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万国点検隊「世界細胞組合合唱鉄橋団」

世界細胞組合合唱鉄橋団(タイ・バンコク/カンチャナブリ1998.11.28~12.3)

※おことわり
この文章は1日目のみ過去にサイトで公開したもののログを再編し、それ以降の日程はGN4号や記憶のすみずみから引っぱり出し、なおかつHDDに残ってた画像データを元に再編集したものとなります。画像につきましてはMr.ワイを除いて顔の判別がつきにくいものを使用しておりますご了承ください。

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1日目

前日の昼過ぎまで仕事だったのでかなり疲れた状態で羽田行きの飛行機に乗り込む。
羽田から成田までの移動で疲れ切って、成田のホテルに着いたときにはもうすでに夜7時を回っておりました。
その夜に行程中ずっと同室予定の方と合流。

当日はホテルを朝8時のバスで出発。
集合場所、なんか覚えがあると思ったら、昨年の点検隊のときの集合場所と
同じ方向でした。(部屋は違ったけどね)

待合室の入口に「世界細胞組合合唱鉄橋団 御一行様」とかかれた看板があったので写真に収めていたら、スタッフらしき人に「その姿、写真に撮ってあげるよ」なんていわれる。
なんなんだ、このやたらノリのいい人はw

画像1

全員集合し、説明その他もろもろの時間。
さっきのやたらノリのいい人は今回の団長代理・O井さんでした。
彼は当時のライブでPAなどを担当されてたスタッフさん。
そしてそして、お待たせしました名誉団長・福間さんの登場!(O井さんがそう言っていた)
みんながいっせいにカメラを向けると照れくさく笑う福間さん。

ひょっとして、O井さん面白い人だな(笑)

福間さんは団長として挨拶をしたのはいいが、O井さんがビデオに撮るのを忘れてしまい、しょうがないのでもう一度。
我々団員に渡されたブツは、名札と特製ケースに入ったカセットテープ2本、そして点検隊ロゴ入りオペラグラスでした。

画像2

このとき、我々が乗る飛行機はジャンボにみえるがなんであろうとB29というように、と
平沢さんの伝言として添乗員さんに言われてしまった。
B29…それじゃ、他のお客さんは知ってて乗ってるのかしら(そういう心配はせんでよろし)

飛行機に乗り込み、いざ出発!!!

水平飛行になり、カセットテープの1本目を聞く。
そしてそこでの平沢さんの衝撃の一言。

「家畜と粗大ゴミを乗せて…」

ちょっとまったぁぁぁっ!!!
か、家畜?そ、粗大ゴミ?
わ、私たちって人間扱いされてないのひょっとして(この旅行に参加してる時点で覚悟はできてるが)

内容としては「戦争のときに損傷を受けたWorld Cellがきちんと作動しないために本来ならばB29は原爆を乗せてヒロシマに向かうはずなのに、歴史がねじくれてしまい家畜と粗大ゴミを乗せてタイに向かっている」ということである。
それじゃあ、これに乗っている名誉団長も家畜ってわけですか?ええっ?
いや、それ以前にこれに乗ってるほかの方々も(略)

約6時間でタイに到着。
しかし、暑っ苦しい。むわっときたよ、空気が。
自分の荷物をかっさらっていざ、バス乗り場へ!!

しかし、そこで待ち受けているのはバスなんていう洒落た代物ではなかった。
そこに待っていた乗り物は家畜運搬用のトラック!!!(マジで)
も、もしかしてあれに乗れと?
やっぱり家畜なんですね、私たち。
まぁこのような旅行に参加する人たちは頭のネジがぶっとんだ人しかいないので笑いながら文句っぽいことはシャレで言うのがお約束だが、荷物はどう見てもゴミ収集車っぽいトラックに載せられてました。
私たちはその光景を虚無の目で見ることになります。

