつもいるんですよ。
―異性の方に。
MUNE そうそうそう。女の子とグループ交際でいっしょにプール行ったりとか。そういう感じでちょいちょい出てきましたね。
―そっちには興味なかったんですか?
MUNE いや、ぜんぜん興味ありましたけど(笑)。告白するってのが絶対ムリすぎて。小学校で付き合ってるやつもいたんですけど。

―おお!
MUNE 付き合ってるやつらはお祭りとかにふたりで行くんですよね。こっちは男ばっかりで型抜きとかやってて。テキ屋のおっちゃんとなかよくなって、店番やってちょっと小遣いもらってましたね(笑)。
―学校の勉強はけっこうやってたんですか?
MUNE ぜんぜんやんなかったですね、ほんとに。もう意識的にやんなかったです。うちの母ちゃんは教育熱心な人だったんで塾に行かせるんですよ。塾は小3ぐらいから行かされてたんですけど、ぜんぶバックレちゃうんです。
―何の塾に通ってたんですか?
MUNE ふつうの学習塾とかに行ったんですけど、途中でズル休みするんですよ。何回もそういう事があって、「行きたくないんだ」っていったら、じゃあいいよって。だから成績で言ったら中の下ぐらいでしたね。だけど図工とかは褒められてました。
―小さいときから絵を描くのとか好きだったんですか?
MUNE 好きでしたね。方眼紙を使って好きなものを作るっていうのがあって、サンシャイン(※1)作りましたよ。けっこう大きめの。
―すごい!
MUNE で、卒業制作でクッションを作るんですよ。クッション状のものなら形は何でもよくて。俺は格闘ダミー人形を作りましたね。
―あははは!
MUNE 人より綿をいっぱい使わなきゃいけないっていうハンデはあったんですけど作り上げましたね。そういう自由な発想でずっとやってました(笑)。あと女子からはいつも冷ややかな目を向けられてました。

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―そうなんですか(笑)。
MUNE やっぱりやんちゃだったし、ガキ大将的な感じで見られてたんで、やることすべて冷ややかな目で見られてました。そういうのを「個性が際立っててかっこいいわ」って思うのって、中学生くらいになってからじゃないですか。その時はただの変わり者みたいな。
―わははは! リアルタイムでそう感じてたんですか?
MUNE 感じてましたね。プロレスごっことかやってると「何この人たち」みたいな目で見られてて。「面白そう」って観客になって見てくれるような女子はひとりもいなかったですよ。冷たい視線を常に浴びてました。
―男友だちとは楽しくわちゃわちゃやってる感じで。
MUNE ラジコンが当時流行ってたんで、みんなでラジコンを買いに行ったり。秋葉原まで自転車で30分ぐらいなんで、放課後アキバ行こうって。フタバとか、いろいろラジコンの店があったんですよ。あとまだ3つくらいあったなあ、ラジコンの有名店。忘れちゃったな(笑)。地元の鐘ヶ淵ってとこにはスリーエフっておもちゃ屋があって、そこもラジコンの有名な店で。
―当時ラジコンは高級品でした。
MUNE みんな誕生日とかクリスマスにからめて買うんですよ。最初、シゲタってやつがマイティフロッグ(※2)を持ってたんですよ。で、コイケくんっていうすげえ仲いい友だちがワイルドバギーを買って。それでみんな火が点いちゃって、次から次へとラジコンを買い出すんですよ。そして、いよいよ俺の番だって時にちょうどタミヤからグラスホッパー(※3)が出て。それがちょっと廉価版で、車体が1万ぐらい安くなってて。当時はラジコンボーイがコロコロで連載してて。
―懐かしい!
MUNE プロポのバンドがかぶるとコントロールが効かなくなるから、別のバンドにしろって言われて。黄色のリボンでしたね、俺。
―みんないろんな色のリボンしてました!
MUNE そのあとのホーネット(※4)がプロポと合わせて買っても2万しないくらいで。だから当時はホーネットをやたら見ましたね。ホーネットがかぶるのがいやだから、東京マルイの「ザ・ハンター」ってのを買ったやつもいたし、俺も2台目はビッグベアーダッツン(※5)ってのを買いましたよ。
―ぜんぜん知らないです(笑)。
MUNE すごいでかいタイヤのトラック。キャノンボールとかでスーパーカーを踏み潰すようなやつで。あれが東京マルイから出て、それがどうしても欲しくて買いましたね。ただこれが組み立てに失敗して、1回しか動かなかったんですよ。1回動いたらサーボが「ピッピッピッピッピッピッ」って動かなくなって(笑)。
―えー!
MUNE 誰かに修理を頼めばよかったんですけど、「もう走んなきゃいいや」って放っぽり出しちゃって。
―(画像を確認しながら)これかっこいいじゃないですか!
MUNE 車体を全部黒にして、黄色いライン入れて。阪神好きだったから。
―阪神タイガース仕様にして(笑)。
MUNE そうそうそう。タイガースカラーにして。でもやっぱりラジコンは大人の趣味ですよね。ハンダつけとかやんなきゃいけないんですよ。ハンダなんか小学生は持ってないじゃないですか。友だちの親父がひとりだけハンダ持ってて、フル稼働してましたよ(笑)。いろんなやつが借りに来て。

