罪と贖罪の本当の意味について。
こんにちは、けんたです。
僕は先日、シン・エヴァンゲリオンを観てきたのですが、一番思ったことは、
シンジくんがめちゃくちゃカッコいいです。
シンジくんといえば、逃げちゃダメだ!!と言いながら、色んなものから逃げてきた、ある意味とても人間らしい存在。
その彼の、犯した罪とそれを償いながらみんなを救うために成長していく物語。
僕は正直、昔はシンジくんが嫌いでした。
ナヨナヨしてるし、すぐいじけるし、逃げるし。
でも、何故彼が嫌いだったかっていうと、
彼の抱えている弱さはそっくりそのまま、僕の弱さと同じで、そんな自分の弱さをマジマジと見せつけられる事が嫌だったんだなって、今になって思います。
そして今作を通じて成長したシンジくんを見て、僕自身、
"もっともっと、周りの人を救う人となれる"
と思えるような、勇気の湧いてくる作品でした。
以下、ネタバレになりますので、知りたくない方は見てからお読みくださいね。
彼は、アヤナミを救いたい!という想いから、世界を破滅に導くニア・サードインパクトを引き起こし、
更にこの狂った世界をやり直したい!という想いから更にフォースインパクトを引き起こし、
それを止めるために親友であるカオルくんを目の前で失うという経験をして、精神が壊れてしまいます。
つまり、自分のせいで世界崩壊。
自分のせいでみんな死ぬ。
自分が行動を起こす=誰かが傷つく。
こう捉えたシンジは、自分に絶望し、何もせずにひたすら自分の殻に引きこもります。
でも、トウジや、ケンスケ、アヤナミやアスカといったかつての仲間達が、みんなの人生をめちゃめちゃにした自分を気にかけて優しくしてくれる。
そんなみんなの暖かさに触れて、シンジくんは次第に心を取り戻していきます。
彼が立ち直るキッカケを与えてくれた仲間の為に、自分の出来る事を為したい。
そして、自分の罪に落とし前をつけたい。
再び立ち上がった時、彼の目に宿る光は違ってました。
きっと彼はこの時、一生分の後悔と、一生分の自分の為の涙を流してしまったのでしょう。
それを象徴する言葉があります。
「もう泣かないよ。涙は自分しか救えないから。」
これは凄い深い言葉だなって、思います。
涙は自分のために流すものじゃない。
誰かのために流すもの。
僕もこの言葉を忘れずにいたい。
さらに言うと、シンジくんの中で"救う"という言葉の意味が、前作と今作ではまるで違っています。
前作までの"救う"は、自分の大好きな人を失いたくないから救いたい。
また会いたいから、失わないように救いたいという気持ち。
誰かを救っているようで、その根底にあるものは、自分の寂しさを埋めたいがために誰かを求めているに過ぎない、ともとれます。
しかし、今作の救うは、まるで違う。
それは自分の弱さを受け入れて、恐れずに相手と向き合う事。
その上で相手の弱さも全部まとめて受け入れ、認めて許す事。
シンジの父であるゲンドウは、自身の心の弱さを息子に見られるのが怖かった。
人との関わりを知らずに生きてきたゲンドウにとって、初めて自分を認めて受け入れてくれる居場所=ユイを失う事が、他の何にも耐え難い苦痛だった。
こんなにも醜く争い、奪い合い、価値観を押し付け合い、互いを認められずに分離し、イジメや差別や戦争の無くならない世の中であるならば、分離する"個人"という感覚を無くしてしまう、
"純粋な魂だけの世界=人類補完計画"
を利用して、再びユイに会うための壮大なシナリオを描きますが、
最終的には、
シンジくんのお父さんを理解したい、受け入れたいという想いに触れ、ユイとの再開を果たします。
それは血を受け継ぐシンジの中に眠るユイの面影と捉える事もできますが、
ゲンドウにとって、自分を認めて受け入れてくれる存在=ユイという"概念"だったように感じます。
シンジも劇中のセリフで、
「父さんが母さんに会えないのは、自分の弱さを認められないからだよ。」
と、言っています。
ユイに会うためには、神の力を手に入れる事なんかじゃなくて、ただ自分の弱さを認める事だった。
そしてそれを伝えられるのは、他でもない自分の弱さを全部丸ごと受け入れ、それでも愛する人達のために、その魂を救うために立ち上がった息子のシンジくんだからこそ話せた言葉なんですね。
もう一つ、この作品には罪の象徴である、ボタン一つで爆死するDSSチョーカーという首輪が存在します。
一度はこの首輪を、カオルくんに物理的に外してもらったシンジくんですが、断罪を済ませてないシンジくんは自らの意思で再びDSSチョーカーを付けます。
色んな失敗して周りに迷惑かけて嫌な思いさせて、その罪は消えるわけじゃないけど、
まとめて全部受け入れ、背負い込んだシンジくん。
そんな彼の覚悟に、ニアサードを引き起こした張本人を快く思わないクルー達も、シンジくんを信頼するようになる。
そんな、丸ごと全部受け入れて前に進む覚悟を持った時、人は運命すらも乗り越える新しい道を歩む事が出来るんですね。
自分の中に揺るがない誰かを救いたいという想いを宿す事で、罪の象徴であるDSSチョーカーは最後、マリの手によって外されます。
罪を背負っても、人は誰かと関わることで、思いを向けてもらえることで、立ち直る勇気を持てる。
勇気を持って、みんなのために生きる覚悟を持てたのなら、どんな絶望も越えられる。
最後に、この物語を象徴するような、渚カヲルくんの台詞を紹介させていただきます。
"償えない罪はない
希望は残っているよ、どんな時にもね"
そう、周りに迷惑かけようが、人生に絶望しようが、どんな時だって希望は残っている。
その希望を捨てないように、掴めるように、見ている私達に希望を胸に生きていく力をくれるような、力強いメッセージをくれる作品でした。
ありがとうエヴァンゲリオン。
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