「ああ、私たちは本当に家畜と粗大ゴミなんだなぁ…」

トラックの横には何か書かれた横断幕がはってあり、
とりあえず数字の「30」しか判別できない。
「30」ってなんかいやな予感がする。
(この垂れ幕に書いてあった言葉は「日本人売ります 1人30バーツ」だった。30バーツ=100円少々)
しかもマスクが配られた。排気ガス対策らしい。
実際、ホテル着いてから鏡を見たらマスクしてたのに鼻のあたりが黒かった。ヤバイ。

画像3

同じ班の人たちが別れ別れになってしまい、「○○さーん!!」「××さーん!!」って感じになってしまった。(アンタコッチ、アンタソッチ、と現地ガイドさんによって振り分けられたので)
そうこうしているうちにトラックが動き出した。
私が乗っていた前方のトラックはかなり空いていたんですが、後ろのトラックがひでぇギュウギュウ詰めだよ。うわー、このトラックでよかったかも。(失礼)
しかし、ここで気がついたのだが名誉団長は後ろのトラックの助手席に座っている…ということは、運転手に気に入られた家畜ってことですか?(名誉団長権限ですねわかります)
よく見ると福間さん、前のトラックの光景をしっかりとビデオに収められている!!!
他の観光バスに指差されるし、現地人には笑われるし、きっとテレビの撮影に思われたんだろうなぁ…最初からコレですからもう何も怖くない。

しかし、どうやらトラックはホテルとは反対方向に向かっているらしい。
すると、どこからともなく声がする。
「あれはなんだ!!」
声の主はヒラサワファンにはもうおなじみのあの方。
そう、あのMr.ワイである。
彼が指差す方向には小西さんが、しかもいくつかのスーツケースが並んでいる。これは一体どういうことだろう。

「この中の何人かの荷物が売られています、値段は35万KAMEARIだそうです」

か、KAMEARI…なんじゃその単位。
荷物の持ち主が呼び出される。
幸いにして(この場合は不幸にも)自分の荷物ではなかった。
自分の荷物がなかったので詳しいことは分かりませんがどうやらお釣がクギだったようで。
なぜクギなんだろう。

買い戻した荷物には「10P」と書かれた紙と1人だけ封筒に入った手紙らしきものが貼ってありました。ポイント制ですか、今回の点検隊は。

どうにかホテルへ到着。
しかも高級ホテルだよ、家畜運搬車両が高級ホテルに横付けされて降りた私たちにウェルカムフラワーをばらまくんだよ。

待遇に温度差が生じて風邪ひくレベルだよ!!!

そしてたぶんみんな気が付いてなかったと思うんだけど、吹き抜けの天井に赤い布が下がっていたんだ。
そう、まさに「救済の技法」のあのジャケットのように。
(本当にホテル側にお願いして下げてもらってたようです)
(なぜみんなが気が付かなかったのか、それはクリスマス前の時期でその飾りなどと同化してたから)

とりあえず宴会などを行うホールに集合し部屋割りとミーティング、タイから1名ODDさんという青年が合流。
彼は昨年P-MODELが出演した「ASIA FOR THAILAND」というイベントでファンになったとのことで今回の(トンチキ過ぎる)旅に参加したいとのこと。

さっき小西さんから渡されたという手紙を班ごとに配布。

画像4

以上、これが手紙の内容です。
擬胸弟(笑)
上手いこと言うなぁと班内で感心してしまった。

部屋に入ると、洗面台にメッセージが。(清掃の皆さんこんなトンチキな団体の為にお疲れ様です)

画像5

夕食などで外出のためロビーに集合。
そこには必ず名誉団長がいる。
そして当然のようにフラッシュの嵐。

夕食のため、チャイニーズレストランへ。
ナプキンの置き方が救済の技法?
見ると普通の折り方の折り目がついていてちょっとおちゃめw

画像6

ごく普通の食事でごく普通におなかがいっぱいになり、そろそろパッポン通りで店を探すのである。
班毎でガイドさんがあてがわれ、当班のガイド・マイさんにつれられて夜の街に出る乙女たち。
しかし、アレだね。怪しげな商品しか置いてない屋台ばかりで笑いがとまらないよね。
(主にコピー商品とか変な日本語が書かれたシャツとか)
ガイドさんいわく、「もうすぐ、もうすぐ」。
と、そのとき燦然と輝く「KING」の文字!!
そして客引きのおねーちゃんに「コッチ、コッチ」と呼ばれる私たち。

