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女性の生き方

人生の選択

私は今までで
人生を大きく左右する決断を、三度してきました。

一度目は、中学受験

小学生の頃、学級崩壊が起こるほど
私の小学校は荒れていました。

その頃の私はとても臆病でした。

“みんなと一緒”

これが一番の安心。
周りの目ばかり気にして生きていました。

家族にも

このままでは周りに流され、
将来ヤンキーにでもなるのではないか

とも心配されるぐらい当初の私はひどかったです。

そんな私に母親は環境を変える
チャンスを与えてくれました。

それが、中学受験です。

数学の成績が良かったため
挑戦する価値はありました。

しかし、仲のいい友達と離れるのはつらい

でもその頃の私は、

このままではだめだ
自分を変えたい。変わりたい。

心の底から思いました。

そして思い切って中学受験をするという
決断をしました。

結果、第一志望の中学校に入ることができ

新しい環境に身を置くことで本来の自分を取り戻すことができました。

二度目は、高校二年生の夏 

中高一貫校であったため
中学三年生の時に高校一年生の内容を勉強する
という前倒しのカリキュラムでした。

完全に理系脳で、
物理と数学が得意科目、文系科目は壊滅的。。。

高校2年生で数Ⅲもやり終えるため、
高校3年生で一年間復習ができる。
まだマシな大学にいける可能性が高い。。。
この先の人生で、学歴は大きく影響するし
ほどほどの大学には行きたい。

