神戸

阪神大震災から20年。
私は1997年に神戸の大学に入り、あの街で四年間を過ごした。

地震から二年が経過していたが、大学は市立だったから、グラウンドの半分が仮設住宅になっていたし、被害がひどかった地区の復興はまだ進行中だった。
それでも、神戸の人たちは皆神戸が大好きで、そこに住むことにプライドを持っていた。田舎出身の私にはなかなか理解できない感覚。それが、気取ってるな、鼻につくな、と思うこともあったけど、それ以上に私も神戸が好きになった。

海もある、山もある、それでいて、街はきちんとおしゃれで、でも都会すぎず、夜は眠らない街というよりは、ポツポツと灯りのともる小さなお店で誰かがこっそり夜を楽しんでる、そんな感じ。中心部の三宮、元町エリアは狭く、歩いてどこでも行ける。いきなり、オシャレな雑貨屋やカフェに出くわしたりする。
私が住んでいたのは、三宮から地下鉄で20分くらいの町。がんばれば、須磨海岸で歩けた。大学四年の夏、親友と須磨海岸に海水浴に行って、そこの海の家で着替えてる時に、今の会社の内定の電話をもらったのを覚えてる。後ろでKinKi Kidsがかかってて。

昨夜、竹内結子主演のドラマ「上流階級」を観て、舞台が神戸のデパート(明らかに大丸)だったから、風景が懐かしすぎて、神戸のことを想った。「うわ!生田ロード!大丸よく行ったなー。あ、でも、大丸の位置からこんな風にポートタワーとか市役所とか見えない。別の場所だわ。」とかブツブツ言いながら。

阪神大震災は、当時遠く離れて暮らす私にも衝撃だったし、神戸に住んだことがあったから、他人事ではない。それでもしょせん、私は当事者ではない。そんな者が何を言えるのか、と思われても仕方ないが、私が神戸を想うとき、浮かぶのは、素敵な街並みと個人的な思い出の数々だ。
ただ、あのプライドの高い神戸の人たちは、倒れた高架を、焼け野はらになった長田区を、石畳がぐちゃぐちゃになったメリケンパークを、思い出してほしい訳ではないのではないか。それよりも、あのオシャレな街にまた行きたい、と思ってほしいのではないか。自慢気に自分たちの大好きな街を語る彼らへの応援は、訪れること、買い物すること、美味しいお酒とご飯を楽しむこと、だろう。私はそう思っている。

もう何年も訪れていない。
そろそろ今の神戸を見に行こう。また別の思い出も作ろう。

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