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「アンチ・ハッピーエンダーガール - anti-happyender girl」セルフライナーノーツ

「アンチ・ハッピーエンダーガール - anti-happyender girl」について書きます。

序文

「アンチ・ハッピーエンダーガール - anti-happyender girl」は2024年1月にリリースされたex. happyender girlの3枚目のフルアルバムです。

(ex.) happyender girlのフルアルバムはすべてコンセプトアルバムです。
今回のコンセプトはその名が表す通り「happyender girlの自己批判」です。ある種のコンテキストに則った言い方ですと「総括」です。

ここでいう「happyender girlの自己批判」とは具体的には以下の3つを指します。

①2023年にリリースされたアルバム「happyender girl」で描かれたコンセプトについての楽曲
②2023年にリリースされたアルバム「happyender girl」を作ろうとしたことそれ自体についての楽曲
③2015年から2019年まで活動していた同人音楽サークル「happyender girl」と2020年から活動している「ex. happyender girl」についての楽曲

収録されている各曲はすべて①②③のどれかに対応しています。

以下、「アンチ・ハッピーエンダーガール」の各曲について、どのような意図で制作されたかを記述していきます。構成として

曲名 ①②③のカテゴライズ
制作時念頭に置いていた楽曲
詳細

という形になっています。

最後になりますが、この下から始まる文章は「このアルバムが何を書いているどのようなアルバムか」を説明する文章ですが、このアルバムを聴く上で前提となる文章ではありません。もちろんこのアルバムは(ex.) happyender girlの全楽曲を聴いていないと楽しめないようなアルバムでもありません。
ただ以下の文章は我々との認識合わせのためにいくらか役立つという代物です。

少なくとも上の文章で「(ex.) happyender girl」と「ex. happyender girl」と「happyender girl」を使い分けた理由を理解されている方向けの文章になり、そうでなければ読まないほうが余計なバイアスなく楽しんでいただけるかと思います。

実はしんでもおしまいではない ①②③

2015年に発表したhappyender girlの1stアルバムに「しんだらおしまいよ」という曲があります。その曲からベースラインを拝借して作った曲です。

1曲目からアルバム「happyender girl」に真っ向から逆張りする内容であり、このアルバムのコンセプトの一側面を体現する楽曲となります。特に「その後の少女たち」はわかりやすくコケにしています。

そういうアルバムです。

説教 ①③

2023年はあまりにも多くの音楽家の方が鬼籍に入られたし、いろんな音楽家が炎上していた記憶があります。
山下達郎の騒動が個人的にかなりショックで、僕は作者と作品は関係ないとは全く思わないタイプなので作者に対して好意を持っていれば作品にバイアスをかけて見てしまうしその逆も然りなのですが、そのためそれこそ子供の頃から聴いていた山下達郎とその楽曲に対しての個人的な評価もかなりネガティブな方向に変動してしまいました。
それだけだったらああ反転したのねで終わる話だと思うんですがその後、騒動前に山下達郎のライブチケットに当選していたのでせっかく初めて生で観るチャンスを得たのに観ないのももったいない(お金も払ってますし)ということで初夏頃やっていたライブに行ったんですね。
そこで一発目にやった「SPARKLE」が最初のカッティングの1音目からもう素っ晴らしくて感動してすごく来てよかったなという気持ちになって、ただ先の騒動に対してのもやもやした感情は消えないというアンビバレントな状態になりまして、それに対して解決はまだしてないんですがそれを吐き出すために書いた歌詞です。

上記にプラスして「ボーカロイド=不祥事を起こすことのないクリエイター」という要素も歌詞に盛り込んでいます。
作った当時(2023年夏)は「歌詞も今は書けないけど多分近いうちに書けるようになるさ」とか書いてましたが、当時もやろうと思えばAI生成できたし最近はもうすっかり歌詞をAI生成するなんて当たり前という感じですね。

長い話 ③

30秒で終わる曲を作ったらウケるかなと思って作りました。

もちろん30秒より短い曲はYou Sufferやナツメグなどなど古今東西ありますが、この曲のコンセプトとしてはジングル的でないAメロBメロサビ間奏AメロBメロサビCメロ大サビというスタンダードな構成を30秒でやりきるというもので、ショート動画に収まるくらいの尺のポップミュージックを作ろうという趣向でした(もちろんそのような曲も既に世に大量にあります)。
このアルバムには入っていませんが「x1.35」とだいたい同じ着想です。

