てぃんさぐぬ花 5

50年前の5月15日。
沖縄はアメリカ合衆国より日本へ返還された。
今年で50周年。

その2か月後、私の家族は沖縄へと引っ越しをした。
結局は数年住み、地元に戻ることになったけれど、当初は、いつ帰ることができるかはわからない、という父の仕事の辞令だった。
私はまだまだ言葉もつたないほどの年齢で渡ったため、記憶は殆ど、ない。
ものの見事に覚えていないのだ。
あるのは写真だけ。
空港でとったものと思える写真。恐ろしいほど若い叔母や叔父たち。
後生の別れと言わんばかりに家族が集まり見送りに来たようだ。
私が持っている写真の中で、きっとこの写真が唯一、両家の親戚が集まって撮ったであろう、写真だ。
大げさな、とあの写真を見るたびに思っていたけれど、改めて50周年という時を経て、この人数が集まったという状況を理解することができた。

この記憶の乏しい私でも、いくつか思い出せることがある。
それは

・お墓が大きかったこと。小さな家のような形をした、中に子供が入って遊べそうな大きさだった。

・朝ぶろに入ることが多くて(理由は不明。母に聞いてみよう)いつも具合悪くしていた。←いまだに朝風呂は苦手。

そして、このタイトルの「てぃんさぐぬ花」の歌。
沖縄の民謡だ。
この曲が何故か心に残っているのだ。
沖縄の民族衣装を着た女性がこの曲で踊っているところを見たのか、この緩やかに踊る女性も思い出す。

先日ふと気になって歌詞を見てみた。
一番しか知らない私は唖然とした。
なんと!6番まであるではないか!
それも万葉集を読解するかのような言葉は、解釈を読まないと意味が分からない。日本語なのに、だ。
この地域の違いが面白い。し、私はこういうことにわくわくする。
言葉や文化の違い。同じ人間でも違うところ。
解釈を読み、私はふと、立ち止まった。とても心にどしっと来るものだったからだ。

かいつまんで説明をすると、親を敬うこと、そして生きていくための大事なことを歌っているのだ。

宝玉やてぃん
磨かにば錆す
朝夕肝磨ち
浮世渡ら


(訳)
宝石でも
磨かなければ錆びてしまう
朝晩心を磨いて
日々を生きていこう

歌詞全てが素敵だけれど、4番のこの朝晩心を磨いて日々を生きていこう。
今まさに自分に必要なものだな、と思うのだ。

言葉というのは必要な時に自分に届くものだと、私は感じる。
ヤフーニュースで沖縄返還50周年という文字を見て、私はこの歌が流れてきた。
悲しい歴史や今だに残る問題を抱えている沖縄。
しかし海や自然、そこに暮らす人々の穏やかさは本当に、緩やかで暖かく笑顔に溢れている。それはきっと経験からによる強さと優しさの融合であろうと、私は感じた。
30周年を迎えた20年前に母と訪れた沖縄の感想だ。
今はどうかわからない。移住者が増えたり、と色々変わったであろう。

戦争という言葉が、日々のニュースで使われている昨今。
平和を願うことも叫ぶこともいいことではあるとは思うけれど、私は日本人というアイデンティティと、私たちの私たちにしかない文化や思想をもう一度考えることが大事なのではと、感じるのだ。
そう、思わせてくれるのが、この「てぃんさぐぬ花」のような気がする。

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