黄昏の一歩手前

黄昏流星群というドラマが数年前にあったような・・・・。

自分は、人生の黄昏期に来ているな、と最近とても思う。

20代や30代は殆どが、「結婚」「出産」「家を買う」「昇進」などのニュースばかりが聞こえてきていた。

そして40の半ば過ぎから、ちらほら、病気の知らせ。

アラフィフ。人が亡くなり始め(いわゆるお葬式が多くなる)、子供たちが仕事に就き、大学に入り、結婚した、家を出た、はたまた孫ができた。そして結婚の話しか聞こえなかった若い時代と違い、「離婚」が増える。特に私の周りは、世代だからなのか、離婚が多い。母の周りではあまりなかったような気がするのだ。

考えてみたら、あと5年で私は母が夫(私の父)を亡くした年齢に達するのだ。信じられない。

時々、自分の年齢が、立ち位置が信じられなくなる。子供たち世代が夢を追いかけて、希望の職業に就いたり、自分の希望していた勉強を始めたり、はたまた都会に引っ越しをして新しい生活を始めたり、という話は本当にうれしい。

でも。人が亡くなる、そして知っている人が、家を引き払い「ホーム」に入居した、と聞くと本当に切なくなる。切なくて、胸が苦しくなる。

あんなに元気だったのに、と。

離婚も同じだ。「あんなに仲が良かったのに」と。でも、自分も離婚の手前にいるとわかるのと同じで、その人のことはその人にしかわからない。家庭での顔と人前での顔が違う人って意外といるものだ。


何故、こんなことを考えたのか。それは今日、夕食の片づけをしているときに、義理の母から電話が来たのだ。いつもの「親戚中全ての人のニュース」を延々としていた。ただうなずくだけの夫。

彼の親戚に後二人、日本人の妻を持つ人がいる。この人たちにはあったことがない。一組は日本に、一組はアメリカに住んでいるらしい。

私たちよりも前に結婚した人たちだ。アメリカのカップルは仕事で転勤でアメリカに住んでいるらしい。日本に住むカップルは「数年」という約束で、日本に行ったものの、それ以来帰ってこない、というのだ。

義理母はそれをひどく恐れていた。まだ結婚したばかりではあったものの、「日本へは家族に会いに行くのはいいけど、永住はやめてね」と私は釘を刺されていた。ははは、と頷きながら、心の中で「安心して下さい、あなたの息子はしっかりとここに残していきますから、一人で帰りますから」といったのを今でも覚えている。心の、中で。笑

そう。この日本在住のカップルが最近離婚したらしいというのだ。

先を越された、と思った。苦笑

ここの子供たちは二人とも成人しているし、離婚も一つの選択だと思う。それでいいじゃないか、と思うのだ。奥さんは日本にそして夫は自分の国に戻り、今は両親と暮らしているらしく、先があまり長くないといわれた、ひどい認知症を患ったお母さんの看病をしているらしい。

あのおばさんはいい人だったのになあ。とつぶやく夫。

「いい人」って何の基準???確かに数回会ったことはあったけれど、嫁姑の問題はそれこそ、本人たちにしかわからない。意地悪なことも表面的には出さない人たちだっている。彼の家族、親戚は「結婚相手」がすべて悪い、というタイプの人たちで、身内は何も悪くないのだ。だからきっとこの人の奥さんもいろいろあったのだろうな、と思うのだ。

新しい世代だからこそ、金銭面が許すのであれば、離婚もありじゃないか。ペーパー上の家族は看護する義務なんてなくてもいいんじゃないか、と思う。人生の黄昏の時期はゆっくりと日が沈むのを、自分の好きな人たちとみていたいと思うのが、「イマドキ」の生き方でいいのではないかと思う。それも「あり」と。一生連れ添うなんて、昭和じゃあるまいし、とこういう時だけ、「新しい生き方」を主張する自己都合主義の自分。苦笑

もちろん、長く連れ添って生きてきた相手と黄昏時を迎えることができるのが一番だと、思う。

けれど、我が家のような離婚前のような人たちや、離婚経験者からすると、黄昏時くらい、「好きにさせて」と私は思うのだ。

みんな頑張ってきた。でもこれ以上走り切ることができなかった。その結果が離婚だったからだ。二人なら一人がいい。それでいいのだ。そしてその先で、時間を共有したいという人と出会えたら、黄昏時をシェアできるのであれば、それもまたいいことだ。

本当に黄昏時だ、と思う自分の人生。体の老いをみんなは嘆くけれど、こうして、心の老いを感じることのほうが、体の痛みよりも、結構心に響くような気がする。人の人生の長さや、別れはコントロールできないものだ。それを受け入れるしかない、それが心の老い。老いの学び。

いや、まだもう少し。黄昏の一歩手前と言っておこうか。

時間で言うと、午後の4時半くらい。お母さんが、「さあて」と夕食のためにお米を研ぐ時間。朝もお昼も、もうしっかりとした過去。日中のまぶしく光り輝いていた太陽の光を見ることはもう、できない。

でも、これからやってくる夕方のオレンジの空を見るのも悪くない。

そして各家庭からする、夕食の香り。黄昏時だからこそ、の香りと、空の色。暖かいイメージ。私はこれからこの時間を過ごしていく。

とはいえ、高齢出産の私は、まだまだ母親現役ではあるものの、時々自分の置かれている年齢の現実を突きつけられる。

現役の母親業をしつつ、私は黄昏時のオレンジ色の空をゆっくり眺めるために、今頑張っている。誰と空を見上げているだろうか。大好きな友達と?しっかりと後期高齢者となってきた母と?一人で仕事帰りに?それとも心を支えてくれる大事な人と?

未来は誰にもわからない。けれど、黄昏はしっかりやってくる。

私も明日の朝のお弁当の準備のためのお米をこれから研がないと。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?