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生まれた日

大変ご無沙汰していた、森のキノコです。
5月中に書きたかった事があったまま、突然サインアウトされていて、パスワードが思い出せないまま夏が来てしまい、そしてもう8月が目の前。
おばちゃん、あるある、かもしれないです(苦笑)
パスワードいろいろあちらこちらにありすぎな令和時代。
縮小しつつある自分のアカウントやいろんなもの。
まだまだ縮小したりないと実感した夏。
私の住む町も、夏真っ盛りですが、日本の暑さを考えると、文句は言えません。
夜と朝は涼しめなので、なんとか日々過ぎています。

ま、でもパスワードを思い出したので、良しとしようと、立ち直りが早い今日この頃、時間の流れも速く感じるので、全てが早めに解決するか、あきらめるか(苦笑と爆笑)
年を取るというのも悪くない、と無理に言ってみます。

今日一つ年を取りました。
以前は7月に入ると、わくわくしたものですが、結婚してからは、平日プラス永遠に続く日常の延長戦。終いには義理の家族からの「義理の集まり」に変わり大迷惑な日になってしまったという、結婚当初の数年間。
引っ越してからは、来れない距離になったので、静けさがやってきただけでも、ありがたい(笑)
独身時代の「素敵なレストランに彼と行く」や、「食事の後は夜景」とか、「お誕生日旅行の夏休み」とか、そんなものはもう私にとっては石器時代の化石のようなもの。
そんな日常に、唯一楽しみだったのは、去年亡くなった友人からのバースデーカードとメールでした。それを読んで、よし、今年一年も頑張って生きよう、と思ったのでした。

今年はありません。

去年亡くなる前に送ってくれた誕生日カード。
改めて読み返した昨晩。

「やりたいことは先延ばしにしない」
彼女の常日頃からのアドバイスでした。
「~したら、これをしよう」というのはないと思った方がよい。と。
例えば、「子供が育ったら~」「引っ越しをしたら~」「離婚をしたら~」というような。
その~したら、の時にはもうそれだけの体力や財力、環境がないこともある、という彼女の理論。
この理論は私にとって当たっているものだった。

でも、私は自分の設定したゴールを目指して、今まだ、走り続けている。
そしてそのゴールが「きたら」、自由になり、それが自分にとっての幸せの瞬間だと、ただただ信じている。

毎年、ひとりでカフェに行ってケーキとコーヒーを楽しむ。その時読んでいる本をもって。その時はいつも、友人に手紙を書くか、写真を撮って誕生日レポートをメールでするか。その返信にはいつも「やったー!自由時間だよ!キノコちゃん、やったね!!必ずこれが日常になる日がくるから!」
と飛び出してきそうな元気な返信。

今年は土曜日。
なので、ひとり時間はなし。
でも恒例を続けたくて、昨日カフェに出かけた。彼女からの最後のバースデーカードと、今読んでいる本と、彼女の形見をもって。
シナモンロールと大好きな地元でローストされた後味の良いコーヒー。
心の中で、「ハッピーバースデートゥーミー」と歌って。彼女からのカードをまた読んで。涙が出てきそうになった。
人が少ない平日のお昼前のカフェ。
涙をこらえないと、と思ったら、数席向こうで、71歳のお爺ちゃんが、87歳のお爺ちゃん相手にマウントを取るような会話が耳に入ってきた。
いつもなら、「くだらないことしてるな~」と思うけど、このマウント取り放題のお爺ちゃんと、それを思い切り違う方向へもっていきながらスルーするお爺ちゃんの会話が、笑いを誘った。

このお爺ちゃんたちに助けられた。
「笑い続けるのよ~、笑う門には福来るだね~」と彼女が言いそうな気がした。

頑張れ!とカツを入れて、彼女の分も生きるぞ!と空回りし続けた今年。
2023年も余裕で半分が過ぎてしまった。

頑張るのもいいけど、たまには泣いて、心とともに「倒れてみる」のも大事かも、と思った。
新しい一年が始まる。
どんな一年になるだろう。
ふと、来年を迎えられるだろうか、と考えてしまう自分がいるけれど。
明日は明日の風が吹く、だ。
一日一日をベイビーステップで進んでいこう。小さく、でも確実に。そして楽しく、幸せに。

あ、そしてパスワードももう、忘れないように(笑)










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