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なにもない

今日も何も出来なかった。
なにもない。

なんでもあるから、なにもない。
もう私はやりたいことも、やりたくないこともなんでも出来てしまう。

アルバイトをはじめた。
これからの為?お小遣い稼ぎ?欲しいものがある。
そんな感覚ではじめた。

やってみたら分かったけど、出来ることならアルバイトなんてやりたくない。
前日の夜、猛烈に行きたくないという感情が地獄の底から這い上がってくる。
行きたくないと思っても、明日が来ることは変わらない。究極行かなくてもいい。誰かが困るだけ。

大人になったなと1番感じるのはこういう所かもしれない。やりたくない事から逃げても、どうせいつかやる事になるんだと思ってこなす事ができるようになった。

今ではあの頃の学校生活も"こなす"ことが出来るのかもしれない。

当日の朝には覚悟がついていて、既に悟りを開く。
あまり好きじゃないバイト先の人に、「原田さんは仕事が出来る」と私がいないところで言われていたことを知る。
それだけで、少しその人が好きになったりやりがいを感じたりする。

バイトをしている時、「あれ?あなた、音楽は?」と問い詰めてくるような自分がいる。

音楽やらないの?なんでバイトしてるの?
この時間、あなたがやるべきは音楽じゃないの?

わかってる。けど、全然わかってない。
それとこれとは別物。

そんな返答を繰り返しては、自尊心を保っている。
誰かに、いつかそんな分かりきったことを問われるのが怖い。
だからこうやって、自分で問いかけてなんとか噛み砕いては、しっかりとした理由があるんだ、決して間違ってはいないと言い聞かせている。

実際、安定なんてしていないんだしアルバイトをやることくらい誰しもがしている。
私が尊敬するアーティストだって、「バイト」という曲を過去に作っていた。

それでも未だ未来に焦ってしまう。
未来で済まされていた空想が、もう既に現実の域まで達してきてしまっている。
のうのうと生きていれば、2年後も、10年後も、その先も、きっと私は今と同じことを考え、同じことを繰り返しては遠いはずだった未来を描いているのだと思う。


今日も充実している。満たされている。

わざわざツイートするようなことも思い浮かばない。

一見幸せな日々がどうも居心地が悪い。


極端な人間だから。私は極端なんだ。それを1番、私にわかっていて欲しい。それが正解ではないこと。単に極端であること。


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