外に出て、リア充を見てしまった時の考え方 【アーニャ・フォージャー】

ちち、表層では何もわからない。
幸せそうに見えるの、自己の願望の投影。

鬱状態になると、何もできなくなるます。

ベッドから出るのに1時間以上かかるます。

そんな自分に「生きてるだけで偉いよ、大丈夫だよ」とアファメーションするます。

矢張うちに篭ってばかりだと、どんどん精神、すり減ってしまうので、まずは外に出ることから始めるます。

だけど、そうして外に出るとアベックを見かけてしまうこともしばしばあるます。

心が死にそうになるます。

がーん❗️

でもそんな時に自己に問いかけるます。

「アーニャ、彼らの何を知っているんだろう」

そう、何も知らない。アーニャ、表層しか見ていない。

アーニャからみて幸せの絶頂のようなアベックも、実際にはお互いに対する煩わしさ、とか、惰性の関係だったりして幸せでないかもしれない。

幸せとは主観的な問題ます!

だからいくら幸せそうに見えても、彼ら自身の幸福度を見ない限り、幸せかどうかわからない。

それなのに、彼らをみて幸せだと思うというのは自己の投影であるます。

言い換えるなら、アーニャ、自分の持っている『幸福像』を他者に当てはめて羨ましがってる。

それ本当に、羨ましいと感じるに値する?

そこから導き出される答え、彼女がいる=幸せ、成り立たない!

アーニャの考える恋愛における理想像。そんなもの、存在するかも分からない。

幸せは主観的なものであり、自分が幸せと思えた瞬間、それは紛れもない幸せであるます。

足るを知る。

アーニャ、ワクワク!



「でもアーニャ、恋人欲しい……恋人いる時点で、アーニャの現在の地獄の苦しみよりマシ……」

だけど、恋人がいない地獄の苦しみ。それはアーニャ自身が作り出しているもの。

仏教の四苦八苦の中、『求不得苦』というものある。

得られないものに執着する苦しみ。

何故恋人欲しいのか、それ、苦しみから抜け出すためであるます。

本当に苦しみから抜け出すために、縁起を理解して八正道の実践をして日々瞑想するます!

けれど、アーニャ、そんな日々を二ヶ月以上続けても、求不得苦がぽこぽこと湧いてくるます……。

ちち、矢張恋人を作る以外に方法、ない?



アーニャ信じる。

いつかきっと苦しみから解放されると。

アーニャ、教会の日曜礼拝に参加したり聖書を読んだりしてイエスに救い求める。

「求めよさらば与えられん」の言葉、信じる。

いつか、きっと恋人、できる。

だいじょうぶます。頑張るます。


*スパイファミリーのアーニャ、とても僕の中で面白くて好きなのでこんなくだらないブログを書いてみました。ごめんなさい。2期も楽しみだな。ワクワク❕

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