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「若い女子を甘やかす」真意

男だったらもっと厳しくしてるけど、女性でよかったね
と上司に言われた。
みんな優しくしてくれるしね
とも。

ここでは上司の発言について議論しない。
する気も起こらないし、するとなったら腰を据えてだ。全ての角度から言いたいことがある。
というわけで、上司のことは置いておいて。

若い女性だからと言われないだけの実力をつけたいところだが、そう言われてしまう点は自分でもあると思う。後ろめたさも情けなさも開き直る気持ちもある。
直接的に評価に関わることに限らず(むしろ、評価には関係ないけれど大切な、職場の日々の人間関係において)、私は紛れもなく「若い女性」であり、うちの職場では今のところ「少数派」である。さらに言えば、「仕事ぶりは微妙だがそこそこ愛想の良い、職場で一番若い女子」である。自己認識を多分に含む。
その恩恵を日々受けている。望まないけれど、それは確かに恩恵である。気付いている部分も、当たり前になって気付いていない部分もあると思う。

私が若い女子でなければ、廊下をうろついているだけで飲み物を買ってもらったり、お菓子をもらったりしないかもしれない。
若い女子だから、面倒ごとを快く引き受けてもらえたのかもしれない。
私が男だったら、あのミスはあの程度の処置じゃ済まなかったのかもしれない。

全てたらればなので真相はわからない。
でも、少なくとも、女性でよかったね、と言われる意味はこういうことなのだろうと、わかってしまう。

理解しながらも、ずっと、漠然とした納得できなさがあった。

例えば面倒ごとを若い女子に頼まれたとして、じゃあ例えば可愛く頼み込まれたとして、
「〇〇さんにしか頼めなくて…お忙しいですよね…いつも頼ってばっかりですいません💦」「しょうがないな〜やってあげるよ〜今回だけだよ〜☺️(でれでれ)」って、
なるか?!
ならなくないか?
そういう図式はイメージできるし、「得をする女と甘やかす男」ってわかりやすいけれど、
実際、人の心理を想像した時、いい大人が、仕事の場で、そんな安易に動かされるか?
大人、そんなに浅はかじゃなくないか?

そんなはずがない。
だから、女でよかったね、にピンとこず、反発心を抱いていた。

しかし、思いがけず腑に落ちる出来事があったのだ。

ある出勤日、いつも通り朝8時出社、8時30分朝礼、それからいつものルーティンワークにとりかかる…つもりが、職場の先輩に呼びとめられた。
先輩といっても大先輩。今年で65歳のベテランの男性、人生においても大先輩だ。おじいちゃんと孫ほどの年齢差があるものの普段からよく話す仲で、私より芸能人やお笑いに詳しく、ボケツッコミをどちらもこなせるマルチな先輩だ。職場でよくふざけ、いつも気付けば人に囲まれている。そんな人だ。

彼は、新システムの導入に伴って内容が変更されたエクセルファイルの使い方がよくわからないという。
説明する中で何度か意見が食い違い、先輩が理解し損ねている箇所を拾って説明しようとしたが、なかなか伝わらない。
私は新システム導入に携わっているため、仕組みの理解には自信がある。一方先輩は、仕組みについて十分な説明を受けていない(こちらの落ち度だ)。だからどうにか正しい仕組みを伝えて、より快適に日々の業務をこなしてもらいたいのだけど、先輩は穏やかな態度ながらも一筋縄ではいかない頑固さで、意見を変えることはない。
普段は担当業務が重なることはなく、いつも軽口を叩くばかりの間柄だった。なのに、少しだけ、じわじわと、二人の間の空気がピリピリし始めていることには、先輩も気付いていたはずだ。
私は、穏やかな空気を保つことに半分、いかにわかりやすく理解を促進するかにもう半分の意識を集中させながら話し続けた。
そして30分ほど話してお互い少し疲れてきた頃に、先輩のまとう空気がふわ、と変わった。
先輩は、意見を押し切る姿勢を一転し、瞬間黙った。そして、「こうやと思うんやけど、違うかなぁ、もう、わからへんわぁ…」と弱々しく言って、私の目を見、口をつぐんだ。

なんだかその瞬間、女でよかったね、と繋がって、あ、と思った。

女だから、可愛いから、思わず甘やかしちゃうんじゃなくて、
女だから、弱そうだから、厳しくしたら傍目に見ていじめているみたいに見えるから。そうでなくても、自分の中に罪悪感が生まれるから。
だから、私の育成に関して相当の責任がない限り、甘やかしてしまうんじゃないのか。
お菓子をあげたりするのも、弱い者には優しくする方が見映えも良いし自然だし、自分の心情としても楽だから、ではないか。
(もちろん、男女問わずコミュニケーションとしてくれる方もいます。穿った見方なので注釈。)

と、突然「ベテランの大先輩」から「エクセルようわからんおじいちゃん〜わしはもうわからんわぁ〜」になった先輩を見て、腑に落ちたのだった。

先輩に意図するところはなかったと思うが(いや策士だった可能性も否めないが。あのじいちゃんなら否めないが…)、私は確かに怯んだ。なんだかはっきり言えなかった。本当はきちんと説明しなければいけないのに、あんまり言うとキツくなっちゃうな、と、勝手に手を緩めてしまった。
それは、先輩の意見を尊重しないと、というのとは明らかに違う遠慮だった。失礼だった。
(先輩がただ面倒になって誘導された可能性も、否めないが…)

この理屈なら、男なら厳しくする、という言い分もわかる。
当たり前だけど、可愛くないから厳しくするわけじゃない。
言いにくさがないから、当然言わなければいけないことを、はっきり伝えられるということだろう。

こんなことを数日もやもやと考えていると、私の心を読んだように、ある女性の先輩に言われた。
「女の人は、自分で自分を律しないと、誰も厳しくしてくれない。それで歳をとって、自分の実力を見誤って、そのまま生きていくんだよ。そんな人たくさんいる。女の私から見ても、痛々しい人がたくさん。」

そして、「あなたに厳しくする人は、そんな女性をたくさん見てきたのかもしれないよ」、とも。

確かにそうかもしれない。自分が悪者に見られても、手間がかかっても、私に手を緩めないでいてくれる人は少なくて、だけど今の職場には何人かいることも知っている。
甘やかされることに反発するよりも、限られた自分への厳しさに向き合い、自分を甘やかさない人になれるだろうか。きっとその方がずっと難しくて、ずっと意味がある。

自分を律することができれば、立派だと思う。だけど本当は、私が心から憧れるのは、
若い女性だろうが、歳をとっていようが、おじさんだろうが重役だろうが、
歩いているだけでお菓子をもらえるような、なんとなくあげたくなってしまうような、そんな風に思われる関係を周りの人と築いている人。難しいことを考える前に、感覚的に、魅力的だなぁと思う。
そんな、先輩(65)みたいな人を、目指しています。

おわり


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