そう、そこはおそらく大半が擬胸弟と思われるおねーさま方が水着姿で踊っている
いわゆるゴーゴーバーだった!!
「あ!あそこ見て!!!」
誰かの声で一斉に向こうに視線が走る。
その視線の先には…いたー!!
あのお方が!!
な、なんか骸骨もいっしょだ。これがQUITE-0が派遣した「死」?
しかも横には謎の行商人(笑)の姿が!

我先と、あの方がいる向こう側へ行こうとすると「この先は班長だけ」と言われる。
しかたがないので、班長さんに全てを託し私たちしがない班員は待機。
どうやら、我が班が1番目をゲットしたらしい。
日ごろの行いがよいから(んなわきゃない)

ここで活躍するのがいただいたオペラグラス(ロゴ入り)!!
ああ、よく見える…なわきゃねーwww
カウンターの前の方に陣取ってる見知らぬオヤジのせいで
あのお方の姿が全然見えないww
同じ班の人といっしょになって「オヤジ!何そこ陣取ってんじゃ!どかんかい!!」なんて言いながらオペラグラスを覗く私達、普通のお客さんからどう見られてたんだろう(今更ながら不安w)

全部の班が到着し、気がついたらいつのまにかあの方はいない。
外に出たら骸骨を持ってはるか向こうへと去った後でした。
もうすでに骸骨しか見えなかった。

なので、パッポン通りを少し見学してから自由行動。
でもたいして興味が無い上、疲れきっていた自分と同室のお嬢さんはマクドナルドの前で
ガイドのマイさんとちょっとお話。
すれ違う綺麗なお姐さんの大半は元オトコだという見地を得てパッポンの夜はふける。

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2日目

本日のスケジュールは夕べゴーゴーバーで1番に到着したから
「午前中はバンコク市内観光、午後は前半レコーディング体験、後半ショッピング」となった。

バスの座席にこのようなメッセージが。

画像27

なかなか意味深なメッセージである。

バスが動く前にワイさんがバスに。

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「みすたーわいの でいりーにゅーす。」
「きのう、しんかんせん のぞみごうが ひろしまに げんばくをおとしました」

(日本語がたどたどしいので全部ひらがなで表記しました)

初日のカセットの内容の通り、どんどん時空が歪んでるようです。

午前中は市街地の観光。
昼食はまたもチャイニーズレストラン。

昼食が終わり、いよいよ今回の点検隊の特典「スパルタレコーディング体験(死の証言の録音)」である。
住宅街にある大きなお屋敷、ここはタイの国民的歌手ピ・ジェイさんのプライベートスタジオで最近の作品(1998年当時)はここでもレコーディングされてるというまさに聖地。

前日ゴーゴーバーに1番に到着したためレコーディングも1番最初。
スタジオに入り、黙々と作業する福間名誉隊長(今日は仕掛け人側サイド)
指示を出す平沢さん、奥のほうにいる小西さんとワイさん。
作業現場は撮影OKだったので準備が整うまでフラッシュの嵐。
撮影するのに夢中になってたらGN4号の点検隊レポに必死でカメラ構えてる姿の写真が掲載されててのちのち盛大に冷や汗をかくことになるが知ったこっちゃないw

準備が整ったのでいっせいにレコーディングブースへ。
すごいドキドキする。

「あなた方はこれから村人として歌っていただきます」という指示で民衆のコーラス撮り。
ソロで音をとりたい、という参加者が指名されたり(声に特徴があって採用したようです)
「もっと村人っぽく」などムチャぶりもありましたが緊張しっぱなしのレコーディング体験は終了。

