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喋れない黒猫

どーもトンチキです。

この前、魔女宅やってたみたいですね。
私はとある作品の応援上映に行っていたので見れなかったのですが、魔女宅の話の収まりっぷりは大好きです。

ああ、でも、大人になって、創作者になって。好きな作品であることは変わりないんですが、もう少し原作者の声も聞いたげて宮崎さん……にはなってるかな。あの方の原作を咀嚼して自分なりの形にして仕上げるスタイルも好きなんだけどね。私はやっぱりナウシカともののけ姫が好きだし。

まあ、それはさておき。
魔女宅に出てくる黒猫のジジ。
あの子って途中から喋れなくなるじゃないですか。

原作では喋れる猫ちゃんなのですが、映画の魔女宅のジジはイマジナリーフレンド……という話、ご存知ですか?

結構有名だから知ってる人は居ると思うんですが。今日はちょっとその話をしようかなと。

ジジはまあイマジナリーフレンドの割に、めちゃくちゃキキに合わせて動いてますよね。本当に喋っているみたいに。

例えばお買い物の時にマグカップを見つけた時。例えばぬいぐるみ役をやっていた時。

もちろんジジは存在しない、完全なイマジナリー体じゃないので、ジジの動きをキキは完全に予測ができるわけじゃない。つまりジジと言う猫に合わせて、自分が脳内で言葉を紡いでいるということ。

ならなんで、キキとリアルに会話しているような動作になるのか、ってとこに疑問が残る人、どうやら居るらしく。

ああ、これはタルパーやイマジナリーフレンドが身近に居ないと分からない感覚だろうなと気づいたのがつい昨日の話。

我々みたいな空想の存在と一緒に生きる人なら分かると思いますが、私たちって現実の事象を怒涛の勢いで吸収したり、現実で観測できない部分を即座に空想して現実に編み込めますよね。

私の身近な例だとPCがぶっ壊れた時かな。膨らんだバッテリーを見て即座に「うわっ彼がキレた」って空想と現実を結び付けられる。

だから仮にジジがイマジナリーフレンドなら。たまたまジジという猫が黒猫のマグカップの前で座った、という行動だけで、空想者は「ジジが自分にそっくりなマグカップを見つけた」という物語を紡げる。

ぬいぐるみのフリをしていた時も、あの時間のキキはジジの動きを観測できない。
ただ、ジジをあの犬が運んできてくれた、という現実から、それまでの物語は空想することができる。

ジジが冷や汗タラタラだった時間も、あの犬がずっとジジを守っていたことも。私たちの次元じゃ「キキがジジの過ごした時間を空想したもの」か「ジジが本当に過ごしていた緊迫の時間」かなんて判断できませんしね。

じゃあ、なんでジジが最後まで喋らなかったかって言うと。多分、キキが空想に時間を割けなくなったからだと思うんですよ。

魔法とはイマジナリーなもの。それは私たちの生きる世界では常識的なことで。

じゃあ、あの世界はどうかって言うと、映画だけじゃさすがに魔女の秘密なんか読み解けないけれど。

でもキキは空しか飛べない魔女で、空を飛ぶという行為は、人間の文明が到達した、魔法というイマジナリーに最も近い行為だと思うんですよ。

それはキキの空想力が足りないというより、キキはリアリストかもしれないと表現するのがきっと正しくて。魔法が使えないからリアリストになったのか、リアリストだから魔法が使えないのかは分からないけれど。

空すら飛べなくなった魔女の自分が揺らいだ時、魔女として生きるか、人間として生きるかというスタンスを突きつけられた時、ジジは喋れなくなって。

その後で猫とも喋れない、空を飛べる「だけ」になったキキが、魔女として認められた。魔女として、自分のスタイルを確立出来た。

つまりジジはキキという魔女がずっと抱えていた様々な不安を解す役割で、ジジが居なくても、自分というスタイルを確立できた。だからジジは喋れないまま物語は締めくくられた。

ああ、完全にジジの役割は、イマジナリーフレンドと同じだなって、こうやって書くと思えてしまうけど。

私はジジは原作通り、元から喋れる猫としてあってほしい!!!!だってそっちの方がロマンチックじゃん!!!!!!

ってとこで今日はここまで。

ではでは、はい乾杯🥂

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