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個人の判断って前からでしょう

3月13日に向けて、世間がかまびすしい
そう、マスク着用について、である
わたしの職場でも「個人の判断を尊重する」という
通知が回ってきた
「ああ、いままで
個人の判断を尊重していないことを
自覚してやってたんだな」とため息が出た

百貨店やイオンなどで
「個人の判断にまかせる」という報道を見た
いままで
「個人の判断にまかせていられないという
考えを自覚的に実践していた」らしい
何でそうなるのか突き詰めれば
相手に対する不信に他ならない

「感染しない、させない」という「思いやり」が
社会にはびこらせたものは
「思いやり」でも何でもない

感染者などに対する酷い差別を見て
また、
(ここが大事な点なのだが)
自分もそれに加わったがために
感染することで社会から排斥されるという
臨在感を強くしたのである
その結果
実は自分がかかりたくないがために
マスク非着用の人にレッテルを貼り
私刑にする「排除の正義」が実践された

室内であってもマスク着用を推奨しない場合があることは
昨年5月に厚労省が提示していた
だがそこでも非着用者は排除の対象となった
単純に「あんたは知らないヤツだから
あんたの判断を
信じられるわけないでしょ」という
冷たい不信があった

表面上は「差別、ダメ」みたいなことを
言うのだが
「マスクを着用してください!!
ご協力いただけない場合には入らないでください!!」という
集団ヒステリーは本心を曝け出す

マスクを着用しないという「個人の判断」も
マスクを着用できないという「個人の体質」も
尊重できなかった非寛容社会・日本
ただ、マスク非着用の相手を
不審者として扱っただけである

この3年、ただ、それだけである
褒められることなど何もない
これ、誰か反省するの?


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