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サイドカーを作った学生時代

64歳現役ライダーのHappy Monkey Kojiです!

学生時代の卒業研究に縁あって呼び集められた5人。5人で「FRPによる構造物の研究」というテーマで大いに遊んだ1年間を凝縮してご紹介できればと思います。楽しそうな学生の雰囲気が伝わればうれしいです。


1978年(昭和53年)にタイムスリップ
 ゴールデンウィーク明けから、大学4年生ならではの卒業研究が始まった。それまで交流が無かった友人たちから誘われるまま配属された本間研究室。本間先生は、スーパーなどでよく見かける野菜や生鮮食品を並べてあるオープン冷蔵ショーケースの開発者だったそうだ。研究室では、摩擦撹拌接合(フリクション溶接)をメインに研究しておられた。その中で、今後、色んな所で使われていくであろうFRPという材料を研究してみてはとのことで、「FRPによる構造物製作」とテーマを決められた。同じ機械科なので面識はあるが、関わった事のなかったメンバーの紹介。

O君(山口出身)・・・バイクと車が好きで遊びの達人、我らのリーダー
K君(広島出身)・・・合気道部の車好きで、NISSANサニーに乗る
N君(静岡出身)・・ラジコンが大好きで、いつもラフなジャージ姿
T君(広島出身)・・・まじめでおとなしい、流暢な広島弁をしゃべる。
自分(兵庫出身)・・・・バイクとモノづくりが大好き。

 こんな5人が同じテーマで行動することとなり、「5人の会」と名付けた。昨年も先輩たちが同じテーマでやっていたようで、まずは、昨年の卒業生のサーフボードの続きから始めた。カタチにはなっているものの結構巣だらけで、樹脂と硬化剤と石膏を混ぜてパテを作り凹部の穴を埋めて仕上げた。毎日のように集まり、5人は、すぐに打ち解け仲良くなった。サーフボードに穴を明けて発泡剤を注入して、穴を埋めて仕上げた。


スケートボード作り

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 5月の終わりに、FRPの強度を確かめるために遊び道具をみんなで作ろうと、スケードボードの板を作り始めた。5人分取れる大きな板を黄色・白・水色の3色の顔料を使いガラス繊維を樹脂と硬化剤を混ぜ積層した。テールの部分は少し反り返っている方がいいと型の一辺に傾斜をつけた。約6mmの厚みの3色サンドの大きな平板ができた。


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一辺に傾斜がついた大きな平板を5等分にして、それぞれが自分の好きなカタチにベビーサンダーで仕上げた。みんな、FRPの削る粉で真っ白になった。小さなガラス繊維が、露出した肌に着いてチクチクした。


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 遊びの達人のO君が、安いスケートボードの車輪を買ってきた。車輪だけは、自費でみんな支払った。表にビスが出ないように皿ビスでボードに固定してスケートボードが完成。それぞれが、表面や裏にステッカーを張ったり、マジックでデザインをしたり、滑り止めを張ったりして個性を出した。出来上がったスケートボードを持って、下宿の近所の新興住宅地のメインストリートの坂で試走。最初は、恐いので座って試走していたが、そのうちに慣れてきてバランスを取れるようになった。


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海側のまだ建設中のバイパス道路に行って、空き缶立ててスラロームの練習をしたりして楽しんだ。FRPという素材、ガラス繊維が入っているので、薄くても強度があるということがわかった。

FRPによる構造物製作/サイドカーを作る

 夏休みまで、5人の会のメンバーは、集まってよく遊んだ。夏休み後の本格的な「FRPによる構造物製作」は、FRPでサイドカーを作ろうということになった。この5人で作れば、面白いサイドカーができるはずだとメンバーの誰もが思っていた。何かを複数の人数で製作するには、チームワークが一番重要だということがわかった。

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 夏休み前に、ゼミの本間先生にお金をもらい、バイク屋でHONDA Dax70の中古車を購入してきた。解体屋へ行って、ホンダライフという軽自動車の後輪の軸を自分たちで解体し購入した。解体屋に積上げられた車から部品を解体するのは、スリルがあった。自分たちで解体すると安く分けてくれたが、今から思うととても危険な作業だった。後輪の軸は、サイドカーの主骨として使う予定だ。後は、夏休みが明けてから本格的にサイドカーづくりをすることとなった。



夏休みが明けました(この夏休みに62日間日本一周をしました)

