8月③映画「信長協奏曲」

日本史が好きだ。勉強も得意だった。
でも、オタクとは言い切れないほどのわりと危うげな知識量だ。
なんか、前もこんな書き出しあったな。恐竜か。恐竜についても、好きだけど、オタクほどの知識はない。

そう考えると、私、知識を詰め込んでとりあえず試験で高得点とることはできても、一つのジャンルにのめりこむようなハマり方はできないんだな。これからも浅く広くいきます。ハイ。

戦国時代に現代の男子高校生がタイムスリップ。織田信長と顔がそっくりだったせいで、身代わりになった主人公が、信長として戦国時代を生き抜く、というお話。
漫画が原作で、ドラマ化、からの映画でフィニッシュとあいなった。うむ。(語尾が戦国時代に引っ張られています)

ドラマを観て、小栗旬って、こんなカッコ良かったっけ?とハマり、うろ覚えな日本史の知識をウィキで補填しつつ楽しんでいた。
史実とファンタジーを巧妙に組み合わせているので、細かい部分に「ん?」というツッコミはあったが、勉強になるやら面白いやら。

映画版では、本能寺の変をメインに描いているが、明智光秀が実はホンモノの信長、という設定がキモだ。さすがに有名すぎる史実だから、結末は分かっているものの、歴史を変えずにどうやって信長と光秀の死を描く?主人公なのに、死んで終わり?ってか、秀吉が暗躍してるけど、どう絡ませる??とワクワクした。

結果、秀吉に唆されて、光秀がニセ信長を討とうとするが、改心し、自分が信長として死ぬ。本能寺からニセ信長を逃がすが、秀吉はこれを光秀だといい、逆賊として討ち果たす。その際、ニセ信長は急に現代へ戻って、めでたし。

そうか、まぁ、それが妥当か…
でも、なんだろう、この納得しない気持ち。
だって、そんな都合がいいことってある?
なんのためのタイムスリップだった?

いや、現代のような平和な世を作ろうぜ!って想いを戦国時代の民に伝え、その想いを秀吉や家康がつないでいった、っていう理屈は分かる。
でも、それって、現代からタイムスリップした人じゃなきゃできなかったかな?

だって、戦乱の世を生きていた人たちこそ、平安な世をいつでも強く望んでいたはずじゃないか?
現代日本の、70年も平和に生きてきた私たちの方が、平安な世を当たり前だと思ってないか?
戦争を忘れて、また繰り返そうとしてないか?

タイムスリップした人間が歴史を動かすんじゃない。歴史を学び、真摯に現状に向き合うことで、リアルタイムに生きている人間こそが歴史を変える。そう信じたい。

30年後の未来からタイムスリップしてきた人に、「このままだと第三次世界大戦起きますよ、ラブ&ピース!」って言われて気づくんじゃなくて、自分たちが今を変えていかなきゃ。

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