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意地でSEGAを貫きとおすんですよ

―小学校のときは他に何が流行ってました?
MUNE ファミコンですね。すごかったです。
―うちの田舎では最新ソフトをポケットに入れて、いろんな家を渡り歩くやつがいました。
MUNE そういう人いた! 本体持ってなくてソフトだけ持ってる人いましたね。
―さすらうんですよ、いろんな家を。私も最初はそうでした。
MUNE 俺、ずっとSEGA派だったんですけど、やっぱ耐えられなくなって。
―わははは! SEGAは何の筐体を持ってたんですか?
MUNE SG-1000(※6)、SG-1000II(※7)とマークIII(※8)とメガドラ(※9)、サターン(※10)、ドリキャス(※11)。ほとんど持ってます。持ってないのはマスターシステム(※12)ぐらい。
―マスターシステムは買わなかったんですか。
MUNE マスターシステムって、ただFM音源になるとか、連射機能付くとかそんなノリだったんで。それだけだとマークIIIと変わらないんで買わなかったですね。こどもの頃にFM音源って興味ないですよね(笑)。
―音質にこだわりはないですよね。
MUNE SEGAのこだわりなんですよ。どっかでファミコンに勝ちたいんです(笑)。何かで優越感にひたりたくて。FM音源にめっちゃこだわってる感じでしたよ。
―音質は負けないぞと。
MUNE SEGAでずっとやってたんだけど、もう耐えられなくなって(笑)。中1ぐらいかな、ファミコン買ったのが。
―けっこうがんばりましたね。
MUNE がんばりました。ソフトこそ買わなかったけど、友だちん家入りびたってファミコンばっかりやって。もうファミコンが面白いのは知ってるんですよ(笑)。けど、やっぱり意地でSEGAを貫きとおすという。
―わはははは!
MUNE 「イー・アル・カンフー面白いなあ」とかってファミコンやって、帰ったらSEGAの「ドラゴン・ワン」(※13)っていうゲームをやったりして(笑)。
―SEGAの筐体を持ってる人自体、少数派じゃなかったですか。
MUNE 小学校のときは俺しかいませんでした。中学になって、ひとり持ってるやつがいるって情報を聞いて、そいつん家に通ってソフトを貸し借りしようとしたんだけど、まあそいつが塩対応で。俺の持ってるゲームとまったく違うものを持っているのに、貸してくんないんですよ。あいつイイダっていうんですけど、今でもつまんない奴だなって(笑)。
―あはははは!
MUNE 俺はハグして「つらかっただろ、これからは仲間としてSEGAの情報交換していこうよ」って思ってたのに、ぜんぜん貸してくれないし、何だったら居留守使われましたよ。俺がしつこかったからかな(笑)。

<HIGASHI TOKIO RIOT PART10 につづく>


【本文脚注】
サンシャイン(※1)
キン肉マンに登場する悪魔六騎士のひとり。ジェロニモとの熱戦はキン肉マン史上に残る名勝負。
マイティフロッグ(※2)
1983年12月に田宮模型から発売された電動RC。発売当時のキット価格は14,800円。同年に発売されたファミリーコンピュータの販売価格も14,800円であった。
グラスホッパー(※3)
1984年5月に田宮模型から発売された電動RC。発売当時のキット価格は7,400円と最も安価で発売されたエントリーモデル。
ホーネット(※4)
1984年10月に田宮模型よりグラスホッパーの上級モデルとして登場した電動RC。発売当時の価格は9,800円。
ビッグベアーダッツン(※5)
東京マルイより発売された電動RC。
走行動画▶https://www.youtube.com/watch?v=zICEQraFKLM
SG-1000(※6)
セガ・エンタープライゼスより1983年7月に発売された家庭用ゲーム機。定価15,000円。詳細▶https://sega.jp/history/hard/sg1000/index.html
SG-1000II(※7)
SG-1000の翌年1984年7月に発売されたマイナーチェンジ版。本体が薄型化されジョイパッドが2個付属した。定価15,000円。
詳細▶https://sega.jp/history/hard/sg1000-2/index.html
マークIII(※8)
SG-1000II発売の翌年1985年10月に発売。定価はやはり15,000円。
詳細▶https://sega.jp/history/hard/segamark3/index.html
メガドラ(※9)
1988年10月に他社に先駆けて16ビットCPUを搭載した家庭用ゲーム機として発売。定価は21,000円。
詳細▶https://sega.jp/history/hard/megadrive/index.html
サターン(※10)
メガドライブの後継機として1994年11月に発売。セガ6番目の家庭用ゲーム機として開発されたため、太陽系第6惑星から名付けられた。定価44,800円。詳細▶https://sega.jp/history/hard/segasaturn/index.html
ドリキャス(※11)
セガサターンの次世代機として1998年11月に発売。現時点でセガ最後のゲームプラットフォームである。定価29,800円。
詳細▶https://sega.jp/history/hard/dreamcast/index.html
マスターシステム(※12)
マークⅢにFMサウンドユニット、ラピッドファイア(連射装置)、3-Dグラスアダプタを搭載したゲーム機。定価16,800円。
詳細▶https://sega.jp/history/hard/mastersystem/index.html
ドラゴン・ワン(※13)
セガのマイカードシリーズ記念すべき一作目として1985年に発売。定価5,280円。
プレイ動画▶https://www.youtube.com/watch?v=wypYqeXfHbI



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