「とっとと出て行ってください」とツン100%の扱いでスタジオを出て行ったとき、ワゴン車が横付けされた。
次のレコーディング班が買い物ミッションに出たはいいが時間を過ぎても帰ってこなくて突風のワゴン車で捜索に出されたんだそうで…お疲れさまでした。

その影響で次の買い物ミッションからルール変更で時間制限ありの1品だけ購入。
「サッパウロ」というものを指定された店で買って来いという。
店は日本語が通じないのでODDさんにタイ語を教えてもらい、いざ出発。
ちなみに「サッパウロ」というのはタイ語でパイナップルのことでした。
道の脇にある屋台で試食しつつ無事にサッパウロを購入したが班員の持ってる時計がみんなバラバラで(私にいたっては時計持たない派だったw)時間がないと猛ダッシュ。
みんな必死だったんだよ…(まずお前は時計を持ちなさい)(無事に間に合いました)

後半レコーディングの班が到着したので入れ替わりでレコーディングスタジオを後にしてショッピングの時間。
前年のバリ島のときはほとんど買い物の時間が取れなかったのでこれはありがたい。
職場用にとりあえず買うものを買って、後は涼しい場所で休憩して班内交流。
班内にバリ島で顔見知りになった人がいたので(初日の集合場所でお互い「今年も来たんだー」と挨拶したくらい)そういった意味でも心強い班ではあった。

夕食のお店はスタジオの近くで、平沢さんがレコーディングするときは大体ここで食事してるとの話。
豆腐と海苔のスープが出たときは全員テンションおかしくなる。(必ず食するメニューと聞いてたから)
しかし普通に肉も魚も出る。そりゃそうですよね。そういえば初めてタイらしいメニューだなと気が付く。

この日の行程はこれで終了なので、ホテルのすぐ近くのコンビニでカップヌードル買って同室のお嬢さんと食べ比べ。
だってずっと気になってたんだもん。トムヤム味のやつとか。(トムヤム味は当時まだ日本では売ってなかった)
食べ比べながら何がきっかけでファンになったのか、とかいろいろ話は尽きない。
出発前日のホテルでもいろいろ話してるのにね。ふしぎ。
次の日はカンチャナブリに移動なので荷物整理して、早めの就寝である。

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3日目

2泊したバンコクのホテルとはお別れ、カンチャナブリに向けてバスで出発。
バスが動く前にまたもワイさんがバスに。

「みすたーわいの でいりーにゅーす。」
「てんのうが おなくなりになりました げんごうが カメアリに なりました」

(日本語がたどたどしいので略)

時空の歪みがそろそろシャレにならない方向になりはじめてるからね。
(メインストーリーの大筋はKINGと同じ遺伝子を持つヒラサワにしんでもらわないといけない)
(普通に考えても きがくるった シナリオだよなぁ)
(そもそもインタラWORLD CELLで東京も大阪も人道的な選択肢選んだらBADエンドってどういうことだよ)

バスで2、3時間と聞いてるのでずっと死生観について想いをめぐらすもお腹がすくので全て台無し。

日本でいうなら高速道路のパーキングエリアっぽい場所にバスが止まり、降ろされる。
広場に怪しい人が、謎の行商人・小西さんの姿。
彼は「死の鉄道乗車専用シール」の売人で、コレを購入しないと次の日の行程に支障が出るらしい。
ちなみにお釣りは釘です。なんなんだKAMEARI(単位)…

近くに怪しいワゴン車がいる。絶対この中に平沢さんおるやろ。笑いをこらえて見てるやろ。

再びバスに乗り、少しして添乗員さんの携帯が鳴る。
「平沢さんから連絡が来ました。すいませんが話を聞いて車内の皆さんに伝えてください」
と言いながら通路挟んですぐ後ろの席にいた私に携帯電話を差し出す添乗員さん!!!
そりゃもうガタブルさせながら添乗員さんにメモ紙とペンを借りくっそ汚い字(車内はゆれるから)でなんとかメモを取る。

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(実はメモした紙を画像に納めたんですが記憶違いでずっと別のイベントでメモしたものだと思いこんでました)
正直言います、電話越しの平沢さんの声はあらゆる意味でクリティカルヒットです。
精神力が一気にレッドゾーンです。どうしてくれるんですか!うそです!ありがとうございます!!!

