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瞼のシャッターと脳内フォルダ

カメラを持つ人に憧れる。
写真や、映像を見るのがだいすきだ。
少しだけ、撮った人のことを知れた気になって、
少しだけ、くすぐったくもなる。

ただ、私は旅行や記念すべき時に写真を撮る事が少ない。運動会とか、誰かの誕生日とか、結婚式とか…

なんでかって考えたら、結構簡単だったんだけど、この時間を自分の記憶に残したいって思うだけだった。

写真や、映像を撮ると記憶に残ると思うのだが、"記録する"ってことは、そこにある時間に、ナマモノじゃなくて、画面越しの時間が存在してしまう。それは、私にとって勿体無い。

写真を撮ることで見返せる思い出になったとしても、見返した時に、目で見た記憶に写真や映像で塗り替えられて、新しい記憶が作られてしまうように感じる。

私は瞼のシャッターで精一杯なのだ。
この時間は私だけのもので、目から得られるものを吸い込んでどんどん吸収していきたい。

だからなのか?
大体友だちにはカメラ好きの子が多い。
私は、共有した時間の
思い出のお裾分けをしてもらう。
違う角度の目線を楽しむ。
私は脳内のフォルダと照らし合わせる。
誰かの目線の記録なら、私の記憶はかき消されない。

写真撮らなくていいの?って聞かれることが多い。(特にご飯の写真とか…笑)そこに撮る間の待ち時間が生じるが、その間は目で楽しむ祝福の時間だ。そして後でAirDropでもらう写真を眺める。
2度美味しい。笑

私は私で、瞼のシャッターと脳内フォルダでいっぱいなのだ。容量足りないのだ。それだけ!

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