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ファンのことを考えて突っ走っていたらInstagramフォロワー10万人になった話

こんにちは。あゆあゆです。
いつもInstagramで投稿をみていただきありがとうございます。

 

おかげさまでInstagramのフォロワー数が10万人を突破いたしました。

こうして、たくさんの方に私のことを知っていただき、デザイン書道を知ってもらえることが大変うれしく思います。

 

今回は、Instagramのフォロワーが1年で10万人達成するまでの道のりを赤裸々に書いていこうと、初めてnoteで筆を取ります。

普段から筆は使っているんですけどね(笑)

 

最後までお付き合いいただけますと幸いです!

書道とともに歩んできた人生


まずは私について、紹介させてください。

私は現在、デザイン書道家としてお名前に笑顔をプラスしたsmile nameこと”お名前ポエム”をお届けする事を中心に活動しています。

 

お名前ポエムとは、名前を織り込んだ詩のことです。

私がデザイン書道家を名乗っていることで、デザイン書道家=お名前ポエムを書く人というイメージを持たれることもありますが、名前を書くだけがデザイン書道ではありません。

デザイン書道とは、商品のパッケージロゴの例えば「お茶」「焼き芋」など、商品に合わせて商業文字にデザイン要素をプラスし、オリジナル性を取り入れた筆文字のことです。

 

書道の道に進んだきっかけは、習字教室に小学生の頃から通っていたからでした。習っていくうちに筆の魅力にどんどんハマっていき、習字教室は12年間通い続けることになります。 

高校入試は、”書道推薦”というものがあり、「大好きな書道で受験できるならそれがいい!」と思い、すぐさま受験。見事に合格。

 

入学後は書道部で、古典書道などに注力し、部長も務めました。

ありがたいことに、書道コンクールでは入賞することも多く、全校集会で賞状をもらう機会も多くありました。

 

ただ将来、習字関係の職業に就きたいとは考えていませんでした。

理由として、私の書道に対するイメージが「暗い」「カッコ悪い」というもので、受賞式でも恥ずかしい気持ちが勝っていたことが原因だと思います。

そのため、周囲からは「習字の先生にならないの?」と言われることもありましたが、華やかなイメージで当時から憧れていたデザイナーになりたいと考えていました。


進路を決めてからは、空き時間に美術部へ遊びに行きデッサンの練習をしながら美術の勉強に励みました。

そして、無事デザイン系の短大に入学が決まります。

ずっとやりたかったデザインに囲まれた環境は刺激的で、デザインをすることの楽しさを感じていました。


また、アルバイト先のコンビニでは、「デザインを学んでいるから」とPOPを任せてもらったことがきっかけで食品パッケージのデザインの魅力にも気づき、パッケージデザイナーを目指して就職活動を始めます。

 寝る間も惜しんで仕事に明け暮れた


就職活動では第1希望のパッケージデザインの会社に入ることができました。


仕事内容は、パッケージデザイナーとしてお菓子やお土産のパッケージを企画から制作まですることがメインでしたが、タイトル文字だけ作る場合や、店舗ロゴ、名刺、カレンダー、店内POP、チラシを作るなど多岐に渡りました。

目指していたパッケージデザイナーになれ、多くのことに関われることでとても充実した日々を過ごしていたなと今でも感じます。


ただ、今思えば人間らしい生活ができていなかったかもしれません(笑)

これは当時まだ彼氏だった旦那に言われた一言でした(笑)

この生活を許してくれていた旦那には感謝です

朝は9時半業務開始でしたが、8時頃に出社することも多く、深夜12時前に帰れたらいい方で、朝3,4時に帰ってきて、ほとんど寝ずに会社へ行くことも少なくありませんでした。

あまりにも帰りが遅いので、夜のお店で働いているのかと旦那に勘違いされたほどです(笑)


そんな生活を続けるなか、終電で帰れることはそもそも考えず、自転車で帰れる距離に住むようにしていました。

また、基本週末は休みでしたが、新人時代は直前まで予定を入れずに「いつでも仕事に出られる状態」にしていました。

会社に定時がある事を知ったのも入社して3年目の頃でした(笑)

