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富士山(3)

山頂はすぐそこに見えていた。
辺りもすでに明るくなり始めており、この先の道程がはっきりと見える。
暗闇の中、どれだけ進めばゴールなのか、自分はどこにいるのか、それすらも分からずに歩き続けてきた日々(実際には、9時間くらいね)ももうあと少しで終わるのだ。

しかし、焦る気持ちと裏腹に、人の渋滞で思うように進めない。
対立しつつも一緒に登っていたはずの我々も、この頃には混雑のせいではぐれてしまっていた。私は、たむけんと一緒に最後の坂を登った。
もちろん疲れ果てている。苦しい。でも、あと少しで日の出。一瞬でも休む暇はない。この時、自分に思いも寄らない底力が眠っていたことを知る。
必死で、目の前の岩をつかみ、登った。この時、手の爪もはがれた。

そして、ついに山頂の鳥居をくぐった。
するとそこに、MくんKくんの顔が見えた。しばらくして、Sちゃんザキも合流した。やったね!登れたね!!みんな一緒に!!達成感を噛みしめていると、雲海の先に太陽が現れた。
疲れも、寒さも、対立も、苛立ちも、全部消えた瞬間だった。
本当に、ここまで来られて、この光景が見られて、良かった。

山頂で、軽食をとりトイレを済ませると、下山することになった。もちろんもっと休みたいし、この景色を楽しみたい気持ちもあるが、何しろ寒すぎた。うっかり目を閉じたら、このまま天国に行きそうだ。


下山の道は、ひたすら砂利道で、ジグザグに続いていた。
高山病にもならずに済んだし、後は無事帰るだけ。気楽な気持ちだった。
しかし、実は、この下山こそ恐ろしいものだったのだ。
それを知っているSちゃんとザキは、しゃべりながらウダウダ歩く素人集団を置き去りにして、さっさと歩いていった。私たちは、「もうそんなに急がなくてもいいじゃん。休みたい。」と不満を述べ、彼らに追従することなくゆっくり歩いた。
そのペースのまま坂を下り続けていると、膝に異常を感じるようになった。いわゆる「膝が笑う」という症状が出始めたのだ。これが本当につらい。地獄だった。それで、休憩する回数も増えた。でも、休んでも膝は回復せず、一度座ると、立ち上がるのが非常に億劫になった。もうやだ、ここで寝かせてほしい、何度そう願ったことか。でも、自分で歩かなければ、家に帰れない。なんとか気持ちを奮いたたせた。
膝の痛みだけでなく、登り道と比べると異常なほどのトイレの少なさにも苦しめられた。やっとたどり着いたトイレは数が少なく、大行列ができている。並び終えて、入ったトイレは汚くてくさい。それなのに、有料。泣きたかった。
バイオトイレだから仕方ないのは分かっている。でも、疲れすぎた体と心には大打撃だった。

この頃には、登山愛好家チームがそそくさと山を下りた理由が痛いほどに分かっていた。膝が笑う前になるべく早く下山すること、これが登山の基本ルールだった。「だから!先に、教えろよ!!」また、彼らへの不満が募った。
素人チームの中でも体力差が出たのか、Mくんは先に行き、Kくんとたむけんと私が残された。3人になると、元々怠け癖のある集団だったのだろう。頻繁に休憩をとり始めた。10メートル進んで5分休む、といった体たらく。

そんな折、馬がいるのを見つけた。正確には、下山者をタンデムで馬に乗せていってくれるサービスがあったのだ。我々は、「とりあえず値段聞こう。」と馬に乗るおじさんに駆け寄る。五合目まで一人3000円。高い。断念。

あと少しで、五合目。ほぼ勾配のない道を数百メートルいけばゴール、そんな所で、私は限界を感じていた。あとちょっとだけど、もうこれ以上歩きたくない。足が動かない、眠い、しんどい。辛い。マジでツライ。

そんな時だった。10人くらいが乗れる馬車を見つけたのは。
懲りずに値段を聞くと、一人1000円。ダメな3人組は顔を見合わせた。心はひとつだった。「乗ろう。」(ここのくだり、「プロフェッショナル~仕事の流儀~」で読んでみてください)
馬車の上で、自分の膝と心に、これ以上ない安らぎを覚えた。これで良かったんだ。あれ以上は無理だったもん。そうやって、ゴールに近づいた時、そこには今まで見たことくらいガッカリした顔のMくんがいた。
思わず顔を背ける私たち。でも、Mくんには3人の姿がはっきりと見えていた。彼は、最後くらい皆でゴールしようと、私たちの到着を待っていたらしい。そこへ、まさかの裏切り、まさかの馬車。笑うしかなかっただろう。

五合目の駐車場には、1時間以上前にゴールし、惰眠をむさぼるSちゃんとザキがいた。もちろん、下山の鉄則を教えなったことを責めたが、後の祭り。それに疲れていたので、とにかく早く帰路につくことにした。
その時、すでに日曜日のお昼。
こうして長い長い、富士登山が終わった。

経験も体力もないし、チームワークどころか、対立までしていたのに、富士登山を成し遂げれたのは、なんだかんだ言って、このメンバーだったからだと思う。今振り返っても、すべてがいい思い出だ。辛いツライと書いたけど、「ホントに楽しかった」というのが総合的な感想だ。

あれから、彼らと富士登山の思い出話を何度もしているが、毎回笑える。Mくんは毎度「Sが自分の山みたいに、偉そうに注意してきたのがムカついた。」と言ってSちゃんを責めるし、私たちも「お前らが最後馬車乗ってきたの見つけた時はもう・・・」と絶対責められる。そして、笑う。

こんな風に、あの体験を共有できることが嬉しい。幸せだ。

でも、またやるか?って聞かれたら・・・絶対やらない!!!

終わり。

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