見出し画像

#自己探求5 お姉ちゃんとzoom会

今週もお姉ちゃんとZOOMお茶会を開催。
なんでいつもこんなに話がつきないのか分からなけど(笑)
今回も巡らせた考えを忘れたくないので、ここに記しておこうと思います。:)
※とりあえず、ざっと書いて後で書式などを読みやすく
改良しようと思います。🐋

【他のために持てる力を活かすこと】
最近私はビーファーストという7人組ボーイズグループにはまっている。
彼らのパフォーマンスをYouTubeで見ない日はない。(笑)
元と言えばお姉ちゃんがはまっていて、私におすすめしてくれたのがきっかけ。リアコとかそいうものではなくて、単純に魂を感じる彼らのパフォーマンスが奥深く、ついつい見てしまうという感じた。
ミーハーなお母さんも絶賛はまり中のようだから、親子三人でLIVEに行って彼らのパフォーマンスを実際に見て感じてみたいと思っている。"なぜビーファーストがここまで人を魅了するのか"時折このテーマについて話している。他のアイドルはどちからかというと"俺ってかっこいいでしょ!ダンスうまいでしょ!見て!”という自我が強いパフォーマンスだが、ビーファーストは作品のテーマを深く感じ、それを自分が持てる身体でどう表現するか考えている感じがするとお姉ちゃん。「あ~~~確かに」だからほかのアイドルとは違って魂を感じるのか、だから心に響いているのかと納得。
自我ありきのパフォーマンスでなくて、一旦自我を封印させ、他のために自分をどう活かすことができるか考え、表現しているからこそここまで見ていて魂を感じるのかと。これはダンスに限ったことではなく、私たちの仕事でも同じ。例えば、コンサルタントの人がいたとして、コンサルタントという肩書によって”俺ってかっこいいでしょ”という雰囲気を醸し出して仕事をしている人よりも、本気で相手の課題を解決したいと考えていて、そのために自分は何ができるのかを真剣に考え、アウトプットを出す人の方が魅力的である。他のために一生懸命自分の持てる力を活用しようと考え、表現すること。そんな姿勢が人の心を動かし、魅力的なのではないか。私もそんな生き方をしたいと思う次第である。

【勉強は知識の狩り活動】
 お姉ちゃんと話したり、お姉ちゃんのブログを読んだりすると
”あっ!そうそう。これなのよ!”というように自分の感情にしっくりくる言葉と出会うことがある。本を読む醍醐味の一つは、普段自分では言語化できていなかったとりとめのない感情にピッタリはまる表現に出あえ、喜びを感じることなのかなと思ったり。最近は今見ているこの景色・空の感じ・人の感じ・今この瞬間に感じているものを忘れたくない、人に伝えたいと思うことがある。でも、自分がもっている語彙で表現するとなんともチープなものになって自分の感情と一致しなくて悔しいと感じる。だからこそ自分が感じていることを違和感なく言葉で表現できるように、沢山の言葉に触れていきたいと思う今日この頃。
 話しはそれたが、今回のZOOMお茶会でも、しっくりくる言葉に出会うことができた。それが「勉強は知識の狩り活動」という言葉だ。これは本来勉強とは自分がよりよくあるために得たい知識を狩り(ピックアップして吸収していく)するものであって、他人にやらされるつらいもの、また他人との優劣を比べる物差しになるものではないということを表している。
 いや、本当にそれ。私もこの言葉が表すような「内からくる学びの意欲」による学びはとても楽しいもので、人生を豊かにするものだと感じている。現に大学や社会人になってからの学びが、内からくる学びの意欲による学びでとても楽しい。
 といって、中・高での学びが全く楽しくなかったわけではない。でも心から学ぶって幸せだなと感じたことは一度もなかった。多分それは成績という外部に決められた物差し上のTOPに行くために勉強していたからだ。
TOPを目指して勉強する状態や、やった結果上位にいけたときは達成感と喜びを感じられたが、それは学ぶことによって自分の思考と世界が広がり人生が豊かになるという楽しさ・面白さではなかった。
 中・高での勉強は私に目標に向かって計画建てて努力することや大学進学の道具となった点で無駄ではなかったと思う。だけど、中・高の内から、
内からくる学びの意欲で学ぶことを体験できていたら、人生がより豊かに、そして社会がもっとよくなるのではなかろうかとも思う。このことについては、大学時代にうすうすと考えていたことであって、就活の時もこのようなことに思考を巡らせていた。これからも「理想の学び場について」考えを深めていきたい次第である。そして、これだと思った学びの場を、プロデュースし社会にアウトプットしていきたいという想いもある。
 そしてお姉ちゃんと話して思ったのは、内なる学びの意欲に基づく学びをしていくためには、それを肯定してくれる人が必ず必要だということである。どんな人でもやはり人に影響を受けやすく、特に家族という一番身近な人に多大なる影響を受けると考えている。せっかく、子どもが「こんなことをやってみたい!学びたい!」と思っていても、親が「それやって何の意味あるの??成績に関係するの?将来の仕事に役立つの??」と言ってしまえば、子どもは、自分の興味が正しくないのだと判断し、せっかく芽生えた興味を閉ざしてしまう可能性がある。やはり、特にちゃんとした意義がなくてもやってみたいと思ったことに対して何でも応援してくれる人が必要だ。幸い私の親がそういう人で、思い返せば自分の考えを否定された覚えがない。かといって、見放されているというわけではなく、「何かあったらこの土地にいつでも戻っておいて!何かあったらその時に一緒に考えよ!」って言ってくれる家族がいるおかげで、私は今まで羽を伸ばして自由に挑戦してこれた。もし、将来自分で教育事業を展開することになったら、みんなが安心して挑戦できるHOMEのような存在になりたい、そして場所をつくりたいと思う。人生に正解はない。その時々自分の心惹かれるままに生きようじゃないか。