デザイン書道との出会い


入社できたのは良かったけれど、思った以上にできなかった新人時代。


ミスの連発は日常茶飯事。

メンタルに自信があった私でさえ、いつクビになるんじゃないか……と思うほど手のかかるダメ新人でした。


そんな時に訪れたチャンスがデザイン書道。

もともと筆文字を書かれていた先輩が退職された後の入社だったので、書道経験がある私は少し期待されていた……ようでしたが(多分)


書けない。綺麗にしか書いてこなかった習字の基礎が邪魔をする。

いよいよ使い物にならない私(笑)


何度も代わり映えのしない文字を書く私に、大好きな先輩からの「紙のムダ」の一言。

先輩自身の納期が迫ってるのに私の世話までしてくれていたので、そりゃ言いたくなるわ(笑)という感じですが……。


でも会社は私を見捨てなかった。

退職された先輩がタイミングよく開校されたデザイン書道スクールに通わせてくれたのです(涙)


このチャンスは逃せないとダメな新人なりに真剣に受け止め、そこから現在も在籍させてもらうほど魅力にハマり、イベント参加や練習に没頭しながら技術を身に付けようと必死でした。

……が、書道経験があったにも関わらずそんなに甘くありません。

デザインとしてスムーズに使える文字を書けるようになるまで、5年程かかったと思います。

でもとにかく楽しかったです。

寝坊してチャリを立ち漕ぎして習字教室に向かったあの日々が笑えるほど懐かしい(笑)


そんなこんなで新人時代は、任された仕事はあるけど、技術が追いつかなくて時間がかかり帰るのが遅くなってばかりでした。

やっと仕事に慣れてきた頃には、新人の教育をしながら、自分の仕事をする日々。

できない時代が長かった私は入社したての後輩の気持ちがよくわかった。

だから熱が入る(笑)

一緒に朝日を見て朝マックを食べることもありました(笑)


最終的には全体のディレクションもしながらの営業活動。

できない時代が長かったので任されることは自分にとって最高の喜びでした。

ただ期待に応えたかった。それだけ。

……だから自分が成長しても、業務時間が短くなることはありませんでした

…というかあまり考えてませんでした(笑)

 

それでも、お客様が喜ぶものをつくるために「途中で投げ出す」ことは絶対したくなかったし、しませんでした。

 

「こんな不規則な仕事早く辞めれば良かったのに」とも言われますが、好きなデザインに関われ、できることが増えていくのが喜びで「もっとできる」、「やりたい」と思っていました。

残業が長引くと、たまに「帰りたいなぁ」と思うことはあっても辞めたいとは思っていなかったです。

家族よりも長くいるメンバーが本当に大好きだったから。

人間関係や環境に恵まれているとしか思ってなかったから。

28歳のときに結婚もしましたが、旦那さんも仕事人間だったので私の無茶な働き方にも理解があり助かりました。

「とめてあげて」と思うかもしれませんが、会社員時代の経験は今に繋がっていますし、本当に感謝しています。

だってこんなに夢中になれる仕事なかなかないじゃん♡

 

結局、短大卒業後から、32歳までの12年間会社にお世話になるのですが、ある理由で退職することになります。

不妊治療をきっかけに退職、そしてフリーランスへ


側から見たら過酷な働き方でも楽しかった仕事を辞めた理由は、不妊治療でした。

 

結婚してすぐ妊娠できたけどすぐ流産。

そこからなかなか子どもが欲しくても授かることができず、約4年間の不妊治療に踏み切ります。

その中で本格的に妊活するなら身体を気遣うべきだと体感し、今の仕事は大好きだけど身体のことも大切にするという両立は難しく、泣く泣く退職を決意しました。


仕事を辞めてからは、一旦全てのことをフラットにしたくて、何も考えずゆっくりしようと考えていました。

しかし、退職手続きを進めている内に、筆を用いたデザインができるのが私しかいなかったこともあり、退職してからも業務委託として仕事を依頼してもらうことに。

退職し、フリーランスになると決意したときには、仕事の依頼が来ないことが不安だったので、本当に助かりました。

お名前ポエムとの出会い


フリーランスになって、いよいよ人生の転機となるお名前ポエムに出会います。

 

