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雷鳴と豪雨は神様のサインかもしれない。

夕方のこと、久しぶりの雷鳴と豪雨だった。

小さい頃、庭の木に雷が落ちて以来、大嫌いな自然現象の一つになっていたので、遠くで光って、遠くで音が聞こえても、不安だった。この日は、光るとほぼ同時に音がなった。間近で落ちていた。

トラウマというものは存在すると思ったのは、大人になってからだが、この雷鳴ほどのものはない。


すべての不安は、恐怖心からもたらされる。
攻撃的になるのは、恐怖心による不安が外に向けられた現象だ。暴力を振るう者も、内心の恐怖から逃げるために行動してしまっているのだと思う。

常に怒っている人は、実は心のどこかで自分に対して不安を抱えている人だと思うようにしている。
急に怒る人は、心に恐怖をいっぱい感じているのだろうと思う。

もし自分が怒りでいっぱいなら、自分が不安を抱えているかもしれないと、自己分析してみるのも効果がありそうだ。

ぼくのような普段は気づかないトラウマを持っているかもしれない。


多くの人は怒りをぶちまけることはしない。でも怒りを抑えているなと感じたなら、少し時間をおいてから、怒ってあげることをお勧めする。

冷静になって雷を落とす方が、相手により効果的だからだ。


今日の雷鳴と豪雨は、人間に雷神様がもうええ加減にしろよと忠告しているようにぼくには聞こえた。


#エッセイ #生き方 

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