「さっき露天商から買ったチケットはニセモノです」
「死の鉄道に乗るのに必要なのは『ダイカーサークル』『ユーザーカード』『ターミネーター』です」

がんばってメモしたのがここまでで、たぶんユーザーカードのありかのヒントを言ったのかもしれないけど
普通に記憶にないところを見ると限界だったんだよきっと…(号泣)
ほんと同じバスの皆さんすいません、でもきっと他の方が受け取ったとしても同じような結果になる気がします。

バスが到着したのは共同墓地。
第二次大戦で犠牲になった連合軍が眠る場所。
この墓地に行くことで、戦争の現実を知ってほしかったんだろう。

ここの入り口にユーザーカードがあった。

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↑こちらがユーザーカードと呼ばれるもので、その正体は次の日に乗車する死の鉄道こと泰緬鉄道の乗車証明書に平沢さんが1枚1枚直筆でサインしてるという貴重すぎるものです。今も額に飾って保管してるので状態はすこぶる良し。

↓はユーザーカードとともに入っていた手紙

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手紙に書かれた「漂流する家屋」は昼食で利用する水上レストラン。
タグボートのような小さな船でひっぱって動かすみたい。
食事が終わると一斉にカメラをスタンバイさせる参加者、中にはバズーカのような望遠レンズのツワモノも。
(一気に前の方に集まって転覆しないだろうか、それだけが心配だった)
鉄橋が近づき、人影が見える。片方が平沢さん、もう片方はSP-2っぽいけど誰?

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人影が見える場所から赤い布が下ろされた。カンチャナブリはまさに救済されたのだ。

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徐々に近づいて、片方の人影が花を撒き始めた。こちらがガイコツを従えた平沢さんだ。
優雅に花を撒き、よく見ると笑顔だ。なんという光景だろう。こんな光景が見られるとは。
あの橋はナーシサス次元への入り口だったのかもしれない。
なんという粋な演出だ。ちくしょう。

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ホテルに到着。

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ここから夕食までは自由時間ということで荷物を開けてなんやかんやしてたら電話が鳴った。
同室のお嬢さんはお手洗いに行ってしまってるのできっと添乗員さんからだろうなと軽い気持ちで電話を取ったら

「私はヒラサワと呼ばれている者です」
(本日2度目の電話ショックで声が出ないレベルの驚きと戸惑い)

「今から言うことは一度しか言わないのでよく聞いてください」
(もうこの時点で魂抜けかかってるが、なんとかベッドサイドのメモ紙を引っつかんでミミズののたくったような字を書く)
(改めて見直しても何書いてるのか全く判読不能だった。無理もなし)
(「ダイカーサークル」のある場所のヒントだった)

まさか平沢さんの電話を2度も受け取る羽目になろうとは誰が予想したか。
たぶんこの先の運をこの日だけで全振りしてしまった気がする。

なお、ダイカーサークルは既に他の班の方に見つけられてたというオチが。
なにせ自由行動の時間だったので、荷物置いてすぐに鉄橋に行った人も多かったらしく
電話を受け取れなかった参加者が結構いたみたい。
…なんかほんと、すいません(とおいめ)

