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出会いの場所はそもこのフローズンビーチ

このnoteにお越しいただきましてありがとうございます、ハルコというしがない馬骨でございます。

私が平沢進の世界にどっぷり浸かるのは1995年頃でございます。
当時はTKサウンド全盛期、私はまだ女子高生でした。
インターネット黎明期で学校にパソコンなんてない頃(情報処理の授業で使うのはワープロの時代)、何を間違ったか1980年代のニューウェイヴにどっぷりハマってしまうという足の踏み外し方をしまして学校でもまあまあ浮いてましたねぇ。
(当時から既に推してたKANさんのサポメン矢代さん経由で結果的に行き着いたんですよ信じられないでしょうけど)(この矢代さんという方はS-KENさんのバンドや窪田晴男さんにも関わってらっしゃったので東京ロッカーズやニューウェイヴ寄りの人だったんで、結果的にそうなるのも自明の理であったのだよ)

前述の通りインターネットは頭のいい金持ちの趣味という時代なので情報収集の手段は相当限られてたものの、1993年頃から各レコード会社が簡素なジャケットで普通のCDアルバムの半額程度という「CD文庫」というシリーズを出し始めたのでそこで初CD化されたものも多く手を出しやすかったんですよ。


自分の場合は

KAN→パール兄弟(前述の矢代さん繋がり)→PINK、メトロファルス、有頂天、戸川純→P-MODEL・平沢進

というルートでした。1994年頃の女子高生が絶対通らないルートですね今思い返してもw
これを見てわかると思うけど、そもそもサポメンに興味持つ時点でフラグ立ったんですなぁ。

80年代のニューウェイヴにハマりだしてから平沢さんの名前は方方でよく目にするようになり、これだけ色んなところで名前が出るということはこの界隈ではかなりの大御所とみた私、たまたまタイミングよく買ったキーボードスペシャル1995年9月号(Sing Like Talkingが表紙)に載ってた平沢さんのインタビュー記事でようやく顔を知ることとなる。ちょうどSIM CITY発売の頃で40代ですね、17歳の女子高生にとってはかなりのオジサンになるがあんまり気にしてなかったw

これが最初の出会いになるかと思いきや、実は数年前(1992年頃)にはすでに出会っていたんだなぁこれが。
いとこの家は開局してすぐのWOWOWを契約し日曜日は叔父さんが一日中見ているという環境で、当時のWOWOWはノーCMを謳ってたので番組と番組の間をフィラー映像で繋ぐわけですよ、それでPの「2D or not 2D」のMVがたまに流れるんですよ…もうおわかりいただけましたよね。
更に言うとほぼ同時期にHTB制作の「カムイミンタラ」という阿寒湖の自然とアイヌ文化をとりあげたドキュメンタリー番組がありまして(後にビデオ化されたものの肖像権の問題なのかアイヌ文化のくだりと平沢さんのカヌー漕いでる映像は未収録、ただひたすらかわいい動物たちの映像と平沢さんの音楽で彩られる作品になったのである)その番組の音楽も平沢さんだったというのもあとで知ることとなり、3年ほど潜伏期間あったという事実が判明。

なんやかんやでCD買い始めたんですが、最初に買ったのはP-MODELの「舟」(当時発売直後)で地味なところかもしれないが「ソリトン」が沼落ち曲でした。

どんどん深みにハマってライブ見てみたいと思っても北海道の地方民JKにはなかなか難しいものであり、1996年にとても久しぶり(13年ぶり!!!)に札幌にP-MODELが来るというのを知って行きたかったもののまだ学生であることと地元から札幌までJRで4時間近くかかる距離を一人で行かせられない、会場が椅子のないライブハウスであることを理由に親からNGを出されてしまう。この後悔がのちにパソコン購入即ネット開通や万国点検隊に行ってしまうことへと繋がるんだから相当な悔しさであったことはわかるよね…

ご存知の方も多いかと思うけど、私は改訂Pがめちゃくちゃ好きだったので突然の培養宣言(活動休止)で相当なショックを受けてヒラサワエナジーワークスまではギリギリ追ってたもののそのあとのモチベーションがすっかり失われてしまい(あと当時のソロの雰囲気が徐々にしんどくなってきた)、とりあえずCDは買うもののフェードアウトして気がつけば2016年。
その間に当時付き合ってた野郎の煮え切らない態度にブチ切れて三行半からの今の家人と出会って結婚して地元脱出(後に離婚)、漸く生活リズムも安定した2016年夏にたまたまWOWOWの無料放送枠で流れてたベルセルクの事前特番。またアニメになるんだーと眺めてたら平沢さんがコメント映像で出てびっくりしたし何より歳とったなーと思ったし相変わらず何言ってるかわかんないしベルセルクまた見たくなったし平沢さんまた曲提供するんだすげーって思った。
しかしこの段階ではまだライブまた見たいと思ってないから翌年の第9曼荼羅をスルーするという愚行やらかしたわけで…(後悔オブザイヤー)
もうこれ以上情弱になりたくねえ!と本人アカだけでなく公式告知アカもフォローし万全の体制を整えて2018年の核Pライブ「回=回」は絶対行くと決めてファンクラブ再入会(しかし当時の番号失念した上住所氏名が変わってるので諦めて新規入会扱い)するまでに至った。
(後日談として万国点検隊の部屋割表などが発掘され当時の会員番号が判明したのでダメもとで事務所に問い合わせたら元の番号に戻していただけることになりました。ケイオスユニオン様にはお手数お掛けしました)


ソーラーライブから数え17年振りに平沢さんを見に行くという大ミラクル、おかげさまでいろんな人たちと知り合えて今に至ります。
まさか2019年にはフジロックに出るなんて、あの当時では全く想像しなかったことも…時代は変わったなぁとしみじみ思います。
だって今や自分より半分以下の年齢のファンも随分居ますからねぇ…

ご清聴ありがとうございました、もっと詳しい話はこちらに書いておりますのでぜひご覧下さい。


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