今後どんどんポピュラー音楽の平均の尺は短くなっていくし、テンポも上がっていくだろうし、それが正しいと思います。

感傷性とは滓 ①②③

「早逝した天才」という概念はポピュラー音楽、特にバンド系では付き物で、人によってそれがシド・ヴィシャスだったり尾崎豊だったりカート・コバーンだったり佐藤伸治だったり椎名もただったりwowakaだったり津野米咲だったりと思うのですがある程度音楽に触れている方なら1人は思い浮かぶものだと思います。
そして今の自分の世代、20代後半~30代あたりは多分志村正彦を思い浮かべる人が一番多いんじゃないかなという気がします。
僕は訃報をよりにもよってニコニコ大百科の掲示板のレスで知ったんですがまあ得てして有名人の訃報というものはそういうものだと思います。あの瞬間のことは一生忘れることはないでしょう。

「早逝した」ということで評価が上がる、ということが今も音楽ではまかり通っており、それは本当に野蛮だと思います。そしてその価値観にどっぷり浸かっている自分が居て、それこそ作者の悲劇性で作品にバイアスをかけているということで、作者と作品は関係ない論の真反対ですね。
志村期のフジファブリックやフィッシュマンズを聴いたときの感傷性というか、作品全体に付き纏う悲しみみたいなものがあり、それは自分が勝手に感じ取っているだけですごく身勝手なことなんですけど、せめてそれに自覚的でないといけないと思うんですね。

現実ではなくフィクションもそうで、まさにアルバム「happyender girl」や自分が今まで作ってきた曲、たとえば「cruel」とかはすごく悪い解釈と言い方をすると人を死なせて感動させるストーリーで、そういった感動の源流にはやはり現実において何かを、特に人を失うというのは感傷的で悲しいものであるという価値観があると思っていて、それを肯定するにせよ否定するにせよ人間の生死というものを消費しているというのは忘れないようにしていたいです。

心の灯火 ①③

すっかり定着した感があるAI生成コンテンツと恒例行事と化したその是非の議論ですが、「アンチ・ハッピーエンダーガール」のジャケットもAI生成です。
正確には元々アルバム「happyender girl」のジャケットがAI生成(の加工)で、それをimg2imgで再変換したのが「アンチ・ハッピーエンダーガール」のジャケットです。

「説教」と「感傷性とは滓」の2曲でも触れた「機械は人間(=生き死にのある概念)から切り離された芸術を作ることができる」という思想を体現する曲です。そういうコンセプトを抜きにすると歌詞も曲(MIDIデータ)も完全にAI生成なので特に書くことはないです。つまんねー曲だと思います。
当然ながらこの曲自体に対する愛着みたいなのはゼロで、僕はやっぱ自分の手で音楽を作りたいんだなぁとか思ったりしました。

ラディカル・イグジスタンス ②

当初のコンセプトではここに「ラディカル・イグジスタンス」というトラックを挿入する予定でした。

内容はずんだもんと四国めたんが「ラディカル・イグジスタンス」という架空の楽曲の内容を解説するというもので、直前まで入れるか迷ったんですが流石にそういうことやっても誰も幸せにならんな……と思って止めました。

no memory (blackout) ①

打って変わって生身についての曲。
だいたい「生きていぬ」と同じようなこと、そして「lightgazer」と逆のことをそれぞれと別の切り口で言っている曲です。
このアルバムは全く異なる方向性のメッセージに見えつつよく見るとだいたい同じようなことを言っている、みたいなことをよくやっています。

元々はローファイヒップホップを作りたくて作った曲で、実際曲としては結構いい線行ってると思いますが歌詞がこれなので先行して公開したときには曲と歌詞が若干ちぐはぐな印象を受けた方も多くいらっしゃるかもしれません。それに関してはマジですみません。でもそういう曲なので許してください。

ex. happyender girl mp3 rar ③

happyender girlの結成秘話を描いた歌詞です。
冗談でもなんでもなく、2000年代のニコニコ動画から生まれたという出自のダーティさ、そして今に至るまで無から何か(e.g.音楽)を生み出したことは一度もないということを主張しています。

