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黄泉の世界

先日、ある人のユーチューブを観ていて、改めて確信したことがある。
それは・・・・

黄泉の世界というのは存在している、ということ。

これはあくまでも自分の解釈で、いやいやぁ、あるはずないっしょ、と思う方はそれもありだと私は思う。

ただ、私は自分の経験や、数人の人が同じことを言った時、どんなことであっても、「ビンゴー!」という言葉が、頭の中で響くのだ。


2009年の春。夫のおばあちゃんが亡くなった。20年近くガンとの闘いで終わった彼女の人生だった。
そのなくなる2か月前、そう長くはないだろう、と義理の母に言われ、家族で会いに行くことになった。車で10時間のところに住んでいる彼の祖父母。
あまりあったことも時間を過ごしたこともないこともあって、彼女がやせ細ったとか、弱くなったとか、私には実感がなかった。
しかし、彼女なりに、痩せ、そして体力の低下もあったようだった。
到着した時には、先発隊で行っていた義理の母がいて、おばあちゃんはお昼寝中だった。
「この数週間、痛みがひどくて眠れないことが多くなってね。今お昼寝しているから、起きてからお茶にしましょう」といわれた。

モルヒネを使っていたのかは覚えていないけれど、とにかく、薬が切れると痛みが出てきて、かなりつらく、薬を拒否していた彼女は、痛みを我慢することを選択していたらしい。

その日の夜、おばあちゃんの足をマッサージしながら、世間話をした。彼女は、私の目の奥、いや、もっと通り過ぎたところを見ながら、「私はね、もう準備ができてるの。ただ、娘たちと、ジョージ(夫)がね・・・」とつぶやいた。心のどこかがうずくような感じがして、翌朝起きるのが、少し気が引けた。

そんな気持ちのままで朝、キッチンに向かうと、元気そうに、立って朝食の準備の手伝いをしているおばあちゃんがいた。

一瞬私は不謹慎にも「夢」かと思ったのだ。

彼女は私を見ると、キラキラした目で「ハナのお陰で昨日はぐっすり眠れたのよ。ありがとう。ここ数か月こんなぐっすり寝たことがなくてね。いっそのこと、ここに住んで頂戴な」とウィンクをしながらお願いする彼女。「そうしたいけど、手がかかるちびがいるからねえ」とかわすと、またあの、どこか奥の奥を見ているような視線で、彼女は質問してきた。

「Yomi、って知ってる??」

「Yomi?」

「そう、Y.O.M.Iで、ヨミ」

「黄泉の世界のよみ??」

「そう、そこってどこにあるの??」

私は「多分」と言いながら上を指さした。つまり天国。

「私ね、夢を見たのよ。いや夢だったのかわからない。とても暖かくて、ちょうちょが飛び回って、沢山お花が咲いているのよ。光で満たされていて、もちろん、甘い香り、多分あれは何かのお花ね、で満たされているよの。そしたらね、「YOMI」という言葉が目の前に浮かんできたのよ。確かどこかで読んだか聞いたかわからないけど、そうね、あれが黄泉の国だったら納得だわ。それが天国だとしたらね」

殆ど何も思い出すことのできない私でも、この一言一句を思い出せるほど、彼女はクリアに、そして嬉しそうに話してくれたのだ。

黄泉の国というのを見たこともない彼女。キリスト教で教会に通う彼女からすれば、天国のほうがしっくりくるだろう。けれど、何故か、黄泉の国と言ったのだ。日本や、仏教には全く程遠い、彼女が、何故?と不思議に思いながら・・・。

その2か月後、彼女は数日昏睡状態に陥り、子供や孫に囲まれ、「黄泉の世界」へと旅立った。

時が過ぎて、2019年の秋。子供が原因不明の、「意味の分からない感染症」にかかり1か月闘病生活を送った。救急に駆け込むこと2回。レントゲンをとっても、何をしても、「病気」は見つからず、止まらない咳、下がらない熱、それとの闘いだった。1か月、私は不眠不休で看病したのがたたり、子供が元気になるころ、自分が倒れてしまった。

さすがに私が倒れると、家のことが回らない。そうなると、まったく何もしない夫も、駆り出される。とはいえ、「薬局に行って薬を買う」ことだけだ。

しかし買い物を頼んで、リストを書いても、必ず違うものを買ってくるという特性を持っている彼は案の定、違う薬を買ってきたのだ。

怒る気力もなく、高熱さえ下がれば、と必死の思いで、私はその薬を飲んだ。

飲んですぐ、私は記憶がない。

次の瞬間、私は黒い穴に落ちていく感覚がした。気が付くと、10cmはあるような芝の上に座っていた。1m先にはミルク色の川がキラキラと流れている。

まぶしくて目を細めると、向こう岸が見える。かすかに見えて、だんだんクリアになってきた。チューリップの完全に開きました版のような黄色いキラキラした花が咲き、蝶がひらひらまっている。

次の瞬間、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

それは20年以上も前に亡くなった父だった。細川たかしが紅白の衣装で来たような、白を基調にしたギラギラした着物を着ていた。思い出すだけでも笑えるけれど、その時は、なつかしさがこみあげていた。

