差別はなくなるのか

ジェンダーや差別の問題を考えていると、未来に希望を見出せず暗鬱な気持ちになってしまいます。
と言うのも、考えれば考えるほど差別ってなくならなくね?という結論にたどり着いてしまうからです。

世界がどんどんアップデートしていって、性や人種、出自に対する差別がこの世からなくなった時、
浮き彫りになるのは人々の「能力」だと思っています。
ここでいう能力とは、努力や経験によって向上する技術ではなく、
いわゆる向き不向きというやつです。
同じ教育や指導を受けても、それをどれだけ吸収し活用できるかには個人差があります。
先天性の能力、まあ才能ってやつかもしれません。
もちろん、何か特定の分野が苦手でも別の分野に長けているという事はありますが、
社会に求められる能力を持つ人は認められるけど、需要のない能力を持つ人は特段必要とされないという現実はあると思います。

例えば「鼻をほじるのが激烈にうまい人」がいたとして、その人の周りに「俺の鼻もほじってくれ」と人々が集まるとは想像つきません。
この「鼻ほじ達人」は特に需要のない「鼻ほじ屋」を開業することもなく、「鼻ほじ」とは無縁の職につくことでしょう。
週末のホームパーティでご自慢の「鼻ほじ」を披露することもなく、自身の才能で他者に何かをもたらすことのない人生を送ることになると思うのです。
それは「鼻ほじ」が他人に必要とされていないからです。

現代において、自分が社会に求められていると感じられている人はどれくらいいるのでしょうか。
突出した能力を持つ人でなければ、自分の代わりはいくらでもいるよなと感じてしまうのではないでしょうか。
それはいわゆる自己肯定感の低さに繋がってくると思います。

差別的な言動をしてしまう人たちには、この自己肯定感の低い人たちが多いのではないかと感じます。
自分より劣っている人を無理やりに設定して、自身の価値を相対的に上げようとしているのです。
差別をされる対象が性や人種などによるものだった場合、「いや、それ別に関係ないだろ!」となりますが、
その対象が「自分よりも、社会に求められる能力を有さない人」だった場合はどうでしょうか?


結局、人が集まれば差が生まれ、差が生まれれば優劣が生まれるんだと思います。
先天性の能力差というものは確実にあり、それは努力では埋められないこともあると思っています。


では、すべての人が必要とされる社会を作るにはどうすれば良いのか?
その方法のひとつとして「役割を与える」というのがあると思います。
「すべきことがある」というのは自己肯定に繋がる気がします。
しかし現状では、それを実現させるには人の数が多すぎるんではないかと思っています。

例えば、
3人しかいない村だったら、食料を調達する人、それを調理する人、居住環境を整える人など、すべての人に役割が与えられると思います。
生きるための需要に対して、それらを解決する人の数が足りていなければ全員必要です。

その村に新たな人物が1人やってきて、めちゃくちゃたくさんの食料を調達できる能力を持っていたとします。
そしたら元々の食料を調達していた人の仕事は奪われ、やることがなくなってしまいます。
4人の村での需要が3人で賄えるようになってしまうのです。

やることがなくなってしまったその人が、食料の代わりに近くの森で小枝を拾ってきて家の隣に素晴らしいオブジェを作ったとします。
食料を調達することよりも、芸術的なものを生み出す能力に長けていたわけです。
ですが、他の3人がそのオブジェを気に入らなければ、彼の能力は意味をなしません。
社会の中で需要のない能力は、その社会においては価値を持たないのです。
「鼻ほじ達人」と同じですね。

では、人の数が少ない方が良いのかというと、そういうわけでもないと思います。
3人の村では誕生し得なかった芸術が、4人になることによって生まれました。
手が空いている人がいるというのは、社会に新たな発展を生み出す可能性をもたらすということです。
今、村に住んでいる他の3人には無価値だったオブジェですが、そのオブジェに魅せられて新たに村に加わる人も出てくるかもしれません。
現在の世界では需要があるとは思えない「鼻ほじ屋」だって、もしかしたら求められる未来がくるかもしれません。
その人がどんな能力を持っていたとしても、または能力を持たなかったとしても、本来は尊重されるべきです。
人は何かしらの可能性を持っているはずだからです。


と書くと、なんだ未来は明るいではないかと思うかもしれませんが…、
残念ながら、「需要が生まれるまでは価値は生まれない」というのが現実です。

わかりやすい例では、
新型コロナによって「保健所もっと必要じゃん!」となりましたが、
コロナ前までは「保健所ってそんなに数いる?必要ないから減らそうぜ」となっていたわけです。

だったら、「あらゆる事態を想定すべき!」といって、
突如現れるかもしれない宇宙人のために各自治体に「宇宙人対策課」を創設したとしたら、
そこの職員は「税金泥棒!」と中傷されてしまうことでしょう。


なんだか話がずれていってる気もしますが、
要は、発展を望む社会においては、その時点では必要とされていない人が存在してしまう。ということです。
そしてそれは、その人たちが差別や中傷の的になってしまう可能性があるということでもあります。

性や人種などの出自によって差別されることは決してあってはならないことですが、
それらが解決されたとしても、対象がスライドしてしまうだけな気がしてしまい、文頭のように暗鬱な気持ちになるのです。

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