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傲慢と偏見とモンスターコンシュマー的なもの ―「銀河英雄伝説」ジェンダー表現騒動番外地

 今回のテーマは「銀英伝ジェンダー描写論争」である。今更に説明する必要はないと思うが、事の発端は銀英伝の新アニメ化「Die Neue These」二期における、ヤン側のヒロイン、フレデリカ・(ヤン・)グリーンヒルの料理下手描写について、こんなつぶやきが行われたことに端を発する。


 これに旧来からの思い入れを持つファンは激高、更につぶやいた津田正太郎氏は法政大学で社会学部の教授であり、過去数々の「社会学者」にオタク表現物への「攻撃」を仕掛けられた記憶がフラッシュバックしたオタクたちも多数「批判的行動」に出るという事態になった。
 津田氏のつぶやきについては、いまだくすぶり続けて入るものの、一応「発言の意図」が「怒ったファンたちの理解したようなもの」ではなかったことを説明し、「謝罪の意」を示すことでそれなりには沈静化した。(カギカッコと太字が多いけど、実際の表現はいろいろ含意が読み取りうるもので、すんなり素直にカギカッコ抜きで記述できるものでもないのよ)
 この話は、幾つかの問題をはらみながらもひと段落は終えた……とはならなかったのである。
 「原作者の田中芳樹氏も改変を支持してる」というような擁護をする人たちが現れたのである。

画像1

https://togetter.com/li/1591553
 こちらのまとめのまとめ人は異論へのコメント制限を行ったりと、公正性において「おおいに問題がある」人物だが、そういう人物なので、逆に自分たちに都合のいいように意見をまとめていて彼らの認識をうかがい知るには具合がいいものになっている。
 彼らが根拠としているのはマッグノベルズ版出版に際して掲載された田中芳樹氏のインタビュー記事である。

マッグノベルズ版銀英伝 記事1

マッグノベルズ版銀英伝 記事2

 これを以て「津田氏の発言は原作者の意に沿ってる」と主張したのである。なるほど。

























 ないない、それはない。

刃牙 ないないそれはない


 一応この炎上の時系列を簡単な表にしてみる。

銀英伝 時系列 表

 問題の発端は津田氏の発言で、それに対しファンやオタク勢が反応し炎上と言って良い状態となり、それに対し前田久氏が田中芳樹氏の過去の発言に言及する形になっている。

 では、この流れのどこが問題として残り続けているのだろう。

津田氏発言ライン

 まず津田氏の側だが、何がそこまで反発を招いたのか。これは社会学者という肩書が過去のオタクコンテンツへの炎上騒ぎを連想させたことが一因なのは間違いないだろう。(なお、津田氏は現時点で社会学が專門という記述をプロフィールからは削除している。が、社会学部の教授であることは変わらない。だが、そのことを社会学全般への批判の根拠とすることには、私は与しないことは明言しておく)
 もう一つは「変えざるを得ない気がする」という表現の仕方である。
 「~(せ)ざるを得ない」を辞書で引くと、次のように出る。

新明解国語辞典5版 得ない

 いずれもかなり、「それ以外にない」という強い必要性を主張する言葉である。ここに反発の原因の一端があることは、「押し付け」等の批判の言葉が少なくなかったことからも明らかだろう。
 津田氏はこれらの反発の大きさを受けてか、13日に、発言には強制や強要の意図はなかったという弁明を連投した。

 政治家の答弁のような持って回った言い回しの印象はあるし、同時期に行っている発言等、引っ掛かりを覚える部分はあるが、兎にも角にもこの表現については弁解と謝罪の意を示したのである。できれば「表現が意図に対して不適切だった」ことを明言してほしいものだが、実際になされていた表現と、後の本人の意図の説明を見ればそれは「一目瞭然」なので、なくても大筋では問題はない。
 こちらの方はとにもかくにもひとまずこれでけりはついた形になる。私も現時点では問題にしていない。

ブラックラグーン この話はここでお終いなんだ

 では表のもう一方、前田氏側の言動はどうだろう。

前田氏発言ライン 1

 前田氏は9/11の津田氏発言とその炎上を受け、9/12に記憶として田中氏のインタビュー発言を上げ、続けて友人から提供されたというインタビューの該当部分画像を上げている。そして前田氏はこのインタビュー記事を以って、田中芳樹氏も銀英伝のフレデリカはじめ女性まわりの描写が現時点(インタビューの発表は2018年)にそぐわないという認識であると、津田氏発言を支持してる。
 だが、このインタビューは本当に9/11時点の津田氏の発言を支持するものなのだろうか。
 答えは端的には「否」である。
 この田中芳樹氏の発言が反論として有効となるのは「原作者はこの描写に違和感を覚えていない(だろう)」と言った主旨の批判に対してである。そういった批判があるかどうか、調べてはいないが、いずれにしてもそれ以外の批判に対しては有効な反論たり得ない。例えば「自分はこの描写が好きだから変えるのには反対だ!」に対しても有効性は低い。ましてや「9/11の津田氏発言は押し付けの度合いが高い」という批判に対してはまったく反論たり得ない。なぜなら「原作者が今の時代にそぐわないと考えているか」と「第三者が押し付けがましく改変を主張する」はまったく別の話だからである。ましてや、このインタビューについてはこのような証言もある。

 津田氏の発言の炎上において、少なからぬ方々がこの点を批判している。要は作者の裁量である改変に対して、かなり強い口調で差し出口を挟んでいる、という主旨である。
その1その2その3

 先に上げた田中芳樹氏のインタビューに関するまとめでは、タイトルなどで「同じ意見だった」と表記しているが、「変更せざるを得ない」と「現代ではそぐわない(が変える云々は言ってない)」は「同じ意見」とは言わないのである。
 この認知のゆがみはどこから生じているのであろうか? 田中芳樹氏のインタビューでの発言が「今なら違うように書くが、書き換えるつもりはない」という意図だと理解してないのだろうか?