【対人関係】

先日、大学時代の友人と鎌倉の海に遊びにいった。大学時代は徒歩圏内に海があり、よく波の音を聞きに通っていたものだから、海が遠い東京住みになって、だいぶ海不足を感じていた。鎌倉までは電車で2時間ほどかかったが、それでもどおしても海に行きたかったんだ。
一緒に遊んだその友人がこれまた魅力的な人で、
鎌倉のこじんまりとしたお店でワインと一品一品が最高においしい料理を楽しみながら、話を巡らせたわけだった。

幸せ時間。。ありがたい


その中で、人との関り方について考えることがあった。
私は、彼氏であっても感情をぶちまけたりすることが今までなかった。
逆にその友人は、男友達であっても自分の感情をすなおにぶちまけることができた。だから男女の枠を超えて絆を結べていた。
「確かに、私って彼氏であってもどこか一定の距離をたもちゃってるよな。家族やお姉ちゃんには、よくどうにもならないような感情をぶちまけたりするけど、彼氏にはしたことないな」って思ったんだ。
だから深く絆を結べなくて、それで相手に距離を感じさせてしまったのかな!??と振られた原因を考えてみる。人と深く関わるには、意識的にもっとりとめのない負の感情もオープンにしていくべきなのか。そんなとこを考えていた。
 お姉ちゃんにそのことを話すと、それは事実ではなく自分の「解釈」だったということが分かった。負の感情をさらけだす=絆が生まれるとういうのは事実ではなく、解釈だと気づいた。お姉ちゃん曰く、人には色んな側面があって、相手の人によって自分の色んな側面が自然と引き出されていく。だから引き出されるすべての側面は自分であることには変わりないし、無理に自分からオープンになろうとする必要はないんじゃないかって。確かに、お姉ちゃんに自分のコアな感情をさらけ出して、よく泣けるのは、お姉ちゃんが自然と引き出してくれているからだ。
何を言ってもうけとめてくれると分かっているから拒絶されないと分かっているから、自然と話せんだ。それは単に、共感祭りではなくて、
そうなんだね~~。うんうん。ほ~~なるほどね~~
それに対して、私は、こう思うよ~~~って
まあるい風船をポイッと丁寧にパスしてくれる感覚。
このコミュニケーションがいかに心地よいことか。
何度救われたことか。自分もそういう人になりたいと思っている。受け止めて、受け止めて、ポイッと風船をギブできる人。姉と話す人々が毎度姉に惹かれ好きになる理由が分かる。私もそういう人になりたいと心から思ってる。

また書きます。

小さな想いを大切に
Nagisa:)











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?