あと、余談というかちょっと面白いことが。
実は同じ飛行機でタイに向かいそれ以降もほぼ同じようなルートで行動していた団体があって(農協系の旅行会社だったので農閑期の慰安旅行だったっぽい)、その団体は成田空港の専用カウンターに書かれてた「世界細胞組合合唱鉄橋団」が相当インパクトあったのか(当たり前だw)、この団体も行く先々で我々のトンチキなイベントを目撃する羽目になり本当に申し訳ないことをしたなぁと20年以上経ったから当事者ではないけど反省www
平沢さんが鉄橋で花を撒く現場にも偶然居合わせてたらしく逆側に居たSP-2のお姉さまの方にも人だかりができたようでイベント進行がマジで危ぶまれたという話も。
それだけでなくホテルが同じだった為にその団体のおじさんたちは名札付けてる我々に「あんたたち何だアレは宗教か?」と不躾に聞く案件が多発して、私はダイカーサークル探しの途中でそっちの団体の添乗員を見つけたので捕まえて(それで農協系の旅行会社だとすぐわかった)やんわりとクレームしておきましたよ。
お互い「それは失礼しました、参加者の皆さんに注意しておきますので」「いえいえこちらこそ変な団体なんでイベントが多くて聞きたくなるのもわかります」という趣旨の会話になりました。(当時私はホテル関係の仕事に就いていたため旅行会社さんとのコミュニケーションはそれなりにできた)

夕食はO井さんと福間さんの手品、福間さんの「おしえてSys1コーナー」(自分でタイトルコールしてた)、コロムビア(当時)のスタッフ平野さんのクイズ大会、参加者の簡単な自己紹介、など濃い内容ですっかりと忘れてたことがあるんだ…

「私がターミネーターになります!」

後ろのテーブルから聞こえてきた。
そう、部屋に入ったとき確かにターミネーターのヒントが書かれた紙があったのだ。

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本当に記憶からすっぽ抜けてました。(それもこれも平沢さんからの電話のせいです)
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ちなみに「おしえてSys1コーナー」で語られた未だに強烈に印象に残ってる話をここで暴露しとくかw

質問者「楽曲制作作業のやり取りで面白いエピソードありますか?」(要約)

福間さん「平沢さんからICQ(当時使ってたメッセンジャーソフト、着信音が特徴的だった)で支離滅裂なメッセが何回も送られてきて後日あれはなんだったんですか、と伺ったら泥酔してほとんど記憶が無いと言われたんですよ(要約)」

なお、この話には続きがありまして翌日のガーデンパーティーで平沢さんから「福間があまりにもバカ正直に質問に答えたせいでワタシが常に酒飲んでるキャラにされてしまいそうなので補足すると、ワタシは酔っ払いの心理が知りたいからビールの小さいヤツ(お彼岸によく売れるサイズと思われる)をがんばって何時間もかけて半分ほど飲んで(前述の通り)そうなったという話だ。だから常日頃から酒に吞まれるとかありえないのでそのように。(要約)」

ほんと何やってるんですか…(困惑)(しかもこの話を会場の後ろにある衝立の後ろで小西さんとこっそり聞いてたって言われてけっこうな冷や汗ですよ…)(質問の内容的にかなりやばい話もあった記憶がですね…)
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夕食が終わり、部屋に戻るとメッセージがドアの隙間に差し込まれていた。

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ものすごい壮大なこと書いてますけど、これ、要するに巨大な電車ごっこですよね?(台無しィ!)
巨大な電車ごっこやりながら死の鉄道に乗るって、どんなどSプレイだよ。
最高だな!!!(何かが壊れる瞬間)

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4日目

本日乗車するのは死の鉄道とずっと呼んでいるが本来の名前は「泰緬鉄道」ですからね。
昨日発見されたダイカーサークル(赤い布を大きい輪にして参加者全員が入る大きさにした物体)を使って巨大な電車ごっこするために駅に向かいますよ。
名誉団長・福間さんを先頭にみんなで電車ごっこですよ。
ターミネーターを見つけた参加者は最後尾で昨日渡された物体で音を鳴らして駅に向かうという第三者から見たらとんでもない光景でしょうね…
周りに笑われる前に自分達が笑えば気にならないんだよ!(きが くるってる)
絶対どっかからこの光景見てるでしょ平沢さん!知ってるんだからね!!!