前田氏発言ライン 2

 ところが、私が前田氏とやり取りをしたところ、このような発言をしている。

魚拓

 前田氏は、明確に、「田中氏は『今書くならそうならない』という話をしている」と認識していると述べているのである。
 (ちなみに前田氏は妥当云々と言ってるが、私はその判断の妥当性については良いとも悪いとも最初から全く言及していない。そもそも議論の対象にすらしていない。誤解がないよう明記しておく)
 そうなると、津田氏の発言に対する認識が私と異なっているのだろうか? 事実、津田氏の発言への擁護には、繰り返し「一意見・感想にすぎない」という意味の言葉が出てくる。だが、9/13の津田氏の弁明が行われた後であればともかく、擁護者の多くはその以前にその手の擁護を行っているのである。
 「あれはよくある一感想にすぎない」のだろうか? それは「否」である。釈明が行われた後であればともかく、「せざるを得ない」というのは相当に強い必然性があるという主張である。「気がする」という言葉が付け加えられているが、そのことが主張の内容を弱めることにはならない。逆に強い主張をしながら逃げを打っているように見える。ましてや津田氏は法政大社会学部教授である。学術者がそのような強い表現をするということは相応の根拠を持っていると認識してしかるべきだろう。なんらかの訂正がなされない限りは。
 そして、事実訂正がなされた。やはりあの発言の表現は、意図するものに対して「不適当だった」ということである。その発言者も不適当と認めた発言を、前田氏らは複数からの再三の指摘や発言者本人の弁明にも関わらず、不適当さを認識せず、擁護をし、今も擁護し続けているのである。
 擁護者は未だに「押し付けてるわけではない」と言い続けているが、そう読み取るには無理のある記述だったのだ。

結論

 この問題は、社会学がどうこうという話ではない作品のジェンダー表現がどうこうという話でもないし、ポリコレがどうこうという話でももちろんない。騒動元の津田氏はすでに発言の意図を弁解し、元の発言の方も決着がついている。

 そうではなく、9/11時点の津田氏の発言を擁護した者の、日本語の理解と、分限を超えた発言を当然とする者に対する反発である。
 津田氏はこの点を弁明したが、擁護者たちはそのまま方向修正をできずにいる。その機会を失してしまい開き直っているようにすら見える。

 今回の炎上に対し、前田氏はこのように言っている。

魚拓

 しかし、持論ではあるが、「正義とはある程度理論的に説明可能」であると考えている。逆に言えば「自らの無謬性を無条件に当然のものとし、異論者をそれに対する敵対者とする」行為は「正義」たり得ない。
 前田氏らに対する反応は「正義フォビア」などではない。ただの、よくある、「傲慢な態度に対する不快感」である。
 つまるところ要はこういうやりとりにすぎない。

七つの大罪意 エスカノール 決めるのは我だ

オルフェンズ ミカヅキ それを決めるのはお前じゃないんだよ

 そう、決めるのは作者なのである。それを作者の意図を無視して「時代にふさわしからず当然云々」などという言い分を上から目線で主張する消費者は、通常「モンスターコンシュマー」と呼ばれるものの所作であろう。
 それはただ単なる作品の簒奪者の言い分である。


追記:田中芳樹事務所社長で、秘書でもある安達氏の発言もあり、より正確を期すために、「銀河英雄伝説VI飛翔編」(マッグガーデンノベルズ)を取り寄せ、件のインタビュー記事を確認した。

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(同書「巻末特別企画田中芳樹インタビューVI」P285

 上の画像での冒頭解説の通り「著者の田中芳樹氏が銀英伝執筆時のことをインタビュアーに答える」という記事であり、結果としては認識の補強になったのみだった。件の引用部分も「作者も今ではそぐわないと言っているのだから、第三者が違和感を感じてもおかしくない」という文脈であればなんら問題はないが、「書き直す必要性がある」という内容では全くないので、「書き直さざるを得ない」という記述を支持するものでは、これっぽちもない。改変の意思表明になってないもの(田中氏の改変の意思の有無はこれには現れていない)を改変の必然性と読める発言の根拠とすることは理論的に明らかな間違いである。(再三言うが、元発言の津田氏はこれを自身の発言の言い訳にはしてないし強制性は意図してなかったと明言している。あくまで前田氏らが発言に対しての自身の支持の根拠としたのである)
 執筆当時の状況や作者の思索をうかがい知ることができるまとまった資料なので、未読のファンは得るものが多いと思われる。

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