フリーランスになってからも、前会社の先輩がつくったデザイン書道スクールに通っていたのですが、そのスクールにお名前ポエムの仕事が来て、スクール生から何人か選抜され、派遣されることになり、それがきっかけでお名前ポエムに関わることになります。

 

お名前ポエムの仕事をするなか、自分が書いたものと、他の人が書いたデザインが全く違うことに驚きました。

自分で自分を褒めるようで恥ずかしいですが(笑)私の長いデザイナー経験がデザインのオリジナリティに繋がっていることに気付きました。


この経験からお名前ポエムで、自分はやっていけるんじゃないかと感じ、挑戦しようと思えたのです。

なにより、書いていて楽しいと思えたことも大きいです。

この時念願の妊娠をすることができ、出産して動けなくなる前に挑戦してみようと決意した時でもあり、自分のお名前ポエムの価値がどれくらいなのかを知りたいという気持ちから、自分で3つのマルシェにお名前ポエムのブースとして参加してみることにしました。

当時は2500円という価格で売り出していたのですが、想像以上に売れました。


マルシェでは15分ほどで書く必要があり、ゆっくり話す暇もないほど凄く忙しく書いていたことを覚えています。

ですが、短時間でお客様を満足させるという経験は凄く力になりました。頭フル回転だったので終わった頃にはお腹ペコペコでした(笑)


お名前ポエムは、子どもの名前を依頼されることも多いお仕事で、不妊治療中は子どもの名前を見るのすら辛かったので、きっと少しでもタイミングがズレていたら引き受けてなかったと思います。

 

今思えばきっとこのお名前ポエムとの出逢いのタイミングはやったほうがいいよと運に後押しされていたのかもしれないですね。

コロナで大打撃!SNSで本格的に活動を決意


フリーランスになり、1年ほど月契約で前の会社から定額で仕事があったおかげで、お金の心配がありませんでした。


しかし、新型コロナウイルスにより転機が訪れます。


コロナ渦になり、会社から出来高にしてくれと言われてしまったのです。

フリーランスといいながらも、定期収入があるため、娘も小さく本気で活動できてなかった私は出来高になることへの不安で、恥ずかしながらも初めてフリーランスの難しさに直面します。


そしてコロナの影響で入園後すぐに家庭保育(涙)

この時期は仕事もこの先の日常も不安で怖かったけれど割り切りました(笑)

娘とこんなにゆっくりできる時間も今だけかと思い、家遊びやおやつ作りなどを満喫することしかできませんでした。

そして2ヶ月後、やっと娘も保育園に預けられるようになり、デザイン書道家として本格的にフリーランスとして活動を再開します。

 

しかし、新型コロナウイルスによってマルシェなどの対面イベントは難しい中、どうしようか迷っていた時に思い出したのがInstagramのことでした。


その頃はプライベートアカウントのように、ただ書いた作品を投稿しているだけでした。

お名前ポエム派遣をしていた頃から「こういうことをやっています!」と色んな人に伝えていたため、知人から依頼されたお名前ポエムの作品も投稿していましたが、反応は良くなく、フォロワー300人程で伸び悩んでいました。

そんなとき、友達から「Instagramで発信をするなら小菅さん(Instagram6.6万人)のマーケティングアカウントが参考になるよ」と教えてもらって、全部読み漁ることに。

Instagramで「自分で売る」という経験は少なく、勉強の日々でした。


ある日、小菅さんが「個別面談をやります」と告知をしていたので、すぐに応募して話をさせてもらいました。

個別面談では「せっかくインスタやるならフォロワー1万人を目指したい」という事も伝えました。


旦那にも「絶対売上をUPさせるから、信じて何も言わず待っててほしい!」と宣言したし、娘も入園できた頃で時間に余裕ができたため、本気で自分で稼いでいく良いタイミングだと感じていました。

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