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満月とユーロビート

満月の夜は、キノコが森の中できらりと光っているんじゃないか、と考えてしまう、森のキノコです。


もうかれこれ2週間近く前のこと。
溜まっていた用事を色々終わらせ、スーパーでサンドイッチを買って、車の中で食べながら、7時半からの空手のクラスまで時間をつぶしていた。
夏の間は、笑ってしまいたくなるほど、明るい7時半。
でも、秋分が過ぎてしまったこの時期はもう暗い7時半。
だからか、ハーベストムーンが木の間から顔をのぞかせていました。

「今日は満月なんだね~」という娘に、
「今日の満月はハーベストムーンっていうんだよね」というか言わないかで、娘は車のシートからジャンプして、ラジオのボリュームを上げ、
「リック・アストリー!!!」
彼女は彼の「Never gonna give you up」がかかるとノリノリになるのだ。

その彼女を見るたびに、ユーロビートの数々の曲が脳裏をかすめるとともに、今はないであろう、いや死語でもあるであろう、「ディスコ」を思い出す(苦笑)のです。

80年代後半、バブルがはじける直前のあの時期、私は友達とディスコに行くのが好きだった。
とはいえ、毎週、行くということはなかったけれど、当時住んでいた横浜のマハラジャ(確か横浜だったような)や、そして地元のマハラジャ、幾つかの踊ることのできるディスコに顔を出していた。
「ディスコに通う」はまさに昭和と平成の境に確かに存在していた、本当にはるか昔のこと。

お立ち台が輝かしくて、お立ち台の上で踊るいわゆる「イケてる」女の子たちはとても輝いて見えたけれど、私はそこを目指す勇気も、そこまでイケてるオンナになる自信もなかったハタチそこそこの自分。
でも、ただただ、フロアで友人と踊っていることが楽しかったあの時。
時々、お互い当時付き合っていた彼もつれて、ディスコ、ビリヤードとはしごもしたなあ。

夏休みで帰省した時は、3晩通い続け、3日目の朝、仕事に行った母がテーブルに残したメモは今でも覚えている。
「いい加減、顔を見せなさい」
怒鳴られるよりも、この小さなメモにより背中に戦慄が走ったのが、今となっては笑い話だ。

あの時の年齢に娘は近づいている。
クラビングこそ、いやパーティーにもいかない彼女だけれど、ラジオから流れるリックの声に合わせて歌う彼女にはしっかり私の血が混じっているのがわかる(苦笑)
血は争えない。
そしてあの時「いい加減に・・・」とメモを残した母の気持ちが痛いほどわかるのだ。

新しい聞きなれない曲に変わり、意識が2023年に戻ってきた自分。
ハーベストムーンは少しだけ木々の間からポンと顔を出していた。

あの酔った加減で見上げた空にも、月が浮かんでいたなあ。
「ハーベストムーン」だとか、そんな名前すらわからなかったし興味もなかったあの時の自分。
それでも、月はあの時と同じように、満ち欠けをくり返して、今日に時をつないできたんだな、と考えたらとても感慨深くなった。

こんな満月の夜を娘と見上げる時間はあと何回あるのかな。
子供の成長は早いというけれど、ホントそうだな、と思った。

こんな話を母に今朝電話でしたら、「本当に遊ぶだけ遊んでいたわよね、あの頃のあなたは」と言われるかと思いきや、「覚えていませーーん」ともうすぐ80になる彼女からの回答。

あの時の怒る勢いのあった母、ユーロビート、リックの少し低い声、マハラジャ、前にすだれのように垂れた前髪、肩パッドが凄かったスーツ、そして夜空に浮かんだ月。
全てが懐かしく思えた夜だった。
久々にセンチメンタルな気分になった。
家についてからユーロビートを聞きながら、キッチンの片付けをしたハーベストムーンの夜。
あれ以来, ユーロビートを聞きながら作業をしている。
秋の夜長のユーロビートもまたいいものだと気づいた今年の秋。
気が付けば今週末には新月がやってくる。
今度は平成の懐メロでも開拓しようかな、なんて考えている。


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