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ショック

私がガンの病院から退院したのも、束の間!これから、怒涛の嵐が続きます。
もう、私は、訳分からず、ただただ、その時その時、必死で生きて来ました。
転勤も次から次、子供三人を必死で守る事だけを考えて生きていました。
ミロスを知ったら、生きていなかったと言うことかも知れないけど、
必死で、呼吸してたと思います。
でも、度々、息苦しくなりました。それでも、よく倒れなかった!と思うくらい、目まぐるしく動いていました。


入院中、私は病院で毎晩泣いていましたが、写真の中の子供達を見ることが心の支えでした。
退院は、北海道の寒い年の暮れでした。
久しぶりに、養父母の家に行って、子供達と会った時、上2人は喜んでくれましたが、

お手伝いさんに抱っこされてた乳飲み子の三男は、私が抱っこしようと手を差しのべたら、、私のことを忘れてしまったのか?私に背を向け、お手伝いさんに抱きつきました。
私は、ショックでした!

今、ここまで書いて、気付きました!
ミロスで解くと、
私が短大の時、実父が寮に訪ねて来てくれたのに、私は、私を手離した実父を許せなくて、つれなく振る舞った、と同じ!
あー、そうだったのかー!!
実父も、こんなに、
ショックで、切なかったんだー💦と分かりました。

さて、それが暮れということは、それからますます極寒になる北海道。まして、その時の転勤先は、養父母の家より、北海道の中でも極寒の北の街。
そこに戻って、病み上がりの私が一人で子育てするのは、とっても不安でした。
が、年明けそうそう、養父から、子供達と私の家に帰りなさい、と言われ、極寒の街に戻りました。これは、養母が養父に言わせたと分かります。
忘れもしない、1月17日に戻りました。北国の人なら分かると思いますが、その頃から2月まで、一年中で一番寒い季節。そして、、、、、