小泉進次郎構文

※本記事は他の記事を批判する意図は一切なく、自戒のための文章です

「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」
AならばA、という文章はネットミーム的には小泉進次郎構文と呼ばれる。同氏の発言があたかも意味のない繰り返しに聞こえるからである。
論理学的にはトートロジーと呼ばれ意味のある文章なのだが、とりわけ意味のない繰り返しを馬鹿にする際によく小泉進次郎構文と揶揄されたりする。
しかし、我々にこれを馬鹿にする権利はあるのだろうか?
すなわち、きちんと意味のある文章を我々は書けているのだろうか?

以下にいくつか例を上げて考えてみる。
➀今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている
これは上の例にも挙げた、繰り返しに意味の無い文章である。だからこそ、は前の文を受けて展開する接続詞であるにも関わらず同じ内容の文が来てしまっており、文章として意味をなしていない。

➁毎日でも食べたいということは、毎日でも食べてるというわけではないです
これは一見意味がなさそうで意味のある文章である。毎日でも食べたい、という言葉に追加の説明がなされていて、毎日でも食べたい(くらいだが、実際に毎日食べているというわけではない)という意味を持っている。
悪い例に改変すれば、毎日でも食べたいが、毎日でも食べたいというわけではない になる。これは意味のない繰り返しになってしまっている。

➂日本で1分が過ぎている間にもアフリカでは60秒が経過している
意味のない文章である。日本の一分間でアフリカの子供が○人亡くなった、ならアフリカの衛生環境や医療福祉の実態を日本と比較して表現する文章になるが、上の文は(おそらくそういう文をもじったナンセンス的な笑いだろうが)そんな意味も持たない、トートロジーとは少し違うが意味のない文章である。

④アクア・サーファーは防御トリガーである
これは読み手によって意味があったりなかったりする文である。アクア・サーファーのテキストを知っている人からすれば既に知った内容しか書かれていないという意味で内容のない文であり、サーファーのテキストを知らない人にとってはそのテキストを知ることができる意味のある文章となる。

⑤アクア・サーファーの採用理由は、防御トリガーだからです
…これは果たして意味のある文章だろうか?というのが本記事の問いかけである。
サーファーが防御トリガーなことくらいはテキストを読めばわかる。デッキリストから興味を持ち、「なんでアクアサーファーが採用されているんだろう?」と疑問を持ってこの解説文を読んで納得する人は果たしてどれくらいいるだろうか?
別に文の短さが問題ではない。「サーファーは6マナ2000のクリーチャーで、シールドトリガーで場に出すことができ、相手のクリーチャーを一体バウンスできるのが強いので採用しました」という文章はテキストを書き直しただけで理由の説明になっているとは言えない。これも⑤の文章も、「アクア・サーファーは、アクア・サーファーなので採用しました」と言っているのと同じだと私は思ってしまう。
大切なのは「アクア・サーファーの強み、個性はなにか」「なぜ色々ある防御トリガーの中からアクア・サーファーを選んだのか」である。もちろん書き手の限界もあるので一切の漏れなく説明を書き加えることは難しいが、少なくとも⑤は小泉進次郎構文であるという認識は書き手として持っていたい。

アクア・サーファーの例なら、例えば青単ジャバジャックにおいては「相手クリーチャーをバウンスしながら場に残るクリーチャーであるから、トリガーとして場に出た際、殴ってきた相手のクリーチャーをトンカチしたり打点になったりするのが強い」「防御トリガーを入れたいが、ジャバキッドで手札補充できる確率を下げないためにリキッドピープルのトリガーが欲しかった」などと書けば最低限意味のある文章になる。なぜ防御トリガーを入れたいか、などは最悪書かなくても文章にはなる。そこまで厳密に説明しきれる記事がもしあれば、有料記事としてお金を取ることすらできると私は考えている。

これを読んだ人が私の他の記事を読んだ際、小泉進次郎構文があったら指摘してほしい。
全て誰にとっても意味のある文章を書くのは非常に難しいことだが、意味のある説明とは教科書の丸写しではない。

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