見出し画像

One Headlight 7

25年前の6月。私は車で一人旅を始めたころだった。

結婚だけを目指して生きてきた20代前半の自分には免許を取るなんて考えられなかった(当時は自転車も乗れなかった。苦笑)
しかし、海外の小さな町に出会い、その町と恋に落ち、私は一念発起した。
26歳の冬だった。女子高生の中に混ざり通った自動車教習所。
当時26歳は「おばさん」で、路上教習の際、教習所の教官も私の担当とわかるとがっかりを隠せない顔に、笑いがこみあげていた。
オートマ限定であっても、私には「清水の舞台」から飛び降りるようだった車の運転。
恋は盲目とはこのことだ。
とはいえ、恋をしたのは、人ではなく、「小さな田舎町」
エンジンブレーキはどこですかー--?と足元を見て、クリップボードで、バシッと突っ込まれた日もあった、そんな笑いと必死の教習でやっとの思いで免許を取得し、はじめて運転したのが、この小さな田舎町だった。
バスも何もない土地で車だけが、交通手段だったあの町。

1か月レンタカーを借りて、田舎町を気の向くまま、車を走らせた。
英語が話せない私は、民宿を見つけては、「会話の手帳」を見せて「空き」があるか、聞いて。図々しく「ディスカウントはありますか?」のセンテンスも指さして。

そんな冒険は青空と、静かな海、グリーンのフィールド、田舎道の道端には、ルピナスが沢山咲いて、静かに風に揺れる景色がお供だった。
慣れない運転も、数日すると慣れてきて。
エンジンをかけてカーラジオもオンになる。

そうすると流れてきたのがこの曲、
The Wallflowers の 「One Headlight」だった。
この曲は1997年の1月にリリース。
このThe Wallflowersのヴォーカル ジェイコブ・ディランはあの有名なボブ・ディランの息子。
と、先ほど、調べてわかって驚いた。
初めてミュージックビデオを見たけれど、彼はお父さんにそっくりだ。

当時、英語が全くダメだった私には歌詞なんて頭には入ることもなく、運転に集中することと、景色に夢中になっていて改めて聞いたことはなかった。
この1か月毎日、それも何度もこの歌を聴きながら、窓を全開に開けて、6月の気持ちの良い風を感じながら、旅をした。
当時はとにかく、この曲がラジオから何度もかかっていたのだ。

歌の内容と、自分の思い出は全く関係のないものなのだけれど、先日猫のえさを買いに、少し遠くのペットショップに行くことになり、ハイウェイを走っていた。日差しが熱く、窓を閉めてエアコンをかけたその時、突然、この曲がラジオから、流れてきたのだ。

その瞬間、私の5感は25年前に戻った。
今日と同じ暑い日刺しで、でも、エアコンではなく、窓から入ってくる風。田舎道ではないけれど、ハイウェイ沿いにはルピナスがにょきにょきと、ムーミンのにょろにょろを思わせるように風に揺られ、ジェイコブの少し枯れた声。永遠と続く道を、ただひたすら、車を走らせる。

本当に一瞬だけ、あの時に戻った。
一瞬だけではあったけれど、あの「自由」を手に入れた解放感であふれた日々に戻れたのだ。

あの時の自分が25年後に、猫のえさを求めて、ハイウェイを走らせるなんて思っただろうか・・・。笑

この曲はどことなく永遠に続く道をひたすら走る、そんな感じのする曲なのだ。

音楽の凄いところは、どの曲でも思うことではあるけれど、聞いた瞬間、その思い出に一瞬にして、戻ることができるのだ。
私だけだろうか。

なんとなく、なんとなくではあるけれど、このままハイウェイをまっすぐ走って、25年前に走ったあの田舎町、4時間先にあるあの町に、逃げようか、と思ってしまった。

いや、私には現実がある。
迷わず私は、ハイウェイを下りて、ショッピングセンターが立ち並ぶ街に向かった。

Hey, Come on try a little
Nothing is forever
Theres got to be something
Better than in the middle

少しはやってみろよ、
永遠なんてないんだから
そこには何かがあるはずだから。
普通でいるよりはましだろ

いろんな解釈はあるにしろ。
「普通」の世界から飛び出して、自由を選んでしまった25年前の自分。
それに対する責任は大きいものではあったけれど。
私は、飛び出してよかった。
それなのに、今また「普通」にもどりその中で居心地悪く生きている。
また飛び出そう。
この歌に、誘われているような気がした。
そう、永遠なんてないのだから。
人生は一度きりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?