ハラマキ通信 よみがえる1971年 父の万年筆
父の長き不在
書斎の主は居るはずもないのに私はそっと音を立てないように机の引き出しをあけました。雑然と放り込まれた鉛筆と消しゴム、ホチキスと錆びたクリップ。それらの消耗品とは明らかに別格の革製ペントレーに見覚えのある万年筆が並んでいました。父が原稿を書くために一番よく使っていた黒と銀の縦縞模様、キャップの天蓋にはアルファベットのPと矢のマークがあります。私はこのPがパーカーだと思い込んでいたのですが、ボディにPILOTと刻印された文字を発見して幼い記憶をゆっくり“バイロット製”に修正しました。
片手でスマートフォンを操作しながらパイロットのホームページを調べるとパイロット万年筆は創業100年以上の老舗で、父の愛用していた縞模様の万年筆は1971年CUSTOM KシリーズのK-500SSであることがわかりました。
1971年の日本はカップヌードル発売、銀座にマクドナルド一号店がオープン、テレビ番組は「仮面ライダー」や「スター誕生」が始まり、高度経済成長期で活気にあふれていました。私は小学二年生、父はちょうど40歳で出版社を退職してフリーランスになった年です。どんな思いでこの万年筆を手にしたのでしょう。
その父はいま92歳。万年筆を手にすることも無くなって20年近くが経ちます。去年病に倒れてから半年以上も入院しています。
父が92歳なら愛用の万年筆だって経年劣化は進んでいるだろうなあと思いながら万年筆のキャップを外すと、やはりペン先はインクが固着して青黒い塊になっていました。私は何度も水洗いしてから空のインク瓶に水を入れて一晩ペン先を浸しておくことにしました。
翌朝インク瓶の底には青黒いインクと細かい粒が沈殿していました。父が使っていたインクはモンブランのブルーブラックでしたから20年も放置していたらペン芯が目詰まりするのは仕方がありません。ペン先は緩んでいて指でつまむと簡単にスルっと抜けてしまいますが意外なことに傷やゆがみはないないようでした。
もう一本の父のお気に入りは、モンブランのマイスターシュテック149です。こちらはインクを吸い上げるための尻軸が回らないし、美しい造形であるはずのペン先は刻印が読みとれないほどインクが固着していました。しかし世界の文豪たちに愛されるモンブランです。マイスターシュテックは誕生から100年の歴史があります。内部洗浄が無理でも尻軸や中軸の部品交換で復活できるのではないかしら。そして父の手にもう一度握らせたい。私は革のロールケースに2本の万年筆をくるんで銀座の伊東屋に向かいました。
銀座伊東屋Pen Care
4月末の日曜夕方、私は銀座伊東屋の店内を外国人観光客の間を縫うようにして修理受付のPen Careコーナーにたどり着きました。
「このパイロット万年筆50年以上も前のものなのですがペン先が抜けてしまうので調整していただくことは可能でしょうか…いやダメなら、ダメであきらめます」
担当者がルーペをかざしてペン先を慎重に確認します。
「両端の爪を締めて治すことはできるかと思いますよ、明日になりますがメーカーに確認してご連絡します。ペンドクターに診てもらうことができますので」
ペンドクターとは万年筆の治療をしてくれる専門職らしいのですが私は初めて耳にしました。
「パイロットの修理ですと3000円程度でおそらく可能だとは思いますが見積りを出して上限を超える場合ご連絡しましょうか」
「1万円くらいまでならお支払いいたします。いや治していただけるのならちょっと超えても構いません」
もう一方のモンブランは総メンテナンスをした場合でも上限1万6000円。この名品のためならば惜しくない金額です。
「父が長年大切に使っていたものなので復活させたいんです。どうかよろしくお願いします」
受付伝票を書く担当者の手元を見ると、左手に握られていたのはカランダッシュのボールペンでした。さすが銀座伊東屋さん粋だなあ。
書斎で過ごす秘密の時間
私は幼い頃から父の書斎にこっそり忍び込んで過ごす時間が好きでした。ペントレーに並んだボールペンや万年筆、インク瓶。パイプとマッチに灰皿。大人の匂いがする秘密の部屋。きれいな細工が施されたペーパーナイフを手に取るとずっしり重く、何かを切ってみたいというよりもただいつまでも眺めていたいと思う美しさでした。