 夏休みが明けてから、同じ卒業研究グループの大嶋君が、W1のサイドカーに乗ってやって来た。卒業研究は、「FRPによる構造物製作」というテーマなので、サイドカーをFRPで作ろうということになっている。そのサイドカーの見本になるサイドカーを手に入れて乗ってきてくれた大嶋君に感謝。サイドカーのパッセンジャー(カー側)として、別府湾を一望できる十文字原や、国東半島の磨崖仏、青の洞門等々を見に行った。サイドカーのパッセンジャーも体重移動して重心を変化させながらコーナーを曲がって楽しんだ。


卒業研究FRPによる構造物製作/本格始動

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 10月になって、そろそろ卒業研究のメインのFRPのサイドカーを作らないと間に合わないということになった。慌ててフレーム作りから始める。学校には、材料がないので、鋼材屋に買い出し。ああでもない、こうでもないと、作りながら設計変更。大嶋君のアイデアでサスペンションも製作。結構、みんなのアイデアが折り込められて、なかなかのフレームになった。みんなが集まり、何か作業やっては飲み会の日が続いた。遊びや飲み会のおかげで、5人のチームワークが良くなってきた。


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11月の中旬になった。いよいよサイドカーのカーを作ろうと、原型になる発泡ウレタンの液を買ってきた。2液を混ぜ合わせ発泡させて、段ボールの箱で型枠を作り、サイドカーより少し大きな発泡の固まりを作った。発泡する際に異臭を放った。


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その発泡にサイドカーの形を書き込んで削った。結構、削りカスが宙を舞い、体中が発泡の粉だらけになった。


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 一台だけなので、抜き型を作らずに、この原型の上にFRPを張り製品にしようということになった。FRPを張って厚みをつけた。乾燥した後、中の発泡を削り出した。表面も削って、滑らかになるように仕上げた。形になってくると、同じ研究室のメンバーが、面白そうに覗きに来た。


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 来る日も来る日も5人のメンバーが、交代で表面を磨いてはパテ付けをして、カーを仕上げた。塗装は、もう時間が足らなくなったので、O君の知り合いの塗装業者できれいな黄色で塗ってもらった。私の下宿にそれを持ち込み、そのボンネットにネズミに似た形状なので「CRAZY MOUSE」とロゴを入れ、ミッキーマウスを書いた。


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あとは、フレームに固定して完成!ゼミの本間先生にもカー側に乗ってもらった。遊びの延長で製作したFRPのサイドカー。一応、先生に好評価をもらった。


自分たちで製作したサイドカーの試運転

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完成したら、乗ってみたくなるのは、誰しも同じ考えだった。O君がライダーで自分がパッセンジャーに決まり、さっそく試運転にでかけた。まずは、岸壁に行ってサイドカーの撮影。その時の写真がTOPの写真です。


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無謀にもこのサイドカーで別府湾を一望できる長者原まで行ってみようということになった。別大国道を通って別府まできたものの、別府から十文字原までの上り坂にトライ。車からの撮影も行い、なかなかいいショットを撮ってくれた。


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 別府の街から12kmほど上がると別府市内やお猿で有名な高崎山、別府湾が一望できる十文字原へ到着。大分に来て4年、車やバイクでよく来た所だ。五人の会のメンバーで記念撮影。自分たちで作ったサイドカーと一緒なんで、みんなの思いはひとつだ。全く交流の無かった五人だが、この一年間のゼミ活動で、とても仲良くなり五人の絆が出来た。


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 ・・・と、ここまでは良かったものの、日が暮れるので帰ろうとすると、別府警察に捕まった。「こんなん勝手に作って乗ったらダメだ!」。帰ってから軽トラを借りてきて別府署まで引取りに。まあ、結構楽しんだ後だったので、ヨシとしよう。「FRPによる構造物製作」というテーマの卒業研究、FRPでスケートボードとサイドカーを作って1年間楽しんだ。他の卒研グループから「卒業研究をいいことに、おまえら毎日遊んでいるやろ!」とブーイングだったのは言うまでもない。


バイクばっかり乗っていて勉強はしなかったけれど、モノづくりの楽しさと人の絆の大切さを学んだ学生時代でした。42年前のことだけど、まだ鮮明に記憶しております。みなさんは、どんな学生時代を送られたのかなあ・・・

では、また!


【このブログを書いてる人】

=あなたの遊びココロをゆうえんちっくなカタチに=
安心安全な遊園地の乗物クリエイター
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