愛の定義・・・これがなかなか・・・
インナーチャイルドやフラクタル心理学を学んでいるが、
「愛の定義」
これがなかなか曲者だ。
私が今パートナーシップをこじらせてるのは
この
「愛の定義」が書き換わってないから。
愛とは・・・
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その①
いつも一緒にいること。
よしよししてくれること。
察してくれること。
快不快。
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この定義は、
お母さんのお腹の中にいた時、
快のみだった時に思い込んだ定義。
お母さんのお腹の中にいると、
お母さんと繋がってるから当たり前のようにずっと一緒。
お母さんと繋がってるからいつも必要な栄養は送られてくる。
うんちもおしっこもしたいときにし放題。
なんの不足もない世界。
完璧に快のみの世界。
そこから私たちは生まれ出て、
不快を味わう。
お腹が空く。
お母さんとずっと一緒にはいられない。
うんち、おしっこをしたら気持ち悪い。
その不快も、お母さんが取り除いてくれる。
だから私たちが一番最初に恋するのはお母さん。
自分の不快を快にしてくれる存在。
だから
大きくなって恋をする相手にも
お母さんのように快を与えてくれることを期待する。
いつも一緒。
ずっと私を見てて。
どんな自分も愛して。
全てを受け入れて。
私の気持ちを察して。
お母さんのお腹の中にいた時のように・・・・・
これが
喧嘩、依存、束縛、浮気、不倫、、、、
などの原因になっていく。
じゃあ愛って何?ってなってくる。
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愛の定義
その②
愛とは全てである。当たり前が全て愛。
成長につながること。
成長を促すこと。
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この愛の定義② に書き換える作業を今しているけれど、
これがなかなか・・・
インナーチャイルドやフラクタル心理学以外でも
この愛の定義②をわかりやすく伝えている人はたくさんいる。
定義②になれば
相手に依存することも振り回されることもない。
そして
自分軸が確立され、
より生活が充実したものになる。
勝手に相手に期待し、勝手に傷つき、ぶつけて喧嘩になることもない。
わかっちゃいるけど〜♪
はい、
そんなにすんなり書き換わってなかった 笑
だけど、
前よりかは
四六時中パートナーのことを考えて悶々としちゃうとか、
どうせ嫌われてるんだって被害妄想になったりとか、
そういうことは激減した。
自分の時間を楽しめるようになってきた。
何事も
コツコツ、
少しずつ少しずつ、
三歩進んで二歩下がるだな〜
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