理系女子の道として、
研究職にも魅力的に感じていました。
ドラえもん大好き人間であるため
今までにない便利な道具やシステムを開発してみたい。

でも研究職のイメージは機械と向き合う毎日。。。
そんな人生を送りたいのだろうか。。。

その頃一番興味があったのは、心理学・幼児教育。
人の心理について学んでみたい、教育について学んでみたいと思っていました。

さらに女性の生き方として、
手に職をつけるのがいいといった母の教えや
祖母が、かほは保育士さんが転職だと思うよ
と言ってくれていたことも響いていました。

もし保育士になった矢先には、
園長先生になり自分が理想とする母園のような
保育園を作ってみたい。

でも保育士は給料が少ない。。。。
食べていけない。。。
自分の生活水準を落とすのが怖い。
などという恐怖もあります。

自分はこの先、どう生きていきたいのか
女性ってどう生きていくのがベストなのだろう

やはり周りの人で
幸せな人生を送っている人の真似をしたい

私の周りで幸せになっている女性の例は

家事をしながらパートをする人、
母のように手に職を持ちピアノ教師をしている人
つまり、週に3・4日、数時間働いている人が多かった。

女性で仕事をバリバリしている人が
周りに見当たらない。。。。

おばあちゃんも専業主婦であった。

やはり夢はあるが、家庭を持ちたい。
母やおばあちゃんのように家庭を持ち、
平和に、幸せに暮らしたい

そして、研究職の道より保育士のほうが
私らしいし、家庭と仕事を両立できると思い**
文転を決意**しました。

今となっては学歴がすべてではないと思えますが
当時の私にとっては、だいぶ大きな決断でした。

三度目は、幼稚園の内定辞退

無事に第一志望の大学の教育学部に
入ることができました。

そして、
大学1年生の夏にサークルの先輩と付き合うことに

先輩は大学院2回生だったので5歳年上でした。

私が卒業して一年ぐらいたったら結婚しよう
なんて話もしていたので、
漠然とこの人と結婚するんだろうなーと
自然に思っていました。

四回生の就職を考える時期に入ったときも

24歳には結婚し、相手を支えることが
私の人生の幸せなのだと言い聞かせていました。

そして相手を支えるには時間を確保しないと
家事と仕事の両立はできないなと思い
残業が少ない・福利厚生などが整っている
幼稚園を選びました。

しかし、

本当は、
大学で色々な教育にまつわる社会課題を学び、
実際の現場でアルバイトや実習をさせてもらう中で

保育の業務改善をしたい
教育の見直しをしたい

と強く思うようになっていました。

卒業が近づくにつれて
モヤモヤと気持ちが落ち着かない、
腑に落ちない自分がいました

そして、もう一度
これから先どう生きていきたいかを
見つめ直しました。

私はこれで本当に後悔がないのか、
このまま20代の貴重な時間を家庭に捧げ
何も仕事でやり遂げずに死んでもいいのかと

自問自答を繰り返しました

その結果やはり
自分の気持ちに嘘はつきたくない
心の底から思いました。

そして

今、結婚は考えられない
結婚して中途半端なことはしたくない

まだまだ挑戦したい

やっと答えを見つけられました。

そして別れを決断し、
幼稚園の内定も取り消しました。


この三度の決断をする際に
たくさんの悩み、試行錯誤してきました。

自分の人生においての幸せとはなにか
女性としての人生観を考える
いいきっかけとなりました。

自分の気持ちにはウソをつきたくない、
後悔したくないというのが、
私の人生の選択をする上で
一番大切なことだと認識しました。

『専業主婦になりたい女たち』

この前、白河桃子さん
『専業主婦になりたい女たち』という本を読みました。

白河桃子さんは、少子化ジャーナリスト・女性のキャリアプランの発信をしている方で、数多くの著書を執筆されています。

この本には若い女性の”隠れ専業主婦願望”の実態が書かれていました。

人生100年時代ともいわれている中で
仕事をしないで自分の親世代の暮らしを実現するのは難しくなっているのが現状

でも女性は子どもをお腹に身ごもりながら、
働くことは難しいですよね。

働く像と母親像が乖離し、両立が想像できない。。。

でも夫の収入だけで生活していくのは難しいと感じながらも、キャリアを捨て家庭に入る人もいます。

その理由として、
自分が育ってきた家庭環境であったり、
理想の家族像があるからです。

私自身も高校二年生の時、
母や祖母のように家庭を支える時間がある
生き方の方がいいと思いました。

しかし、今は時代の違いを理解し
専業主婦のリスクの高さを考えないといけない

自分の手で子供を育てたい人は

正社員→子育て→パート 

このような流れが多いと思います

でも実際の損失は

正社員→子育て→パート ⇒ 約1億5000万以上の生涯年収の損失

この差額を見ると専業主婦のリスクが
少し怖くなりました。

1980年ごろ、
専業主婦世帯数は1100万を超えていました。

しかし、それがいまや650万世帯を切り、一方、共働き家庭が11000万世帯に増加したそうです。

しかし、内閣府の調査によると2010年から2014年にかけて出産した女性のうち、第一子出産後も就業を継続する人の割合は53.1%。

2000年から2004年に出産した情勢が約4割だったのに比べ大きく増えているが、子供を産んだ後、半数は専業主婦になっているのが現状です。

共働きをすることが当たり前の社会を目指す

この社会を作り出すには、まずは女の人が働きやすい環境を整えないと何も始まりません。

専業主婦も実際、三食作ったり家事をしたり子供の面倒を見るのに大変な仕事だと思います。

それに付け加えて仕事をするのはもう寝ている時間以外を労働することになるのも想像できます。

下手したら、
寝ている時間も邪魔されることも多々ありますよね…

やはり、そういった女性たちが社会進出しても
安心して子供を育てていける社会にする必要があります。

女性も人生の選択肢を様々持てるように、
安心して子供たちを預けられる教育機関が必要不可欠な時代です。

女性の社会進出は、労働人口不足である日本の経済にも大きく影響するはずです。

保育現場や教育現場の改善はこの問題を解決するためにも早期改善しなければなりません。

NCGの一員としての抱負

ネオキャリアを志望した理由は

保育事業にも力を入れ、
社会課題を解決することをミッションとしている
裁量権が多いため、
成長速度がほかの会社より倍速以上だと感じた
自己成長できる場所に身を置き、
熱量高い人と働きたい

この三点にあります。

NCGの一員として、大きな視野を持ったうえで
同じ志を持つ人と社会課題に立ち向かっていきたいです。

人生何が起こるかわからない

今後タイミングによっては
自分の人生・キャリアを家族や結婚・出産で悩むときが来るかもしれません

でも、

後悔する人生だけは絶対に嫌だと思いました。

自分で選択肢を用意し、
その状況にあった最善の選択ができるように
まずはできる仕事の範囲を増やし、
自分の市場価値を高めていきたいです。

そして、“結果を出す”

結果を出さないことには、
影響力のある人間にはなれません。

影響力のない人間がどんな理想を描いても
誰も耳を傾けないのは当然です。

影響力のある人間になり、
自分の理想・夢を実現して行けるよう
しっかりと地に足をつけて頑張ります。

そして、自分の子どもができたときに胸を張って
自分の生き方を伝えられるような、
かっこいい大人になります。

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