子どもと引き離された親たちの手記#01

私は、2020年12月に、妻に、いわゆる「連れ去り別居」を受けました。当時は、仕事から帰ってきたら、家の中が空っぽで何をしてよいかも分からず気が動転し、とにかく連絡をつけなくてはと、妻、妻の実家に電話をかけましたが、全て着信拒否されました。その後警察に連絡して捜索願を出したところ、「生きているから、探さないでほしい」という伝言を受けました。話し合いをするために、親戚関係などにも連絡しましたが、誰も協力してもらえませんでした。余計に話を拗れさせた妻方の親戚もいます。そのため、話し合いの場を設けるために、私は夫婦円満調停を申し立てましたが、しばらくすると妻側の弁護士から受任通知が来て、離婚調停と婚姻費分担調停が申し立てられました。妻側の弁護士は、あいりす法律事務所の高橋直子です。のちのち調べてみると、「女を守り、男を捨てる弁護手法」を掲げている、大変評判の悪い弁護士でした。しかも妻の実家の不動産屋の顧問弁護士でした。第1回目の調停は2021年3月末で、ここから長い調停が始まりました。私もベリーベストの弁護士を立てて臨みました。

私と妻は、大学の同級生でした。学生時代から付き合っていましたが、一時別れ、また10年くらいしてから再会し、結婚に至りました。学生時代の妻は、今の妻と同様に、基本的に自分勝手、デートの約束は無視、埋め合わせも全くしない、自分の部活中心でした。一方で、成績が非常に悪かった妻を試験前やレポートで全面的に助けてきましたが、感謝を言われたことは一切ありませんでした。推薦入試で大学に入学した妻は全く学力が足りていませんでしたが、言うことだけは生意気なことを言っていました。深夜に勉強のことでもめて(明らかに私の方が正しい)、証明するためにわざわざ教員のところに深夜に私が質問に行ったこともありました。自分の我を通す、人の言ったことは受け入れない、感謝や協力、思いやりの気持ちは一切ない、というのは、現在にも共通してずっと見られる妻の性質です。結婚前の式場での打ち合わせのときも、お色直しを3回やりたいと言い張り、私の親戚の都合で時間的に難しいと言っても聞かず、式場で泣き叫び、周りの人間があたふたしたこともありました。昔から、とにかく自分の思い通りに物事が運ばないと泣き叫ぶ、キレる、いずれかの行動をとってきました。発達障害の典型的な症状ではないかとも思います。

話は戻りますが、弁護士の受任通知が届いて以降、色々なことが起きました。まず、住所を調べようとしても戸籍の附表が取れませんでした。これによりDVの支援措置がかけられていることがわかりました。本人やこどもに暴力を働いたことはありませんので、完全なる虚偽です。恐らく相談に行った先は三鷹警察署だと思いますが、何も確かめもせずに、支援措置を認め、さらにはそこから措置を実行に移した三鷹市役所の市民課も許すことはできません。また、子供たちを入れていた扶養も勝手に外されていました。私学共済の担当部署に理由を聞くと、DVをした危険人物だからと言われました。当時、私が立てていた弁護士に聞くと、このような行政措置をやっていることは、通常は一般人ができることではないので、全て弁護士の指示だろうと言っていました。

松山家裁で調停が始まると、支援措置をかけているにも関わらず、面会交流がなぜか一回目でOKになりましたが、直接面会はNGでした。時節的にコロナ禍であったこともあり、調停員が、「デルタ株、デルタ株」と連呼したために、間接面会のオンライン面会になりました。あとは、一向に何も決まらず、ずっと時が過ぎていきました。調停では調停員が何もまとめることはできず、ただ回数を重ねるだけでした。しかしながら、妻からはライン、電話が毎日のように来て、キレる、泣き叫ぶなど、日頃の鬱憤や愚痴、私に対する文句を言い続け、こちらが丁重かつ低姿勢で話をしても全く聞く耳を持たず、私は神経をすり減らしていきました。通っていた精神科の薬でもあまり収まらなくなり、希死念慮が増え、衝動性が増して、夜に突然飛び出すなど精神症状が悪化していきました。

調停が始まって8か月、2021年11月に急に妻側の弁護士が辞任しました。解任でなくて辞任です。しかも調停の2日前です。その日、私はちょうど弁護士との調停の打ち合わせだったのですが、事務所に来ていたときにちょうど妻から電話があり、私の弁護士に「辞任されてどうしてよいか分からないから助けてほしい」と泣きついてきたとのことでした。全く意味が分かりませんでしたが、恐らく、自分の弁護士から何度となく止められても私に電話をかけ、ラインをしたため、妻側の弁護士が嫌気がさしたのだと思います。これまでの行動と同様に、自分のやりたいことだけを貫き、他人への影響を全く考えない、自分勝手さが生んだまさに出た身からでた錆の出来事でした。

そして2021年12月になると、弁護士がいなくなった妻からのメール攻撃が始まりました。「なぜ親戚まで連絡をしたのか」、「自分の行動をどう思っているのか」など、回答の締切を当日に設定し、答えられなければ、「即離婚」、「戻るためにお金を払え」と迫ってきました。当時の私はアルバイトをしていて余裕がなかったため、弁護士に相談しましたが、べリーベストの弁護士は全く守ってくれず、「離婚が嫌なら全て相手に従うしかない」と言われていました。体調もどんどん悪くなるので、お金を払うことを泣く泣く承諾せざるを得ませんでした。この時点でその当時立てていたべリーベストの弁護士への不信感はかなり大きくなってきました。

