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厄介な感情。

好きなこと、しあわせなこと、楽しいこと、嫌なこと、不快なことなど、感情に左右されるものたちと、どのように付き合っていけば良いのだろう。
同じ現象を味わったとしても、その時の自分自身の感じ方は、全く逆になる場合すらある。

ものすごく好きな人を一旦嫌いになる。嫌いになれば同じことを相手がしても、感情が正反対になる。
今日は楽しいのに、この前は嫌だったことなどは、よくあることだ。

好きなことを仕事にすればいいとか、仕事は楽しくするのがいいとか、ぼくもそう思うけれど、とても曖昧なことに思える。

同じコーヒー豆を同じように抽出して、味や香りが変わりなく証明されたとしても、その時の感情次第で、苦く感じたり、甘く感じたり、五感というものは、頼りない。

初めて出会って、直感的にこの人が将来結婚する人だと思い、数年後に結婚することもある。だけど、好きだという感情がいつまでも続くことは稀だ。否、好きなんだけど、波がいつもあって低い時に間違いを起こすこともある。

生々流転とはよく言ったものだ。
人は変わる。
自分も周りも。

常に感情は変化する。感情さえなければ苦しむこともないと思うのだが、苦しみすら感情だから、この感情は人間のサガでしかない。コントロールは不可能に近い。

でも、いい大人になってくると感情の振幅を滑らかにすることが可能になる。赤ちゃんの時は生きるための感情を表現し、善悪や正誤による理由ではない。だんだんど自我が目覚めるに連れ、環境の変化が感情に映り込む。大人になれば大人の事情で感情をあらわにする。たとえその瞬間だけ感情をコントロールしても、負の感情ほど蓄積されて、いつかは表に現れる。皮膚下に細菌が入ってむず痒くなって、でも我慢していると徐々に腫れてきて、ついに膿となって表出するように、感情も爆発する。そこで手当てを間違えると、治るものも治らなくなり、関係が破断することもある。

今日楽しいことが、明日楽しく無くなることがある。
感情の変化が常に起こる。
人は生きている限り、その繰り返しである。

そんな自分を責めても卑下しても、感情が動くだけなのだから、よくはなるものでもない。



いい大人になるというのは、中道を意識して、いちいち大きく振れないということだと思う。

大きく振れたければ、それでもいい。
若気とはそういうものでもある。

ただ、
自分を責め続けないでほしい。
感情の行為による結果で、自身を傷つけないでほしい。


#エッセイ #生き方 #人生 #こころ 

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