見出し画像

Perfect

昨日の夜、ひどい悪寒と腹痛で早めにベッドに入った。

ベッドから見える夜空を見る余裕もなく、猫と二人で丸くなり、眠りについた。

9時台にベッドに入るなんて、殆どと言っていいほどない。子供も大きくなったせいか、「営業終了」と夜に言いながら自分の部屋に行けるようになったのはごく最近だ。

さて。早くにベッドに入ったというのもあって、夜中に目が覚めた。目覚ましをかけていないことに気づき、目覚ましをセットし、その横にある、携帯(携帯ですべてをまかなわない頑固な昭和人。苦笑)をとり、ヤフーニュースをつらつら・・・・。

サクラの開花のニュース。気が付けばもう3月末。そうか、桜も咲くよね。コロナだとか、アジア人の人種差別問題だとか、そういうニュースに気を取られていたからか、今ある季節をすっかり忘れていた。

そして考えた。桜を最後に見たのはいつだろう・・・・。と。薄い記憶をたどり、時は2000年に戻った。

そうだ、もう21年、私は桜を見ていない。寂しいと思うことがなかったのは、私がしばらく住んでいた町では、季節が日本とは少しでもずれているとはいえ、リンゴの花が咲いていたのだ。そしてそれ以外の花が春の喜びにあふれるかのように、一斉に咲き始めるのだった。

しかし、結婚してから住んだ町はとにかく乾燥地帯で、寒冷地だったというのもあり、「色のない」町だった。このくらいから、私は桜の季節になると、とてもとても、日本が恋しくなってきたのだ。まさにホームシックのシーズンだ。

日本に住んでいたころ、桜が咲くと、当時付き合っていた彼と、お弁当をもって根岸の森林公園に行った。それが私の大好きな日曜の午後の過ごし方だった。とても平和だった。家族連れや、若い人たちのグループ、ドッグウォーカー・・・みんな楽しそうにそれぞれの時間を過ごしている。

そして自分もブランケットの上に横たわり、春の暖かい日差しの下でお昼寝をするのが、満開に咲いた桜を見ることがこの上ない幸せだったのだ。

今でも根岸の森林公園は同じように春を迎えているだろうか。

そして思うのだ。桜の時期が来ると、思い出すのは「ザ・ラストサムライ」で、勝元役を演じた渡辺謙がなくなる瞬間に桜の花を見つめ「パーフェクト」というシーン。桜の花びらがひらひらと舞うあのシーン。

この世を去る前に、見えるものが桜の花とはなんとも素敵なものだろう。アメリカ人が表現する日本というのはとてもチープに見えてしまうものが多い中、この映画は「わびさび」というものをほんの少しだけ見え隠れしていたような気がするのだ。その一つがこのラストシーン。

サクラの花を愛でるというのは日本人の心にある一つの美しい文化ではないか、と思う。「花の命は短くて・・・」というように、桜の咲く時期は本当に短い。

21年という月日はあまりにも長すぎる。でも、学生を持つ親としては4月はどんなことでも帰国できない時期なのだ。いや、子供が小さかった時でも、その景色を見せる機会がなかったのも事実。

だから、子供は桜の花というのを見たことがない。あの満開に咲き誇る桜の花を見たことがないのだ。

日本の友達が写真を送ってくれる。ありがたい。そしてホームシックになる。

あのパーフェクトで、美しい桜の花をもう一度、死ぬ前に見たいものだ、と強く思う春。

子供はオーロラを見たいという、母は桜が見たいという。自然のものは本当にカレンダーを指さして、じゃあ、ここの日に行きましょうね。とはいかない。桜の時期もその年その年で微妙だし、オーロラも気温やその他もろもろで状況により見えるもの。

いや、願い続けよう。そしてコロナがなくなって、自由にまたいろんな所へ行き来できる日が来るよう、祈りながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?