2022年になってもメール攻撃は続きましたが、いつ終わるのかと聞くと、「そんなことはお前には関係ない」、「まだ聞きたいことの1%も聞いていない」と脅され、メールが来るのかどうかにおびえる毎日でした。私の体調は悪くなる一方で、精神科への入院も考えなければならなくなってきました。しかし時が経つにつれて、メールも収まり、やがてなくなりましたが、弁護士はその間も何もしてくれず、全て自分一人で対応してきました。メールによって体調を崩し、精神的に追い詰められているにも関わらず、メール攻撃をやめるように、などとも妻には言ってくれませんでした。これ以上やっていても何も変わらないし、その弁護士は連絡もつけずらいし、妻には何も言ってくれない、守ってくれない状態だったので、2月下旬から弁護士を変えるべく色々な弁護士相談に行っていくようになりました。
2022年3月の下旬に、現在立てている弁護士に巡り合い、べリーベストの弁護士を解任しました。オンラインの面会しか認められなかったにも関わらず、弁護士料金はたっぷりと取られました。一方、今の弁護士は作戦も立ててくれるし、直接電話して妻とやりとりしてくれるし、こちらのストレスがだいぶ減りました。こちらの希望聞いてくれて、もっと強く出てもよい、言うことは上申書で裁判官に直接言う、などとしっかりとした姿勢を見せてもらえました。このとき初めて裁判官に出す上申書というものの存在を知り、べリーベストのときは全くそのような話が出てこなかったので、本当にべリーベストは無能な集団であると感じました。

そして新しい弁護士にしてまもなく、弁護士が妻とのやりとりから、妻が「帰りたい」と言っているという言葉を引き出してくれました。妻からは、相変わらず電話やラインがずっと来ていましたが、その中では、学校関係者や親とのトラブルを言ってきていました。そういうこともあって、妻には別居先に居場所がなくなってきているのではないかと、弁護士が言っていました。そして最終的に、帰るための合意書を作ることになりました。

合意書を作るにあたっても、妻の文句は続きました。こちらの案を出しても全て書き直せ、の一点張りでした。妻が言ってきたのは、別居している際に使った金を全て返せ(600万円)、親族と絶縁しろ、など理不尽極まりない内容を盛り込んできました。しかしながら、これらを飲み込まないと、また「即離婚だ」、「絶対に戻らない」、「それだけの金がかかったんだから払え」と言ってきたため、子供のことを考えてとにかく戻すことを優先的に考えよう、調停で言うことは言う、上申書も書く、という方針で合意書を作成しました。

合意書の内容はとても理不尽な内容になりました。私は自分の親と絶縁、妻方の親族とも絶縁、別居中にかかったお金600万円を支払え、複数の家電製品を購入する金を出せ、などあまりにも法外な内容でした。弁護士にも交渉はしてもらいましたが、結局交渉しても、要求を飲まなければ、「即離婚だ」、「絶対に戻らない」、「それだけの金がかかったんだから払え」と同じことを言うばかりで、弁護士もコミュニケーションが全く取れないから話にならないと呆れてしまいました。それでも子供のことを第一に考え、戻るという気持ちがあるうちに、戻るという合意書を交わしてしまおうという方針で何とか合意書を結ぶことに成功しました。

合意書を締結してからも、問題が山積みでした。お金を入金しないと帰る飛行機は予約しない、荷物の片づけも入金が確認できてからだ、ととにかくお金の請求はとても激しいものでした。そして荷造りが始まっても荷物が多すぎて進まないことの苛立ちを私に電話で文句を言ってきたりもしていました。自分で戻ると決めたわけですから、自分で準備をするのは当然ですし、どれだけの荷物が家に入るかは見当がつくはずです。しかしながら、後日分かりますが、引越で持ってきた荷物は想像を絶するほどの量でした。
荷物の引越料金や、こちらに戻ってくる際の交通費も全て払わされました。払わないと戻らない、の一点張りで全く言うことを聞きませんでした。別居に至った責任は全てそちらにあるので戻ってほしければ、全ての金を払うのは当然だとも言ってきました。完全に暴力団のたかりのやり方です。戻ってくる前に、第一便として荷物を送ってきましたが、それだけで、家の中は満タンになってしまいましたが、まだその倍の量を送ってくると言っているので、完全に家の中には収容できないことが分かっているため、毎日途方に暮れていました。

そうこうしているうちに、実際に戻ってくる日になり、空港まで迎えに来い、と言われたので迎えに行きました。本当に帰ってくるのか大変不安でしたが、何とか戻ってきました。そして次の日に荷物の第二便が来ました。あまりの多さに家に入りきりませんでした。段ボールも100箱近くあったと思います。戻ってきてから半年になりますが、妻は未だに片づける気配はなく、段ボールが家の中に占拠しています。こどもにとっても最悪な環境なのですが、一向に片づける気配がありません。

戻ってきてからは、こどもの転校の手続きをしたり、教育委員会や小学校に根回しに行ったり、保育園の申し込みをしたりと大変でしたが、その間、妻は全くこどもの面倒は見ずに家の片づけをちんたらちんたらやっていました。私も久しぶりにこども達と遊べたことはよかったですが、家事、育児を全く妻はやらないので、完全に家政婦状態でした。それは別居する前も変わりません。

現在、妻は市役所の臨時職員みたいな感じでとりあえずは働いていますが、2023年4月以降は仕事が決まっていません。今、就活もやっている最中です。私は、2022年10月に仕事が決まりましたが、2023年4月から単身赴任になってしまいました。ですので、今私がやっている全ての家事、育児が妻に降りかかります。子育ても適当、朝も自分からは起きてこない妻ですから、こどもたちに悪い影響がでないでほしいと考えています。何とか、隔週でも自宅に帰るようにして、家の様子を見て、少しでもこども達の成長に影響がでないようにしていきたいと考えています。

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