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列車に無事乗り込み、少し長い旅。
特別車両とは書いてあるけど窓ガラスなんてないし椅子も硬くて、でも非日常感がすごいので楽しい。

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そして福間さんと小西さんも同じ車両に乗っているので参加者のカメラ構えてる姿がシュールすぎる。
途中、おやつのドーナツとお水を戴いたので完全に観光気分だが、目的はあくまでも「死の証言」を運んで死の無い男に死を与えるということを忘れてはいけないのだ。

駅(というにはあまりに野っぱら)に着き、列車で通った鉄橋を歩いて洞窟へ。
高所恐怖症には割りときつい。
そこには仏像があるため観光スポットになっているようです。

この洞窟の奥に白いドレスを着たSP-2のJHEMさんの姿が。
ミスコン荒らしという異名があるくらいの別嬪さん。
バンコクで収録したあの「死の証言」を流し、JHEMさんにそのテープを渡す福間名誉団長。

駅に歩いて戻り、昼食。
下に川が流れてて、いい景色。

JHEMさんからのメッセージ

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なにやら橋近辺の様子がおかしい。
なんかあるな、とカメラの用意を着々と。

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トロッコで 来た。

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JHEMさんを途中で載せて我々の目の前を通り過ぎる。
(写真は他の観光客に近寄られてたところ、本当にご苦労されてのイベントですね)
これで「死の証言」が無事にヒラサワの手に渡ったわけだ。

トロッコが過ぎてもまだ集合がかからない、ということはまだ何かあるな。
下の川だ!

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イカダに乗ったヒラサワの姿が!!!
しかもさっきまで一緒にいたガイコツがいなくなってる。
そう、逃れることのできなかった「死」がついに消滅したのだ。

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イカダはすごい遠くまで流れて、姿が小さくなるまで見送ることができた。

ようやく集合がかかり、バスでホテルに。
夕食はヒラサワ主催のパーティー(と行程表に書かれている)なので、気合入れてオシャレする参加者多し。
同じ班の人は浴衣着てた。着付けできるって強いなぁ。

この日はクワイ川鉄橋で花火があるということで、夕食前に観覧。
花火の前に流れる音と光は第二次大戦を模したもので、決して楽しい話ではないが忘れてはいけないためにこうしてエンターテインメント性を押し出してるんだろうなぁ。

花火が終わり、エンディングパーティー。
ここからは箇条書きで。

・ヒラサワ象に乗って登場
・昨日の夕食で実は平沢さんと小西さんがこっそり衝立に隠れて見ていた
・しかしその理由が「福間の手品が見たかった」だったのは笑うポイント
・福間さんの質問コーナー、福間さんがあまりにバカ正直に質問に答えるから誤解が生じかねない、と補足説明する親切ぶり(詳しくは前述参照)
・QUITE-0の正体は現地参加のODDくん。途中で姿見えなくなるし道理で怪しいとw(ODDくんは胸は無いので綿の詰められたドレスで登場)
・スタッフO井さんやサトケンさんの口上がいちいち面白すぎて突っ伏して笑うヒラサワの姿を見たぞ
・ヒラサワ最後の挨拶が「就寝!」

パーティーも終わり掛けに勇気を出して差し入れを渡す。
すぐに開けて食べてくれたのは気持ちはちゃんと受け取りましたのメッセージとして受け取らせていただきます。

最後にガイコツのペーパークラフトを燃やして、ストーリーは終了。

お疲れさまでした!

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5日目~6日目

ストーリーは全て終了したので、ここからはバンコクに戻り観光。
買い物したりタイスキ食べたり疑胸弟のキャバレーでショーを見たり。
点検隊なのにゆるゆるなスケジュールだな!(前年のバリ島はもっとカツカツだったから尚更)
バンコクのホテルに1泊(最初に泊まったホテルに戻ってきた形になる)6日目の朝に成田に向かい全行程終了。
関わった皆さんお疲れさまでした!

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