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眼底に潜む 老いと病・1~バイクに乗れない~

2020年に子宮体がん手術のあと抗がん剤治療を受けて社会復帰。そのわずか3か月後に視力を失いかねない病と闘うことになりました。1型糖尿病を抱えるがんサバイバーの闘病日記です。

運転免許証の写真は五厘刈り

「あ~白内障が結構進んでますね」
「ええっ白内障?白内障ですか?」
眼科医の言葉に私は二度も聞き返しました。
「他にも何か潜んでいそうですね」
眼科の医師は他にも悪さをしているヤツラの目星をつけているようでした。

2020年に子宮体がんの手術と抗がん剤治療を受けながら、私は極端に視力が低下して行くのを感じていました。それが重度の病であることを知るきっかけになったのは56歳の誕生日を迎えた12月のことでした。運転免許証の更新をするため地元警察署に行ったのです。
交通安全協会の窓口でまずは写真撮影です。

抗がん剤で抜け落ちた毛髪はまだ五厘刈り、2ミリほどしか伸びていません。ニット帽は脱ぎたくないな、免許の写真がスキンヘッドなんてさすがにいや、恥ずかしい。
「写真は帽子は取るんですよね?」と一応聞いてみました。
すると私よりも年上と見受けられる女性は、「はいはい脱いでくださいね」とカメラのモニターを見てはいるものの、相手の頭髪が薄かろうが抜け落ちていようが容姿なんて気にも留めていないのです。
「いやあの抗がん剤で全部ぬけちゃったんですけどね」とささやかな抵抗で言ってはみたものの特に反応はありません。来訪者は私ひとりなのに。
「はい撮ります」バシャッ!
「はいあご少し引いて一枚」バシャッ。
「はい出来ましたよ。ではこの申請書を持って中の窓口へ」
ああ、免許証の写真がスキンヘッドになってしまう。まあ交通違反をしなければ誰に見せることもありませんし、誰も初老女の容姿なんて気にしていないでしょう。写真のことなんて忘れてしまおう。
だけど…近年は病気治療のためという申告をすれば医療用帽子の着用は認められるはずだったと思うのですが、どうやってがん患者ですと証明すればよいのか、診断書が必要なのかもわかりません。面倒な手続きをこれ以上増やす気力も残っていないので、やっぱり快気祝いの記念だとあきらめることにしました。
次は警察署の中の窓口です。
何やら用紙を渡されたので書こうとすると、一体どこに何を書けばいいのか老眼鏡をかけても目薬をさしてもよく見えません。
9月に職場復帰をしてから、さらに老眼が進んでパソコン画面が見えにくくなったと思っていました。そして今、老眼鏡をかけても水中に潜っているようにしか見えないほど視力は悪化しています。
不安を抱えながら視力検査を受けました。
「丸の切れ目を教えて下さい」
「えっと…うーっわかりません」
切れ目どころか〇にさえ見えません。
「これは? じゃあこれは?」
右でも左でも、当てずっぽうで言うことすら出来ないほど丸の輪郭すら見えません。
「すみません眼鏡を変えてもいいですか」
私は車の運転用から遠近両用に変えてみたものの、まったく見えず結果は不合格でした。
窓口の警察官は「片目で0.3ずつ、両目で0.7見えないとダメなんで見えるようにメガネ作り直してまた来てくださいね」とさわやかに早口で言うと書類を警察の茶封筒に入れて渡してくれました。

バイクにはもう乗れないかもしれない

いやだ、バイクを諦めるわけにはいかない。警察署を出た足ですぐに近所の眼鏡店を訪ね、視力検査をしてもらいました。すると検査の担当女性は。
「レンズの問題じゃないですね、視力自体というか、すぐにこのまま眼科に行って診てもらった方が、深刻な状態だと思います。とにかく早く。」
店の人たちは、「お力になれなくて申し訳ないけれど、お大事にしてくださいね」と丁寧に見送ってくれました。
がん治療が終わったらもう一度バイクに乗りたい、それを目標に抗がん剤も耐えてがんばってきたのに。これまで40年も乗ってきたバイクにはもう乗れなくなるのだろうか…
ショックが大きすぎて、その日は午後から仕事に行ったものの、まったく身が入りませんでした。(つづく)

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