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富士山(1)

富士山が世界遺産登録される、前の年の話。

会社の仲のいい後輩たちと「富士山に登ろう」という計画が持ち上がった。というか、Mくんが登山愛好家のSちゃんに、「おい、富士山登りたいから、連れてけよ」と命令したことから始まった、んだと思う。当時から彼らと仲良くしていたものの、別の支店だったので、正確な発端は分からないが、話を聞いてすぐ、私も行きたい!と手を挙げた。

大学生の頃、高校時代からの友達と計画したものの、私だけ関西にいた為、東京からの富士登山ツアーに参加するのがいろいろ困難で、諦めてしまったことがあった。結局、友達は富士登山を成し遂げ、私は参加できなかった悔しさと、一抹の寂しさを覚えた。
その後機会もなく、このまま富士登山したことない人として人生を終えるのだろう、となんとなく思っていた矢先の、この計画。しかも、同行するメンバーが、以前諦めた時の仲良したちにもひけをとらない、楽しそうなメンツ。これは、行きたい!行くなら今でしょ!と思ったのだ。

でも、私はすでに当時33歳で、特に運動もしていない。体力に全く自信がなかった。本当に富士登山などできるのか、皆に迷惑はかけないか、不安材料しかなかった。
そこで、富士登山の経験があるSちゃんと、どこか手近な山に登ってみて、富士山にも登れるか、彼に判断してもらおうと考えた。自分としてもそれで心を決めようと思った。予備登山だ。
富士登山の予定が7月の最後の週末、ということで、6月の上旬に、近くの山(人々がトレッキングという程度の低い山)にSちゃんと登った。ゼーハーした。私こんなとこで旦那でも彼氏でもない男といる時に死ぬんかな、と思った。その男、Sちゃんは言った。
「まぁ、止めといた方がいいかもしれませんね。」
そうだろう、この程度の山登りで、口の中に血の味がするのだ。日本一の山に挑戦するなど、到底ムチャなことだ。
そう思って、一度は参加を諦めた。

でも、7月に入る頃、やっぱりやりたい、ダメなら途中で引き返そう、またやらずに諦めるのは嫌だと思った。
その気持ちを正直にMくんやSちゃんに話すと、じゃ行きましょうよ、で、ダメな時はSが一緒におりましょう、と言ってくれた。

それから、最低限の道具を揃え、体力作りのために、夜は4L分のペットボトルを入れたリュックを背負って、ウォーキングした。まぁ、2週間ほどだから、本当に付け焼き刃だけど。

そして、迎えた富士登山当日。
メンバーは、6人。
言い出しっぺでリーダーの、ドSのMくん。
Mくんの忠実なるしもべ、Sちゃん。
典型的B型調子ノリ男、Kくん。
秘密主義の潔癖症男、たむけん。
もう一人の無口な登山愛好家、ザキ。
体力ゼロの最年長の女こと、私。

所属支店ごとに、二組に分かれ、車2台で長野県を出発。M・S・Kの3人がSの車で、たむけん・ザキ・私が、たむけんの車に乗った。
土曜日の15時に、 山梨県の双葉SAで待ち合わせ。
車で富士山五合目まで向かい、その日の夕方から登り始め、翌日曜日の朝のご来光を頂上で拝もう、という計画。
これ、後になって判明するのだが、テレビでさんざん止めてくださいと注意喚起されていた、いわゆる「弾丸登山」
だが、その時、登山素人の我々は、愛好家のSの口車にまんまと乗せられていたのだった。なにしろ、やつは、富士登山は3回目。山小屋なんてどうせギュウギュウで寝れませんよ、と山小屋一泊を拒否したのだった。

彼の楽天的すぎる目論見と、未経験のあまりSを信じすぎた我々の甘さが、その後の富士登山ではさまざまな事件を巻き起こしていく。

つづく。

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