「お父さん何してるの??」

川の向こうにいるのに、普通に話せるのだ。

「お爺ちゃんと詩吟を楽しんでいるんだよ」

よく見ると、父の横には、なんと、おばあちゃんが立っていた。あの朝キッチンで黄泉の国の話をしてくれた時のトレーナーとパンツをはいていた。

「ハナ~、こっちは面白いよ。あなたのお爺ちゃんって人は凄い人ね。楽しいからこっちにいらっしゃい」

「ハナ、母さんから30円もらって渡ってきなさい。少し向こうから船が出てるから」

「あら、なんで30円??」好奇心の強いおばあちゃんが聞く。二人は英語と日本語でそれぞれ自分の母国語で話しているのに、何故か理解しあっている。不思議な光景だった。

「この川を渡るための船の乗車代なんですよ。あれ、アニーさんはどうやってこちらへ??」

おばあちゃんのニックネームで呼んでいる父。とても、とても不思議な光景だった。

「気が付いたらここにいましたよ」と得意げに言うおばあちゃん。

「さすが外国は何でも、早い。日本もそうじゃなきゃいけない時代がやってきたように思うんですがね。私もうちの妻が沢山10円硬貨を持たせてくれましてね。あなたは協調性がないから、チャーターしてもらうのよって。いくら持っていたか知りませんが、おかげで、プライベートボートできましたよ」と父も得意げ。

そう、母は棺桶に、沢山の10円硬貨を全く同じセリフを言いながら、涙を流して、泣き笑いしながら、入れたのだ。そうか、ちゃんとプライベートボートで行けたか。よかった。とその時私は思った。

その会話の後、二人は私の方を見て、「おいでよ、早く。お爺ちゃんも待っているよ」

私は二人のいる向こう岸にひかれるように、川に足を入れた。穏やかな乳白色の川は、穏やかな水面の下は濁流だった。

その濁流に足を取られた。

おぼれた。

おぼれたのだ。足と手をばたばたさせて、はっと置きあがったら、真っ暗な自分のベッドルームだった。

これだけならただの夢、で済んだかもしれない。

ところが、私はびしょぬれだったのだ。前髪からぽつぽつと水滴がこぼれた。何が何だかわからず、リビングルームへ行くと、子供と夫が、驚いた顔で私をみた。

パジャマのズボンもTシャツもびしょびしょなのだ。

「シャワー浴びてくる」と言って、バスルームへ向かう。

立ち上がることもできないほど熱でうなされていた自分がシャワーを浴びようと思えるまで、歩けるほどになっていたのだ。

シャワーを浴びた後、食欲も戻り、熱が噓のように下がっていた。

薬が効きすぎたのだろう。汗を沢山かいて、治った。こういう図式だ。

でも。

翌朝、母からの電話で目が覚めた。

「ちょっと聞いてよ」

この言葉から始まる電話は、事件か不思議な話。

「今朝、お父さんのね、写真がずれたの。ぱっと目をそらしたらね、写真がずれていたのよ」

「地震があったとか??」

「ないわよ。今までそんなことがなかったし。ホントに目をそらしてまた見たら、写真がずれてるのよ」

「何時ごろ??」

「7時半くらいかしらねえ・・・」

私の脳みそが凍り付いた。

その時間に私は薬を飲んで、「黄泉の国」で父とおばあちゃんに会っていたころだ。

私はその話を母にした。すると、

「ちょっとあなたの旦那、そんな劇薬飲ませたの???」

そこかよ、と突っこんで笑った。そして母は真面目な声で「ハナがそっちに戻ったからな、って知らせてくれたのかねえ」と。

本当に、温かく、キラキラしていて、香りも優しい、そう、ホノルルの空港に降り立った時にする、プルメリアの花のような香りがするのだ。三途の川も、乳白色で、綺麗だった。

おばあちゃんが亡くなる前に訪れた黄泉の国と、私が訪れたけれど、川の向こう岸にあった黄泉の国は、同じだった。花が咲き乱れ、蝶が舞う。ユーチューブで話していた情景も全く同じもので、5感のスイッチ全てが入りそうな、そんな、心地よく、素敵な場所なのだ。

黄泉の国。

きっと国境もなく、みんな亡くなった人は、そこに行くのだろう。そして言葉も宗教も文化もお互い私たちの知らないレベルで理解しあい、穏やかに生きていくことのできるところなんだろう。

とはいえ、昔の心霊再現ビデオで見ると、よく、光の向こうにいる亡くなった人たちは口をそろえて、「来るな」というよなあ。

何故ゆえに、あの二人は「おいで」と誘ったのだろう。

まあ、それはどうでもいいことだけれど、私は信じているのだ。

黄泉の世界というのが存在し、誰しもが行くことのできること。そこは痛みも、国境も偏見も、ネガティヴなものは何もない、ただ温かく、人々(魂??)が穏やかに暮らしていけるところ。

なんて素敵な場所なのだろう。

しかし思うのだ。しっかり生き切らないと、あの場所へはたどり着けないのだ、と。なんの根拠もない。でも、生き切る、ということの大切さは父を、この祖母が生き方で見せてくれたような気がするのだ。その二人がいた場所だからこそ、私は生き切ってみようと思う。

そしてあの黄泉の世界で、私は小林幸子の衣装でも着れるだろうか!?笑

楽しみでならない。その日まで頑張って生きようと、思う。





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