問題

問題のあるレストラン、は、心に刺さりすぎるドラマだ。本当に。

セクハラ、パワハラが核の問題として描かれるが、登場人物それぞれの問題にも、深く心をえぐられる。

特に、量産型女子として、男性に求められる姿、態度を実践している子が、同僚男性に勘違いされ、ストーカーされてしまうエピソード。
ドラえもんのしずかちゃんが、なぜダメンズたちとばかり遊んでいるか、なぜ女の子の友達がいないか、なぜお風呂を覗かれてもすぐ機嫌を直すか、それは自分と同じように、男に求められた自分を演じているからだ、と言う彼女。
痛くて、泣けた。

ちょうど同じ頃、アメトーークでは「しずかちゃん大好き芸人」をやっていたけれど、前述のエピソードを見た後だったから、なんだか心から笑えなかった。
しずかちゃんは、男の理想の女性像を体現している存在なのは確かなようだ。
番組内で、「ダメな男(のび太)を許し、愛してくれる」ことを賛美していたから。

のび太とはダメの度合いが違うにしても、このドラマは、セクハラ、パワハラ、暴力、ストーカー、そういうものを許容せずに、ちゃんと問題だと言おう、叫ぼう、というテーマなんだろう。

問題視しないこと。見てみぬふりすること。我慢すること。仕方ないと諦めること。無視すること。気にしないようにすること。

社会人になったら、それらのことがあたかも「賢く生きる知恵」みたいに言われることが増えて、ずっと反発を覚えてきた。

例えば、独身の頃、会社から車で帰宅したら、実家の駐車場に見知らぬ車が停められていた。近所の家の子どもの所に、その友達が来ていて、迎えに来た親の車だった。少し待ったが、一向に去ろうとしないことに腹が立ち、私は、自分の車を路駐し、車を降り、文句を言いに行った。すると、運転席にいたその母親らしき女が、窓を開け、イラついた顔で「すぐどきますから!」と言ったのだ。私がまだ一言も発していないうちに。

逆ギレされるとは思いもよらず、その態度が信じられず、つい文句も言えず引き下がった若き日の私。
でも、家に入ってからも怒りが収まらず、親にその近所の家に文句言ってくる、と言った。うちの駐車場に二度と停めるなと言ってやる、と息巻いた。
すると母に、やめなさい、近所のつきあいがあるんだから、と止められた。納得いかなかったが、確かに近所づきあいをするのは自分ではなく親なので、諦めた。親のために。

今後穏便に暮らすために、波風をたてない。
それもまた大事なことかもしれない。でも、間違ったことは間違ってる、そのせいで気分を害した、と伝えないと、悪ははびこる一方だ。増長する。

ただ、その伝え方は気を付けなくてはならない。
若き日の私が感情的になって、近所の家に文句を言ったところで、何も伝わらなかったと思う。やはり親は正解だった。

また、会社では同じ頃、総務的な部署にいたため、毎日昼休みに、同じ課の男性社員のお茶と仕出しのお弁当を、会議室に用意するという役割を与えられていた。
なぜ、女性だからといって、彼らの昼食を用意してやらないといけないのだ?自分の昼食くらい自分で用意しろよ。これって、軽いセクハラじゃね?

納得できない仕事をしていることが気持ち悪くなってきて、当時の上司に正直に話してみた。もちろん、その人なら分かってもらえるだろう、という人選の元に。
すると、じゃ分かった、今日からやらなくていいから、と請け負って、実際、周りにも話をつけてくれた。

この時、入社一年目の新入社員。そんな小娘の意見を真摯に受け止めてくれた、その上司が素晴らしい。
でも、問題を問題だ、と叫ぶ大切さを、私はその時身をもって学んだのだ。

それから14年。
私のスタンスは変わらない。
問題があるなら、見てみぬふりは絶対しない。
伝え方、伝える人、伝えるタイミング、説得力のある証拠、を吟味してから、問題提起する。

きゃりーぱみゅぱみゅも歌っているではないか。
私、もんだいガール。
私、もんだいがある?

問題があると叫ぶ人を疎ましく思うような社会や組織こそ、大問題だ。

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