本棚に並ぶ文豪の作品はどれも凝った装丁で、表紙に巻かれた半透明の薄いパラフィン紙を慎重にめくって匂いを嗅いだりしながら早くこの美しい本を読めるようになりたいなと思ったものです。背表紙をぼんやり見ているうちに初めはカフカ、バルザック、ドフトエフスキーなどのカタカナを覚え、小学校に入学する頃には大江健三郎、安部公房、長谷川四郎の名前は読めるようになっていました。正しくは識字として理解していたのではなくて記号と音を一致させて覚える“ちょっと賢い犬”くらいの成長期でありました。
文学全集の棚に飽きるとその横には車の雑誌が積み上げられていて、スポーツカーやジープの写真にわくわくしたものです。
小学校2年生の授業で作文の時間があり、私はロータリーエンジンの設計図を見た時のことを書いた記憶があります。
< 父が「ロータリーエンジンはすごい早いんだ。さんかくだから力にムダがないんだよ」といいました… >
おそらく1971年サバンナだったと思います。 小学2年生の女児にとって何が面白かったのか今となっては自分でもわかりません。
さて、その1971年に製造された父愛用のパイロット万年筆はその後どうなったでしょうか。
日曜日の銀座通りを伊東屋に向かって歩いていると、20分後に東京都知事選挙の候補者演説が始まるらしく選挙スタッフと報道カメラの一団があわただし動いていました。しかし歩行者天国は外国人観光客ばかりで有権者らしき人々の姿は見当たりません。まるで東京のド真ん中がぽっかり空洞化した異空間のようでした。
二か月ぶりの伊東屋Pen Care窓口訪問。
「修理が完了したとご連絡をいただきまして」
拝む様にして受け取ったパイロット万年筆CUSTOM K-500SSは新品のように完璧な姿で仕上げられていました。金額は税込み3300円。私は直接お会いすることのないペンドクターに、心の中で手を合わせました。
「モンブランのマイスターシュテックですが、こちらは尻軸中軸ペン芯とほとんど部品交換で、交換していないのはペン先くらいですね。こちら当店の者が試し書きをしたものです」
担当者から渡された試し書きの紙には、漢字「永」が入り止め跳ね払いときれいに書かれていました。メーカーの完璧な仕事に加え、修理を預かる伊東屋の誠実なこだわりを感じました。モンブランのマイスターシュテック149の修理代金は1万4,410円でした。
10年ぶりに名前を呼んだ
父に一刻も早く復活した万年筆を見せたくて、私は姉と二人で父の病院に向かいました。
「お父さんの縞のパイロット万年筆をね、メンテナンスしてもらったんだ。ペン先ゆるくて抜けちゃってたけど銀座の伊東屋さんにお願いしたんだよ」
最近の父は誤嚥肺炎を患ってから会話もほとんどできない状態が続いています。 面会に行ってもうっすら目を開けるだけですぐに眠ってしまうのです。
「お父さん見て また書けるよこれで」
私が父の手を取って万年筆を渡すとしっかり握ってペン先をみつめました。
「これ1971年製なんだよね。もう50年前だよ。お父さんこれフリーになった記念かなにかで買ったの?」
「いや、わからん 忘れた」
えっ?しゃべった。父がはっきり聞き取れる言葉をしゃべった。脳梗塞で右手が麻痺して誤嚥肺炎で痰がゼロゼロしている寝たきりの92歳の父がはっきりとしゃべった。
それから何か聞き取れない言葉を繰り返し発しているうちに突然、大きな声で私の名前を呼んだのです。
「ええっ?何いま名前呼んだよね 私の名前を呼んだよね」
もう10年以上も前から私は父に名前を呼ばれることがありませんでした。
姉とは楽しそうに相撲やニュースの話をするのに、私が話しかけても不愛想に生返事をするだけ。私のことを忘れちゃったのかな、私のことだけピンポイントで忘れる病気かなと、姉に何度も愚痴をこぼしていたのです。 父は何回か私の名前を呼んだあとに発した言葉は。
「色、白い」
思わず姉と顔を見合わせて大笑いしました。
真っ黒に日焼けした姉と、色白の私が二人顔を並べて覗き込んでくるのがおかしかったのでしょう。
「10年ぶりに名前を呼ばれたと思ったらさ、色白いって何よそれ」
万年筆を復活させたご利益があったのか、父はその後も腹の底から力のこもった声でしゃべるようになりました。
病院は感染対策のため許された面会時間はわずか15分。
また来るよ、お父さんまたね。笑顔で手を振って病室のドアを閉めた途端に涙がこぼれて、私たち姉妹は顔を見合わせて笑いました。
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