2008アンコール遺跡_181

ベトナム航空と私(2)

飛行機を降りると、雪国だった。

いや、嘘ではない。経由地のハノイは、南国そのものだったホーチミンとは気候がまったく違っていた。雪が降り、空港の地面にうっすら積もっていたのだ。信じられない、数時間前にはのんきにプールに入っていたのに。そんな思いで、空港内に入った。

トランジット手続きも、ホーチミンとまったく違った。入国審査のために、パスポートと搭乗券を見せろ、という。カウンターには4人くらい職員がいるのに、見ているのは2人だけ。当然、長い行列ができた。私はイラついた。入国しねーよ、なんでお前らのハンコいるんだよ。職員は、ホーチミンとは違って、軍服のようなカーキ色の制服を着ていた。それが、また腹が立った。権威さらしやがって。そのくせに、2人はサボっている。お前らも働け!とぶつぶつ文句を言った。日本語だから通じないだろうと思って、わりと大きい声で。
そう、私は疲労のせいか、イライラが最高潮に達していたのだった。
短気な私の横で、夫は自分に火の粉がかからないよう大人しく黙っていた。

なんとかその無意味(に思えた)な手続きを終え、保安チェックを通り(だからトランジットなんだよ!それ、カンボジアでもやってるから!と再度イラつき)、搭乗ゲート近くで待機しようとした。すると、まだ、搭乗ゲートは決まっておらず、しかも、それを表示するはずのモニターは壊れていて役に立たない。ふざけるな!ハノイ空港!!
さらに、寒い。空調も壊れているのかというほどの寒さ。周りを見渡すと、なんと皆冬用のコートやダウンジャケットを着ている。しまったと思った。家から成田空港まで着ていた冬用のコートは、邪魔だと思って、スーツケースの中に入れてしまっていたのだ。夜のフライトだから、と薄手の長袖シャツは着ていたが、到底しのげる寒さではなかった。再度、ふざけるな!ハノイ空港!!!

苛立つ私に、懐の広い夫は、薄手のフリースジャケットを貸してくれた。ホテルで「のん気だ」と怒ったことを少し反省する。
その後トイレで、コンタクトを外し、メイクを落として搭乗準備完了。しかし、その頃からお腹がきゅーっと痛みだした。そして、ひどい下痢が始まった。席に戻ってしばらくすると、またトイレに行きたくなる。何度トイレと座席を往復したか。ただでさえ寒いのに、その席は鉄製で冷たく、お尻をさらに刺激した。
あえて言おう、ハノイ空港、カスであると!!

ハードな旅の疲れ、そして、寒さ。最後に食べたのは、がっつりハンバーガーとポテト。私の胃腸は最悪の状態を迎えていた。
搭乗時間は0時を少しまわった頃だった。地獄の空港での待機時間を終え、やっと飛行機に乗れると安堵した。これで本当に帰るだけだ。

しかし、席について、今度は飛行機の揺れに気持ちが悪くなり始めた。だめだ、水を飲みたい、飲まなきゃ吐く、と思った。そこで、通りがかったCAに、かぼそい声で「Water,please」と言った。下痢と吐き気で、絶対顔色が悪かったはずである。それなのに、そのクソCAは「Bathroom」とのたまって、トイレを指差したのだ。嘘だろう、嘘だと言ってくれ。お前はサービス要員じゃないのか!
代わりに我が家のサービス要員である夫に、トイレで水を汲んできてもらった。そもそも飲用なのか?知らん。確かめる余裕なんてない。泣く泣くその水を飲んだが、吐き気は一向に収まらなかった。そして、ついに私は座席の前の網ポケットに入っていた例の袋に、吐いた。泣きたかった。CAに怒鳴りたかった。「お前はCA失格だ!」と。
しかし、実際にはここで力尽き、深い眠りに落ちたのだった。

成田空港に着いても、体調は好転していなかった。早朝の成田空港のトイレで、また吐いた。飛行機酔いとは無縁だったから、飛行機や空港で吐いたのはあれが最初で最後だった。

ベトナム航空は使わない。ハノイ空港にも二度と行かない。
そう誓った。・・・はずだった。

しかし、同じ年の夏、またもベトナム航空で、ホーチミンへ。同行した友達はハノイにも行きたいと言ったが、私は断固として拒否。せめてもの抵抗である。彼女は旅を延長し、私が帰国した後ハノイへ向かった。この旅では、やつらに最初から警戒していたおかげなのか、たまたまなのか、嫌な思い出はない。

さて、2013年正月。出会いから5年。やつらへの恨みはさすがに薄らぎ始めていた頃、夫とベトナムのニャチャンというビーチリゾートへ行くことになった。

さて、今度は、やつらは我々に何をしかけてきたのか?
乞うご期待。

つづく。

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