生きていぬ ①

一番最初のきっかけとしては「happyender girl」というアルバムは人の死を含む喪失を感傷的に描きすぎた、という反省がこの「アンチ・ハッピーエンダーガール」というアルバムを生んでいます。
「感傷性とは滓」でも書きましたが、自分や誰かが何かを失う様を描くことで感動を誘うというのは非常に残酷なことで、それをするならせめて自覚的でないといけないと思っています。

「生きていぬ」の歌詞は死に至るまでの無様な生について書いた上で、その死の後に残るものを書いた歌詞、ということでアルバム全体のコンセプトを象徴し、「実はしんでもおしまいではない」「感傷性とは滓」「no memory (blackout)」「死と腐敗」「lightgazer」などを相互に結びつけるものになっているように思います。

あと楽曲的にはこのアルバムで一番好きです。

批評 ②③

アルバム「happyender girl」の全曲を継ぎ接ぎサンプリングするという楽曲です。
前述の通り「アンチ・ハッピーエンダーガール」というアルバムは全体通して自己批判、批評のための作品です。そしてこの楽曲は分類としては②と③であると同時にこの「アンチ・ハッピーエンダーガール」というアルバム自体に対して批評する楽曲です。
批評に対して批評、その姿勢に対して批評という感じで完全に自家中毒に陥っていますが、その袋小路な様を楽しんでいただけるといいのではないかと思います。

cityscapes #2023 ①②③

NUMBER GIRL「TOKYO FREEZE」です。

さすがにこの曲について掻い摘んで解説するのは無粋だと思うので書きませんが、2023年という年に起こったこと、とりわけ著名なミュージシャンらの逝去を全力で消費している楽曲であることは間違いありません。僕は群馬出身です。

ここで「happyender girlというアルバムを作ろうとしたことそれ自体についての批評」は一旦区切りで、ここからの2曲は「happyender girlというアルバムで描いたものに対しての批評」、すなわち「喪失」に対しての楽曲となります。

死と腐敗 ①

「happyender girl」というアルバムの歌詞に「死」という単語は一言たりとも出てきません。それに対して「アンチ・ハッピーエンダーガール」ではそれこそ手垢が付くくらいベタベタと「死」を天丼していまして、それは以上に書いたような思想を受けて死や喪失を感傷的に描きたくないという意図があります。

それが成功しているかというと、結局これと次の曲では失敗しているかもしれないです。わかりやすく、ちゃんとドラマチックかつポップな曲を作ろうとした2曲です。

この曲は直接的にはブルーアーカイブというゲームに出てくる天童アリスというキャラクターのことを考えて作りました。長命種なら当てはまる歌詞にはしたつもりで、例えばボーカロイドとボカロPの関係性という歌詞にも捉えられるかもしれません。

重要なのは死という概念がないか限りなく遠い(少なくとも今の自分からはそう見える)存在について書くということで、それ自体が「死者と生者の話」という構図だったアルバム「happyender girl」のアンチになるということです。

lightgazer ①③

scene throughも参照元なんですが、より直接的に目指したところとしてはROSSO「シャロン」です。

「死と腐敗」を相手方、遺す側からの目線で描いた歌詞と見てもらって大丈夫です。
そうでないかもしれない。
これは普通に人間と人間の話かもしれないんですけど、これも大事なのは何も残せず死んでいく我々が「君は星より永く生きていくよ」と信じることでしょう。

アルバム「happyender girl」のアンチに成り得る前曲に対し、この曲は初っ端1枚目のフルアルバムに入っている「cruel」からずっと「人はいつか死ぬ」と言い続けてきたhappyender girlという存在に対してのアンチとして有効になるわけです。

明るい部屋 ①②③

特に書くことはないです。

まとめ

あれこれと書きましたが、一言で言い表すとするならば「happyender girlというアルバムに逆張りしたアルバム」となります。
僕は逆張りオタクなのでこのようなアルバムを作りました。
我々のような零細ボーカロイド音楽サークルを聴いているということはみなさんもきっと多少なりとも逆張りオタクでしょうから楽しんでいただけると思います。

楽しんでください。


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