真ん中にあるもの

およそ20年前、私がこの事業に関わり始めた時、最初に教えてもらったことは「パーソンセンタードケア」でした。パーソンセンタードケアは、その人らしさを大切にし、その人の立場に立ってケアをしていくことです。

そしてそれを推奨していらした方が、長谷川和夫先生です。長谷川先生は認知症の専門医であり、「長谷川式簡易知能評価スケール」(認知症の診断基準)を作られ、当時使われ「侮蔑的」だと言われた「痴呆」という呼び方を「認知症」に変えられたり、その他にも認知症とその周辺の様々な困りごとの解決について、今なおご尽力されている先生です。

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数年前、その長谷川先生が認知症になられた、というニュースを聞いた時は少なからず衝撃を受けました。

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この本は、誰よりも認知症について精通していらっしゃるであろう長谷川先生が、認知症の当事者として、認知症と認知症介護について書かれた本です。

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もう一冊は、長谷川先生の娘さんが、ご家族として長谷川先生を支え、長谷川先生やご家族の、考えや様子の変化、心の移り変わりを記された本です。

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長谷川先生は一貫して、人生は連続していて認知症になったからといってその人が変わるわけではない、認知症であろうがなかろうが、人はみなそれぞれ違い、尊重されるべき大切な存在である、ということを書かれています。そして、認知症は「暮らしの障害」である、と。

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介護の中心には介護される人がいて、介護される人と介護する人の間にはその「絆」がある。家族でなくたって、絆は今から結んでいけばいい。

介護を仕事としていると、つい介護する側の都合で動きがちだけど、認知症だから、とついごまかしがちだけど、そんな時は少し立ち止まってみるといいのかもしれません。

最後に、長谷川先生の本の「解説」からの一文と、娘さんの本の「おわりに」から少し抜粋したいと思います。

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『同じ認知症の人でも、一緒に暮らす家族や周囲の環境によって「手がかかる問題の多い人」になったり、「普通と違ったところはあるけれど個性的な人」になったりする。反対から見れば、認知症の人は、周囲の人間や社会の寛容さ、包摂する力の有無や程度を映し出す「鏡」のような存在だといえるのかもしれない。』

『父は認知症になったのはしょうがないと受け止めていますが、認知症になって良かったとは思っていません。しょうがないけれども、認知症とともに生きていこうと、思っているのです。でも認知症を抱えながらでも不幸ではないのです。健常者と同じように、美しいものを見て喜んだり、感動したり、深く考えたりします。』

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多様性の時代、認知症だけのことではないような気がしています。忘れないでいたい。